★ 26 帝国の闇 【 突然の知らせ 】
廊下を走る靴音が執務室まで聞こえてくる。
地下壕はそれなりに広いかもしれないが、走ることはないだろう。小走りならそれほど音は出ないんだが……。
思索の邪魔だと、報告書から目を離した時だった。
靴音が執務室の扉の前でピタリと止まると、扉が乱暴に開けられた。
入ってきたのはクリンゲン卿その人だ。
まったく、どんな事態が生じたというのだろう。
「直ぐに出掛けるぞ。卿だけで十分だ」
「どこに行くんだ? 状況報告なら逐次届いているはずだ」
「ワシと、卿の2人は是非とも必要だろう。同行するのはワシの子飼の部下だけだ」
隣の部屋のメリンダを呼ぶと、外出することを告げる。何かあるなら総指揮所経由でクリンゲン卿と連絡が着くと教えると、私の話を待っていたかのようにクリンゲン卿が私の腕を掴んで部屋から連れ出されてしまった。
走るのは得意ではないのだが、私の手を掴んだままクリンゲン卿が先を急ぐ。
総指揮所に向かうのかと思いきや、階段室の扉を開いて王宮前の庭に出ることになった。
そこに待機していたのは小型飛行船だった。
偵察用の足の速い飛行船だと聞いたことがある。これでどこに向かうのだろう?
ゴンドラに乗り込んだ途端、飛行船が飛び立つ。
揺れるゴンドラの中にある船室に入りソファーに腰を下ろすと、クリンゲン卿の副官がワインのグラスを私達の前に置いてくれた。
「忙しい中、申し訳ない。実は……」
思わず「何だと!」と叫んでしまったのは仕方がないことだろう。
「本当なのか?」
「だから確認に向かう。生存者が何人かいるとのことだ。今度こそ確実に捉えたと確証しなければ、どんな措置を取っても覆されかねん」
「だが、良くも落としたものだ。我等の飛行船よりも早いと聞いたことがある」
「落としたのは、エンデリアの連中だよ。色々とこの大陸でやってくれたが、もし本当なら勲章を与えたいところだ」
「そんな性能の飛行船を持っているとなれば後々問題とならないのか?」
「高性能の飛行船は1隻しか確認されていない。たぶん空中軍艦を相手にしようとして作ったのだろう。彼らがどうやって小型飛行船を落としたのか分からんが、感謝はしたいところだな」
たった1隻で戦局が変わることはないと言うことか。
戦は数とも聞いたことがある。数の前にはどんな高性能の兵器でも意味を持たないということなのだろう。
だが、それにしても……。
「現場は遠いのか?」
「4時間ほど掛かりそうだ。この飛行船も少し改造しているぞ。他の偵察用飛行船よりは速いからな。おかげで長距離を飛べぬらしい」
開発目的に悩むところだ。
素早い弾着観測用というところかな? 軍人は変わった兵器を欲しがるからなぁ。
もし、2人が生存していたなら、どのように措置すれば良いだろう。
極刑は免れぬはずだ。
少なくとも万を超える帝国民を殺傷したのだから、それ以外の方法が思い浮かばん。
それで私達が安心できるなら、目の前で死ぬ姿を確認すべきかもしれない。
「しばらく時間が掛かりそうだから、これからの事を少し議論したいところだ」
「確かに……、卿と数時間はこのままだ。それで少しは進んだのか?」
クリンゲン卿に笑みを浮かべて声を出した。
「皇帝になる気は無いか?」
私の言葉にギョッとした表情を浮かべる。大きく目を見開き、まるで悪魔でも見るような眼差しを向けてきた。
「冗談にもほどがあるぞ。私は皇帝に仕える一人の軍人だ」
「それが一番容易で、かつ帝国にもっとも影響を与えない方法だと思っている。このままいつまでも戒厳令を布くわけにはいかない。戒厳令の良いところは、全ての権限が軍の統括者に委ねられるところだ。そういう意味では皇帝とあまり変わらない」
「言っている意味は分かるつもりだ。だが私以外にして貰おう。少なくとも器ではないぞ。それより卿が成ってはどうだ? 協力を惜しむことはないのだが」
「卿と同じで私もその器ではない。皇帝がいかに孤独化を我等は知っているからな。今でも自由に動くことはあまり出来ないが、皇帝ともなれば奥宮から出るのは稀になる。
かといって他の者に任せる等もっての外だ。帝国の瓦解が直ぐに始まりかねない」
「降嫁先から選ぶというのは?」
「我等が粛清されるぞ。それに降嫁先は全て文官貴族だ。貴族同士の争いが内乱に発展しかねない……。となると我等は、今までにない全く新たな政治体制を作らねばならない。国名をどうするかは、後に決めれば良いだろうが、このような形態だ」
武門貴族から5人、文官貴族から5人を選び円卓会議で国の意思を決定する。
議長は武門貴族から選出すれば、戒厳令下より少し進んだ組織になるだろう。
「問題があるぞ。議決が2つに分かれてしまうだろう。常に議長判断では問題が出てくるのではないか?」
「卿は忘れているのだろうが、私は文官貴族だぞ。文官貴族だけで過半数を取ることは出来んだろうな」
「おいおい、それはやらせも良いところだ」
「やらせではない。それで文官貴族の反発を抑えるのが目的だ。最終決定は挙手ではなく、投票で良いだろう。誰がどちらの案に票を入れたか分からんのが一番だ。併せて永代貴族を無くせば良いだろう」
「次の貴族が偏らないか?」
「派閥闘争をせずに済む。与えられた仕事をきちんとこなせぬような人物を貴族に止めることは新たな国造りの障害でしかない。現在はそのような政治形態を考えているところだ。卿には新たな国を立ち上げた後も協力して貰いたい」
「溜息しか出んな……。とはいえ、古くからの友人の頼み事は断れん。数日後に、この話を再びしたいところだ。私も軍内部に付いて思うところがあるからな」
「ああ、いくらでも話をしよう。簡単ではないし、国民が路頭に迷うような国では後世の笑い話になりかねん」
タバコに火を点け、卿が注いでくれたワインを味わう。
だいぶ帝都から遠ざかった感じがするな。目的地まで、もうしばらく掛かるかもしれない。
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深い闇の中から、意識が浮かび上がるのが分かる。
最後に聞いたのは、「ジュピテル機関が破壊された!」と嘆くブランケルの声だった。
いや、侍女達の叫び声が最後だったのかもしれない。
どんどん飛行船の高度が落ちていき、突然私の意識が吹き飛んだようだ……。
ここはどこだろう?
体が全く動かない。天国ということはないだろうが、地獄にしては周囲が明るいように思える。
そっと瞼を開けた。やはり明るいだけだ。どうやら包帯で目を覆われているのかもしれない。手足はあるのだろうか? 動かそうとしてはいるのだが動く様子がまるでない……。
自分の鼓動だけが大きく聞こえる。
助かったのだろうか……。侍女が応急手当をしてくれたのかもしれない。
助けを呼ぶことは無理な話。体が動かないなら……、緩慢な死を迎えることになるだろう。
ふと靴音に気が付いた。
ここはどこかの部屋なのだろうか? 裕福な商人が通り掛かって、助け出してくれたのかもしれない。
感謝の言葉を話せたら良いのだが……。
扉が開き、靴音が近くに聞こえる。カタリと音がしたのは椅子を運んできたのだろうか。
いったい誰なんだろう……。
「再び会うことが出来て嬉しいよ。ケニー……」
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私の呼び掛けに、ピクリと体が動いた。
彼女をケニーだと証言できる人物は私ぐらいだろう。顔半分を火傷で失っている。ケニーと判断できた根拠は、糸切り歯の治療跡、それに母の形見だという指輪だった。
左腕は失っており、左足をひざ下で潰されている。
それでも命は助かったようだが……、さて私の命令を素直に聞いてくれるのだろうか。
「耳は異常が無いようだね。応急措置は済んだらしいから命だけは助かるようだ。残念ながらブランケル博士は飛行船の躯体に潰されたようだ。上半身だけが残っていたよ。君の夢は潰えたようだ。おかげでこちらは大忙しだ」
ケニーの反応はないが、最初の動きを見ると耳は聞こえるらしい。
とりあえず言いたいことを伝えて、後は彼女の選択を待つことにするか。
「ケニー達が行ったことに対して、何も罰を与えないというのは私にも出来兼ねる。厳罰を与えねばなるまい。極刑でも軽すぎると言われるほどの重罪だからね。ブランケル博士に対しては、既に死んでいるのだが、遺体を切り刻んでオオカミの餌とすることで満足するしかなさそうだ。侍女達は人身売買の被害者ということが判明した。罪を問うことは出来ないが、元に戻すことも出来んだろう。もっとも、無事だったのは2人だけだったがね。あの墜落事故にあって、軽傷で済んだのだから運の良い娘ということになるのだろうな。
さて、ケニーに対しては、数年にわたっての拷問を繰り返した後に極刑という話も出ている。ケニー達の反乱で亡くなった帝國民の数は10万人を超えているそうだ。幼帝達もロゲルトによって遺体すら残らぬ有様だ。数年先で死ねるなら、私には軽い刑に思えて仕方がない。これ以上の刑を考えていた時に、素晴らしいアイデアを思い付いた。瓦解しようとしている帝国の再建に死ぬまで働いて貰う。さすがに王宮に出入りすることはできない。軍の駐屯地の一角に侍女達と暮らせる部屋を用意する。名を変え、私の手足となって働くのだ! よく考えてくれよ。やったことに対する対価はケニーの命だけでは全く釣り合わんのだからな」
席を立って、ケニーの頭をポンポンと軽く叩く。
さて、ケニーは私の提案に同意してくれるだろうか? 殺すのは容易だが、ケニーを越える副官はいないのが現状だ。
直ぐ傍で補佐してくれるなら助かるのだが、さすがにそうもいくまい。
離れた場所であっても、私の私案をじっくりと精査してくれるなら、私の心労を軽くすることも出来るだろう。




