★ 28 帝国の闇 【 新たな皇帝の名は誰もが知っている 】
ケニーは名をマーガレットに変えたようだ。
亡くなった祖母の名になるらしい。愛称は『メグ』ということになるのかな。
傷は癒えたようだが、顔半分の焼け跡は元に戻ることはないとの事だ。片眼を失うことになるかとも思ったが、何とかレンズで補正が出来るらしい。
包帯で顔を覆った姿は痛々しいが、それは自らの行いから生じたもの。誰を恨むことも出来ないだろう。
片足を失ってから義足を使っている。車椅子で過ごすよりは少しマシになったようだな。
同じ軍の指揮所で暮らしているから、何日かおきにメグの事務室を尋ねる。
彼女の世話をする侍女の入れる紅茶は中々の腕だ。
散歩の楽しみが増えたことが、多忙の身を少し癒してくれる気がする。
「それで、メグの考える皇帝のいない帝国の姿はどのようなものになるのだ?」
「帝国であるなら皇帝は必要です。その下に少数の議会を置いて官僚を御すことが可能と考えます」
「あのロゲルトで幼帝は2人とも亡くなってしまった。誰を皇帝にするのだ?」
「選ぶ必要はありません。新たな帝国の皇帝は神に等しき存在です。すなわち、神そのもの……」
思わず目を見開いてしまった。
形式を重視するということか……。神であれば、その存在を誰もが肯定するであろう。帝国の皇帝は絶対であることから、確かに神と同列にしても納得できるところがある。
だが……、いや……。
「存在しない皇帝を我等は持つことになると?」
「私が左宮で仕事をしておりました時でさえ、皇帝陛下をお目にすることはありませんでした。僭越ですが、当時の私の地位は官僚達の中でも高い位地にあったと思います。それでもお目に掛かれないとなれば……」
それは皇帝が奥宮で暮らしているからだ。
皇帝に会うことが出来る人物は最高会議の参加者、奥宮の侍女に近衛兵ぐらいなものだろう。貴族会議の始まりには皇帝の簡単な挨拶があるが、あれはただ顔を見せるためのものだ。
「皇帝を近くで見ることが出来る人物は限られていることは確かだ。1000人にも満たないだろう。帝国民衆からすれば神と同じように、存在すれど見ることが出来ないということになるだろうな。それを利用するということか……」
私の言葉に、メグが頷いた。
「神殿の組織を参考に出来るかと……。統治形態は長老政治に似た形になると推察します」
「神殿は各地に教会を持ち、神の教えを民衆に広める……。なるほど、統治するには都合が良い。しかし、帝国内の宗教についても考えねばならんぞ。4つの神殿の内、2つが瓦礫になってしまった。残った2つだけを優遇するということにはなるまい」
「統合すればよろしいかと。残った2つの内1つを残し、もう1つは同じく瓦礫となった帝国学院に利用できそうです」
かつての神殿ともなれば、学院の権威も高まるに違いない。運よく災厄を免れた教授達と神殿の神官達を使えば案外早くに帝国学院を再開できそうだ。
だが、4つの神殿を1つに統合するとなると、神官達が騒ぎ始めそうだな。
まぁ、それは何とでもなる。民衆を扇動しようとするなら容赦なく神の身元に送ることも出来よう。
「中々面白い案だ。その方向で検討を進めて欲しい。私から追加したい事項は、帝国軍の位置付けと傀儡王国の今後の扱いについてになる」
「了解しました。私から確認したい事項が1つ。新たな王国は帝国に必要でしょうか?」
ポケットからパイプを取り出し、火を点ける。
帝国領が一気に拡大した事と当時の貴族間の派閥争いを掻き悦する手段として講じた策でもある。国王の任期を限定しているから、次の国王を誰にするかを将来考えなばならない。
我が帝国に絶対の忠誠を取るなら、このまま彼らに任せても良いと思っているのだが、毎月のように送られてくる援助の要請を考えると早めに潰しておきたいところだ。それが出来ないのは、無統治地区となれば今以上に住民が苦しむことが分かっているからに他ならない。
「現状では全ての国王を暗殺したいところだ。それをしない理由は分かっているはずだ。これが私の答えになる」
「了解しました。併せて検討事項の1つとして考えます。……私からの報告が1つ。傀儡王国の税の記録と王国内の主要な町5つの税を比較調査したものです。建国途上で収入が足りぬという話を聞きましたが、まったく内容は異なっていました」
「早速始めてくれたか。それで結果的には?」
「帝国にかなりの税を出すことが可能です。彼らの要求する援助額の5割増し程度になるでしょう。住民への税負担を減らしてもです」
「ありがとう。報告書はこれだね。ゆっくり読ませて貰うよ」
「1つ、お願いがあります。ハイライル町の教会に所属しているシスターのメリルと彼女の補助が出来る見習い官僚を3人用意して頂くわけにはまいりませんか?」
「シスター・メリル……、名は聞いたことがある。確かメグの侍女達の世話をしていたと聞いたが?」
メグの話を聞くと、なるほどと納得できるものだった。
孤児達に読み書きと計算を教えていたらしい。この報告書の筆記と計算は侍女達の手によるものらしいが、読みやすい丁寧な字で書かれている。
メリンダの部下にも見習わせたいほどだ。
「侍女達では不足ということか……。見習い官僚と言わず、もう少しましな人材を着けてあげよう。そうなると、部屋が足りなくなるかもしれんな。それは何とかして貰うつもりだ」
さて、そろそろ引き上げるとするか。
メグから受け取った報告書をポケットに入れて、自分の執務室へ帰ることにした。
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トントンと小さく扉が叩かれ、軍の士官が顔を出した。
どうやらクリンゲン卿がやってきたらしい。あの災厄から10日程過ぎている。
どうにか危機的状況を脱したように思えるが、まだまだ予断は許されない状況化だ。 クリンゲン卿の来訪も、そんな危惧を互いに話し合おうということに違いない。
部屋に入ってきたクリンゲン卿が、私に黙礼をしてソファーに腰を下ろした。
執務机から席を立つと、隣の部屋の職員にお茶を用意するように言いつけたところで小さなテーブル越しに私もソファーに腰を下ろす。
子飼の副官が2人、卿の後ろに立っている。部屋の片隅にある折り畳み椅子を進めると、私に頭を下げて椅子を取り出した。
「ここは軍の総指揮所だ。さすがに護衛はいらないと思うが?」
「そうもいくまい。卿にも2人付けているぞ。気付かれぬように配慮している。ところで、空中軍艦5隻をイグリアン大陸に送ったことは卿も知っているはずだが、かなりの戦果を上げたようだ」
「戦況は有利に動いていると?」
「全く問題ない。あるとすれば小さな破壊工作が活発らしい。大陸の北でのことだ。大陸中央部のアドレイ王国は前線を南に後退させている。この状況下でなら、交渉を有利に行えるのでは?」
「早計だろう。まだ帝国が安定していない。少なくとも新たな統治を帝国内に広め、それが機能してからでないと無理だろう。停戦交渉を行うにしても、向こうは帝国内の状況をある程度知っているのだ。次の戦の準備期間に利用されかねないと思うのだが」
「やはり、帝国内の体制が出来ていないと課題が残りかねないか……。済まんな。長く戦が続くと、ふと弱気になってしまう。ワシも老いたということか」
「まだまだ老いるのは早いぞ。これからが大変な時だ。ワシは戦を知らぬが、長く家を留守にしている者達もいるはずだ。そんな兵士達に休暇を与えることで指揮を維持できそうに思えるのだが?」
私の提案に、卿が笑みを浮かべる。
簡単な思い付きだが、作戦に深く携わっていた卿には、それすら思い浮かばなかったということになるのだろう。
だが、その為に副官いるのではないか? 作戦に対する助言だけでなく、卿の内心も察して欲しいものだな。
「私の方は、面白い提案をメグがしてくれたよ。それと、この報告書だ。これは私でなく卿の方が読むべきかもしれん」
「ほう……。傀儡王国の収支か。なんだと! 援助ではなく、税を本国に送ることが出来るだと!!」
「どれだけ私腹を肥やしたら気が済むのか分からん連中のようだ。やはり文官貴族は廃止すべきだな。百害あって利が一つもない」
卿が報告書の抜粋版を読み始めた。数分も掛からぬだろうから、その間に棚からワインのボトルとグラスを運んでくる。
私と卿の前にグラスを置くと、後ろの副官達にもワインを注いだグラスを飲むように促した。
「やはり粛清せねばなるまい。しかし、ここまでするとはなぁ……」
「強欲は家系ということになるのだろう。我等のような貴族だけでは無いと思っていたが、これほどとはと私も驚いたよ」
「処理はワシの方でする。代理を立てようと思うが……」
「腕の良い官僚を送り込んでいる。彼らなら十分に代理をこなせるだろう。……さて、ここからは卿と2人だけの話になる。後ろの副官もそのことをしっかりと頭に刻んで欲しい」
副官達が真顔になって、席を立つと私に騎士の礼をしてくれた。
元々が卿の領地出身の子飼ということだから十分に信用が置けるのだが、やはり注意はしておくべきだろう。
「これが新たな皇帝陛下のお名前になる。帝国も名を変えて『神聖グラウド帝国』としたい」
「帝国を継続出来るということか! ……待て!! このお名前は……」
クリンゲン卿が大きく目を見開いて私に顔を向ける。やはり驚いているな。帝国内にこの名を付けるのは神殿が禁止しているぐらいだからなぁ。
帝国内に、この名を持つ人物はいないはずだ。
「初代皇帝に、この帝国を引き継いで貰うのだ。私達はあまり気にしていなかったが、メグは皇帝と我等の間に大きな違いがあると言っていたよ。なんだと思う?」
「最高権力者とその臣民という関係だけでは無いということか? 敬うべき存在だと祖父から散々聞かされたが、我と同じ人間であることも確かだ。大きな相違点という言葉を聞いても、直ぐに思い浮かばんな」
「私も同じだった。メグの立場……、中級貴族以下の臣民が感じるものだと私は思っている。彼らにとって皇帝とは神と同一なのだよ。存在しているのは間違いない。だが一生涯その存在を見ることが出来ない。どうだ? 面白いだろう。彼らにとって皇帝とは、神と同列に近い存在なのだ。なら、皇帝選出に悩まずに偉大な皇帝に帝国を任せる事も可能だろう。神の言葉を聞く人物が神殿の祭祀官達だ。本当に聞けるとは思えんが誰もが祭祀官の言葉に耳を傾ける。我等は皇帝陛下の祭祀官になれば良いのだ。祭祀官は初代皇帝を助けた12人の話があるから、その人数で調整すれば問題なさそうだ」
「神殿の手を借りるということか?」
「神殿は1つにまとめるしかなさそうだ。2つの神殿が瓦礫になってしまったからな。神殿の再建をするぐらいなら、民衆に住処を与えてあげたい」
「神殿の位置をどうするかも問題に思える。同列にするのか?」
「統治に口を出すに違いない。4つの神を纏めるとなれば神殿の指導者が必要になるだろう。その指導者は祭祀官達の下に置く。我等左翼のある部局の1つとするなら、権力を得ようとすることも無かろう。神に仕える者達が、なぜに権力を欲しがるか、私には理解できないがね」
「国政から、神殿の息を取り去るというのか? 反対する者が大勢出て来るぞ」
面白そうな声で問いかけてきた。
「さすがに全てを消すことは出来ないだろう。だから組織の1つに押し込めるつもりだ。だが急ぐことはない。現状は窮民対策に動いてくれているのだからな」
今にも吹き出しそうな表情を私に見せてくれたのは、久しぶりだ。
少しは心労が和らいだのかもしれない。
帰る前にもう1杯ワインを飲んで行ったが、部屋を訪れた時とは別人の表情をしていた。




