★ 33 帝国の闇 【 敵の大型空中軍艦 】
春分に戒厳令の撤廃を今年中に行うことを戒厳令司令部が交付する。
物流や人の動きを制限していたから、知らせを聞いて帝国中に歓声が上がったらしい。
ケイランド卿の負担が減ったのは喜ばしいが、それに合わせて私の方は忙しくなった。
新たな治政を行う体制は出来つつあるが、さすがにこれで上手く機能できるとは思っていない。
色々と不都合が浮き上がってくるだろう。それを迅速に対処するための総務部の強化を図るのは早急に行わねばなるまい。
一番問題を抱える総務部の初代大臣には私が就任する予定だ。○○を政庁府内を統括する副大臣としたから、中流貴族の二女という身分を一気に飛び越えたと喜んでいたが、それに見合った働きをして貰えば良い。
ケニー……、いや今はメグだったな。彼女達については、私の所領に小さな修道院を作ることにした。
修道院であれば世捨て人同様に世間を離れての暮らしができるだろうし、私達の計画について十分に思索を深められるに違いない。
湖に面した私の別荘近くに作っているから、人目を避けて情報のやり取りや食料の援助も出来るはずだ。
さすがに帝国内を自由に旅するようなことは許可できないが、私の所領内であるならある程度の自由を認めてあげよう。
今までの働きで、それぐらいの対価を払うのは仕方のないことだ。
トントンと扉を軽く叩く音がする。
扉に顔を向けると、メリンダが入ってきた。その後ろからお茶のセットを乗せたトレイを持った若い娘さんが付いて来る。
お茶の時間になったのかな? 書類をとじてソファーに向かうと、トレイをテーブルに載せ終えた娘さんが私に深々と頭を下げて部屋を出て行った。
「初めて見る娘さんだが?」
「10人ほど雇い入れた総務部の事務員です。男爵家の出ですが、採用試験に合格しています」
「能力はあるということだね。それなら問題ない。使える者はどんどん確保した方が良い。まだまだ人手は足りんだろう。……それより、座りたまえ。私1人で飲むお茶は味気ないからね」
メリンダがテーブル越しの席について、ポットからお茶を注いだカップを私の前にそっと置く。自分のカップにも注いで手前に置くと、私の話を待っているようだ。
「例の噂の流布は、その後どうなっている?」
「貴族街が浮ついております。まだ出掛ける気配はありませんが、準備と仲間集めを始めていると内調部門からの報告がありました」
「まだ私のところに情報が来ていないところを見ると、動きが表面に現れていないという事か……。もう1つ、追加したいところだな。ハイデマンに第二段階を始めるように伝えてくれないか? それで動き始めるはずだ」
「第二段階ですか? 了解しました」
ちょっと首を捻っている。そういえばメリンダにはまだ伝えていなかったな。
「見せ金とやらせだよ。帝都の貴金属店に砂金を持った人物が現れる。1人ではないぞ。日を替えて4組ほどが現れるはずだ。数日もせずに帝都にその情報が伝わるだろう。そして、荷馬車が何台か南を目指して王都を離れていく……」
実に子供だましな方法だが、砂金の実物と砂金探しを装った荷馬車が帝都を離れることで簡単に騙されるに違いない。
不安を煽るような元貴族は帝都を早く追い出すに限るからなぁ。
「簡単に行くでしょうか?」
「さすがに全員ではないだろうな。残った貴族達の始末も考えているよ。西の王国への派遣と東の大陸の代官職だ。元貴族だからなぁ。任官は名誉だと思うだろう。上手く采配を取るならそこでそれなりの地位を確保できるだろうし、帝国内での暮らしよりも優雅な暮らしができるだろう」
「能力のある貴族は既に確保しましたが?」
「そうだったな。だが彼らの頭の中では、自分は有能な人物だと自己評価がなされているようだ。結果は見えている。だが職を解くことはしないつもりだ」
「事実上の放逐ということですね。家族も同行するでしょうから、帝国としては後を憂いることはないということですか……」
「そういうことだ。これは軍の計画とも連動している。東の大陸での攻勢を一時中断して占領地域の強化を図る。西の王国に対しては迎撃態勢の強化になるな。帝国は一時的に拡大政策を保留して戦力の強化を図ることになる」
「ロゲルトを使えば簡単に東の大陸を征服できると考えておりましたが……」
「あれは使うのが難しい兵器だ。確かにこの大陸から東の大陸を攻撃できるだろうが、正確な地図が無ければ目標に当たらないだろう。そういう意味では西に作った王国の王都の落とすのは容易なのだがな。だが、メリンダも知っての通り、帝都を破壊するほどの兵器でもある。あれを落とされたなら長く帝国を恨むに違いない。ロゲルトを使っての征服は容易だろうが、その後は反乱分子の破壊活動が長く続くだろう」
精々都市爆撃に止めておくべきだ。あれならまだ避難する時間があるだろうし、互いに行っているのだから。
「そうなりますと、私どもの仕事が多岐に渡る可能性が出てきますね」
「全くその通りだ。まだまだ人材を確保しておいた方が良いだろうな。私の指示で直ぐに数十人が活動できるような部署を、2つほど作って欲しい。当座は資料整理で良いだろうが、今年の後半にはそれだけでは足りなくなる可能性もある」
「現在30名ほど、自宅待機を命じています。給与は支払っていますから何時でも総務武門に呼び出せます。その人員を3倍にすればとりあえずは対応可能かと」
「それで行くしかなさそうだな。既に動いていたとは感心したよ。そうだ。集めるなら一芸に秀でた人物が良いぞ。その方が色々と対応を図れそうだ」
なんでもできるという人物は得てして平凡な人物になってしまいそうだ。変革の時ならば何かに特化した人物が望ましい。
変人と噂のある人物なら、案外使えるんじゃないか?
あのブランケル博士は学会から変人扱いされていたからなぁ。変人ではあったがその能力は学会の博士達の遥か上をいっていた。
もう少し上手く使うことができたなら、今でも我等の力になっていたに違いない。
あそこまでの変人でなくとも、それに近い人物なら在野にまだいるかもしれない。
我等も2度目なら上手く使えそうだ。
「1つお願いがあるのですが」
「何だい? 私に可能であるなら叶えるつもりだが?」
「弟が今年16歳に成ります。次男ですから領地を継ぐことはできませんので私の使い走りをさせようかと」
「直ぐに呼びたまえ。それは相談するまでもない。そうだな。君の補佐官とすれば良いだろう。官僚の新規採用となるが、それは他者もいることだから合わせる必要がある。だが仕事次第では昇級を早める事も出来るはずだ」
私に「ありがとうございます」が深く頭を下げる。
気心が知れた人間が補佐に付くなら、メリンダも仕事が捗るに違いない。
それにしても次男か……。長男は親の後を継げるが、次男以降になればそうはいかない。
貴族だけに目を向けていたが、彼らの家族についても考える必要があるということが分かっただけでも私にとってはありがたいことだ。
使えない貴族と使える家族……、上手く分離したいところだな。
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数日後には、メリンダに連れられた少年が私の前に現れた。
新規採用の職員ではあるが、メリンダの副官という肩書を持つことになる。その肩書を利用するようなことがあれば、直ぐに追い出すことになりそうだが、それはメリンダが十分に注意してくれるだろう。単に追い出すということにはならないと分かっているに違いない。
ちょっとオドオドした表情を私に向けて挨拶してくれた。
「しっかり励んでくれ!」という私の言葉を聞いて、緊張した表情で頷いている。
まだ目上に対して言葉を出せないのかもしれないな。これは慣れるしかあるまい。
簡単な挨拶をして2人が私の前から去って行ったが、数日も過ぎるとメリンダの後ろに付いて書類カバンを持って歩く少年を目にするようになった。
先ずは職場に慣れることが一番だ。同じように先輩職員について歩く若者が増えたようにも思える。
総務部局はやることが多い。先ずは1人の先輩について仕事を学んでから、配属を再考するのだろう。
戒厳令の解除に向けての国内対策がある程度見えてきた時、クリンゲン卿が私の執務室を訪れた。
副官を2人連れてのことだが、1人は筋骨たくましい軍人だ。
護衛としては最適だろう。
ソファーに3人を座らせようとしたら、たくましい護衛は執務室の入り口扉に立ったままだ。
護衛に徹している感じだな。
「戒厳令司令官という立場を早く退きたいぞ。護衛をいつでも傍に置くというのは、案外気疲れするようだ」
「歳とは思わないようだな。だが、もう少しの辛抱だ。だいぶ帝都から貴族がいなくなったからな」
「上手く動いてくれたものだ。そうそう、新たな任を受けた連中も赴任していったようだぞ。おかげで西の国境の防衛部隊を強化することになってしまったがな」
互いに顔を見合わせて笑みを浮かべる。
帝国運営に関わる問題が、これ1つ片付いたことになる。
まだ残っている旧貴族はいるだろうが、そこそこの収入でどうにか暮らせる状況だ。家人を数人残してそれまでの館を手放しているようだから、貴族街に住む住人の数はかつての1割ほどになっている。
ロゲルトの爆発で破壊された邸宅を再建することは彼らに出来る事ではない。どうにか破壊跡から貴金属を掘り出して当座の住家を確保できたらしいが、それすら南の大河での砂金探しで消費しつくすに違いない。
「卿が訪ねて来た理由はそれだけではあるまい?」
「ああ、大きな問題が起きている。東のイグリアン大陸の遠征軍に空中軍艦を全て動員しているのだが、その内の1隻が撃墜された。例の小型飛行船ではないぞ。我等の空中軍艦より二回りも大きな空中軍艦の砲撃を受けての事らしい」
思わず目を見開いた。
あれは、ブランケル博士の発明品ではなかったのか?
反乱軍が使っている小型の飛行船は、我等の空中軍艦よりもかなり小さいと聞いたことがある。向こうにもブラン博士に劣らぬ頭脳を持った人物がいるということになるのだろうか……。
「数は?」
「現状では1艦だけのようだ。だが、それは軍事的な事柄でもある。卿に報告するなら定例会議の席で十分だ。ここにきて卿の耳に入れたかったのは……」
クリンゲン卿の話を聞いて、卿に視線を向ける私の目ががどんどん見開くのが自分でもわかる。
どうやら大型空中軍艦は大破したらしいのだが、その攻撃を行ったのは我が軍ではないらしい。
堂々と砲撃を交わしての戦果ではなく、隠匿された格納庫を爆撃して達成したらしいのだが……。
「別の勢力が現れた……。ということになるのだろうか?」
「ワシは、内紛と見ておる。どちらにせよ我が軍にとってはありがたい話ではあるのだが、砲撃戦に負けるようでは困ってしまう。現在の空中軍艦の設計図は残っているのだ。あれを元に、大型の空中軍艦を作りたいが、許可願えんだろうか?」
「許可はいらんよ。まだ戒厳令の最中だ。全ては卿の判断で行って構わん。それに、宮廷費用はほとんど必要なくなるからな。空中軍艦を毎年2隻作るぐらいなら国政に影響は出ないだろう。だが、乗員を募る際は注意して欲しい。元貴族の私兵達の行動が読み切れん」
「私兵は軍にだいぶ来ているぞ。卿の心配は無用だ。軍規に基づいてどんどん処分している。使える者もいるようだが士官にはなれんだろうな。下士官として使うなら問題ないと現場から報告が届いている」
私兵の噂があまり私の耳に入ってこなかったのはそういうことだったか……。
それなら問題ない。帝都の治安はどんどん良くなるはずだ。
だが、それなら卿の後ろにいる護衛も必要ないだろうに?
「気が付いたか? ワシ等への恨みを持ったまま、帝都に潜伏している者達がいるようだ。さすがに卿の配下には手強いだろうから、ワシの方で何とかする。卿もその間の外出は控えて欲しい。新たな帝国を宣言する日までには何とかするよ」
「まだまだ油断は出来そうにないな。話を戻して申し訳ないが、東の大陸の内紛は我等に利用できないか?」
「戦線での攻撃を控えるだけで十分に思える。それは当初の計画にも沿うことだ。我等は安心して戦力を蓄えられるし、相手も我等を気にせずに内部闘争を行えるだろう」
「まさか、あの勲章が尾を引いているのではないだろうな?」
「案外あるかもしれんぞ。最高の免罪符だからなぁ。だがそれを受け取る人物は……」
我等の攻撃で乗船した小型空中軍艦とともに大破して海に沈んだらしい。だがいくら記録を照らし合わせても、そのような戦闘は無かった。
向こうも、それに気付いたという事なのだろうか? それは我が軍の情報を知るv手段を持っていることに繋がるようにも思える。
「スパイが潜んでいるということは?」
「それはない。金銭を受け取れるような状況では無いし、居あ族を人質に取られるような事態も起こりえないのだが……」
自治場に歯切れが無いな。
何か気になることでもあるのだろうか?
「我等に対する妨害工作が、必ずしも我等の知る反乱勢力だけでは無いようだ」
突然の言葉に、思わず卿の顔を見据えてしまった。
どういうことだ? 滅ぼした王国の小さな反乱勢力が結託したと思っていたのだが、我等が追放した貴族……。いや、彼らには私兵を動かせるだけの財力はない筈だ。
それ以外となると、ブランケル博士の元部下ということもあり得るか……。
「イグリアン大陸の連中だ。アデレイ王国軍の特殊部隊だよ」
さらに驚いた。海を渡っての破壊工作ということになる。
「大規模部隊ではないし、使う武器も強力ではない。とはいえ、広範囲に活動しているのが問題だな。それもあって大型の空中軍艦を製作したいと考えていた」
「輸送路の遮断と言う事かな?」
「空中軍艦が2艦は必要だろう。大型空中軍艦が飛び立てば、直ぐにでもイグリアン大陸から呼び戻す」
空中軍艦2隻は帝国領の防衛をより堅固にしてくれるだろう。
だが、困った事態になったものだな。
この際、徹底的にアデレイ王国を叩いた方が、我が大陸に余計な手出しをしないのではないだろうか?
素人考えなのは間違いないが、さて卿は今後の作戦計画をどのように修正するのだろう。
だが、その前に……。
「良いワインを手に入れた。生憎と我が所領のワインでないのが残念なんだが」
「それが目当てではないぞ。だが、卿のところに来ると良いワインが飲めるのも確かだからな」
ソファーから立ち上がり、戸棚に向かう。
幼少時代からの友人と飲む酒は、美味い酒をさらに上手くしてくれる。
私1人では何もできなかっただろう。
今の私がいるのは、目の前のこの武門貴族であるクリンゲン卿のおかげに違いない。




