J-148 責任者よりも監察官の方が偉いのかな
乗馬に使う鐙がワイヤーの先端に2つ付いている。
ベルトから延びたロープに先端にあるカラビナをワイヤーの途中にあるリングにカチリと装着した。これで足が鐙から外れたとしてもロープから体が離れることはない。
面倒だけど、落ちたりしたら大変だからなぁ。ベルトとロープにも問題が無いことを確かめたところで、ドラゴニルを背中に背負う。
リトネンさんもフェンリルを担いでカラビナをリングに装着した。
「それじゃあ、出掛けるにゃ。爆撃して20分後に回収に来て欲しいにゃ」
「了解です。派手に被害を拡大させてきますよ!」
リトネンさんに、ファイネルさんが笑みを浮かべて答えてくれた。
俺がしっかりとワイヤーを握っているのを確認して、リトネンさんが床を蹴るようにして飛空艇から離れた。ゆっくりとワイヤーが伸ばされ、俺達は下に見える貴族館の屋根へと降りていく。
だけど、鐙に結んだ三角巾はかなり汚れた代物だ。夜の闇の中で、ちゃんと見えるのだろうか……。ちょっと不安になってきたぞ。
屋根は結構傾斜がきつい。先端部に下りたところで屋根を跨ぐようにしてワイヤーのリングからカラビナを外す。
カラビナがあちこち動かないようにベルトに挟みこんだところで、グシの上を身を屈めて器用に歩いていくリトネンさんの後を追う。
やはり慣れているなぁ。軍に入らなければ、怪盗リトネンとして名を挙げたかもしれない。
館の屋根のほとんど外れにある煙突に着いたところで、リトネンさんが煙突をロープでぐるりと一周させた。ロープに付いているカラビナを連結させて、俺達はベルトからカラビナを外し、煙突に回したロープにカラビナを装着させる。これで屋根から落ちる心配は無い。
「あれが、目標の貴族館にゃ。ベランダの半分以上が見えるし、倉庫と貴族館の位置を考えれば、間違いなく見える場所に出て来るはずにゃ」
「了解です。確か射程は250ユーデでしたね」
「覚えていたにゃ。距離があるから、頭でなくても良いにゃ。フラッシュハイダーを付ければ発砲炎も抑えられるけど、狙撃は2発に抑えるにゃ」
2発限定というのも考えてしまうけど、リトネンさんが指さした先を見て納得した。
この辺りは警戒が厳しいようだ。3人一組の巡邏隊が直ぐ近くの通りを歩いている。
「了解です。フラッシュハイダーで少しは発砲音が抑えられると良いんですが……」
音を消すのが目的ではないからなぁ。あくまで発砲炎を押えるだけの代物だ。
発砲時の音を消すと弾速が低下するから、距離の補正が難しくなってしまう。
ファイネルさん達の陽動で大きな音がするだろうから、案外発砲音に気が付かないかもしれない。
「準備するにゃ。ファイネルの事だから2度爆撃をするはずにゃ。2度目が狙い目にゃ」
最初の爆撃で、ベランダに出るだろう。被害状況を眺めている最中にもう1度爆撃が行われるなら、ベランダから身を乗り出すに違いない。
それだけ動きが固定されるということか……。
「了解です。何時でも行けますよ!」
既にドラゴニルを構えているからなぁ。
さて、どんな奴が新たな責任者なんだ?
緊張を解すために飴玉を口の中で転がしていると、突然正面のやや左手に炎が上がる。体を震わすような炸裂音がその後に続いた。
近くで聞くとまるで雷鳴だな。普段は飛空艇の中だからあまり聞こえないんだよなぁ。
「出てきたにゃ! スーツ姿の男にゃ」
「1人だけスーツですか……。確かに軍服よりは良いでしょうけど」
出てきたのは3人だった。小柄な少しメタボな体型だけど、あれで偉いんだからなぁ……。
火災が起きているからよく見ようと、ベランダの手すりから顔を出そうとしている。どうにか顔を出したところで、再び大きな炎が上がった。
「今にゃ!」
【かのものに天国の門が開かれんことを……】
祈りの言葉を呟きながらトリガーを引く。
ターンという音はやはり消しようがない。音が耳から消えると同時に、照準器の視界の中で目標の男がガクリと頭を下げた。
周囲の人物はまだ気が付かないようだ。これで終了かな。
「後は回収を待つだけにゃ。それにしても、まだ気が付かないにゃ。あれでは、上官の叱責じゃすまないかもしれないにゃ」
「20分後ですよね。周辺の監視が強化されてしまいそうですけど」
「イオニアが遅発手榴弾をたっぷり持ってたにゃ。貴族館にばら撒けばそっちに警邏達が向かうはずにゃ」
あの手榴弾でそんな事も出来るのか。高い場所から落とすから、通常よりも長い時間で起爆する手榴弾らしいけど、飛空艇にたっぷりと常備しておいても良さそうだな。
「始まったにゃ。焼夷手榴弾みたいにゃ」
少し離れた場所で、小さな火の手があちこちで上がり始めた。
なるほどね。狙撃犯が逃走するための時間稼ぎを装っているという状況を作っているようだ。
「ちゃんと来てくれたにゃ。来なかったらリーディルと一緒に盗賊で暮らしを立てないといけなかったにゃ」
夜空を見上げていたリトネンさんが呟いた。
俺も上を見たんだが、俺には飛空艇の姿がどこにも見えない。顔をリトネンさんに向けると、笑みを浮かべて小さく頷く。
「その時はしっかりと働かせて貰います。お金持ちから奪い取って、弱者に施すんですよね」
「そうにゃ。それが義賊にゃ!」
嬉しそうに答えてくれたけど、やはり盗賊だよなぁ。
ミザリーは喜んでくれるかもしれないけど、母さんはがっかりするかもしれない。
先端に汚れた布が巻き付けられた鐙が、数ユーデ先に下りてきたところで屋根から体を起こす。
下りてきたワイヤーのリングにカラビナを付けて、鐙に足を乗せる。
煙突の巻いていたロープはリトネンさんが回収して体に巻き付けている。
しっかりとリングを掴んだリトネンさんがライトを上空に向かって点滅させると、ゆっくりとワイヤーが巻き取られ、俺達は屋根の上から離れていく。
屋根から数ユーデ離れると、一気に体が上空に上っていく。ワイヤーを巻き取りながら飛空艇の高度を上げたらしい。
上空の俺達に気が付く人物がいないとも限らないからだろう。数百ユーデ程上空に上がれば、銃撃が当たることもない。
飛空艇の中に入ると、ワイヤーのリングからカラビナを外し、安全帯ともいえるベルトも外して大きく伸びをする。
これで今回の試験飛行の目的は達成できたかな?
エミルさんが渡してくれたコーヒーのカップを受け取って、タバコに火を点ける。
リトネンさんは足早にブリッジに向かって行った。色々と忙しいそうだな。
「ちゃんと狙撃できたの?」
「ええ、できましたよ。でも、周囲の連中がまるで気が付かなかったんです。イオニアさんが落としてくれた手榴弾にも助けられました。あれでは見当違いの方向に警邏部隊が出動したでしょう」
うんうんと笑みを浮かべて頷いてくれる。
ゆっくりしてなさいと言ってブリッジに向かったけど、俺もいつまでもここにいる訳にもいかないだろう。
一服を終えたところで、残ったコーヒーを飲み込んでブリッジに向かう。途中の給湯室のボールにカップを入れておいた。
ある程度貯まったところでミザリーが洗うに違いない。
「一服が済んだかにゃ? 中々面白い人物を狙撃したみたいにゃ。責任者ではなくて、帝国からやってきた監察官にゃ。王都の戒厳令と主要な街道の閉鎖を無線で指示しているにゃ」
「責任者ではないから、かえって面倒になったと?」
「私達には関係ないにゃ。帝国の連中が今回の事態収拾に慌てふためいているみたいにゃ。軍部にも責任があるとなれば、前線の膠着化に繋がるにゃ」
「軍服を着ていた人物が2人いましたね。彼らの責任問題にもなり得ると?」
「死んでしまった以上、何らかの責任は発生するにゃ。頭部貫通では助からないにゃ」
リトネンさんの話に、皆が笑みを浮かべているのも問題に思えるんだが、今は戦の最中ということで良心をある程度閉ざしているのだろう。
人が人を殺すという世界がいつまでも続くわけはない。それを早めるためにも俺達は頑張らないといけないのかもしれないな。
帰りは新型飛空艇の最高速度を試すことになったから、数時間も掛からずに西の砦に帰ることが出来た。
朝日が眩しい中、俺達の飛空艇がブンカー前に着地する。
ドワーフ族に飛空艇を渡せば点検整備を行ってくれるし、不具合も直してくれるだろう。
「先ずはシャワーでその後で朝食だな」
「報告は一眠りしてからでも、十分にゃ」
リトネンさんは相変わらずだ。俺達はそのままシャワー室に向かって歩き出した。
暑いシャワーを浴びて着替えを終えたところで食堂に向かう。
俺が1番早いと思っていたんだけど、ファイネルさんの方が早かったようだ。
コーヒーをカップに注いで、皆が来るまで一服を楽しむことにした。
「結構、使える飛空艇ですね。でも、あの大砲は問題ですよ」
「だよなぁ……。あんな衝撃があるとは、俺も思わなかったからなぁ。だが、引き渡し時にそんな話が全く無かったのも気になるところだ。……ちょっと出かけて来るぞ!」
突然立ち上がって、ファイネルさんが駆け出したけど、さてどこに行くんだろう?
考えられるのはドワーフ族のところだろうな。
あの衝撃が少しでも和らぐならありがたいんだけどねぇ。食事の後にあの衝撃を受けたらブリッジの中がとんでもないことになりそうだ。
「おや? リーディルだけなのか?」
「先ほどまでファイネルさんが一緒だったんですが、どこかに駆けて行ってしまいました」
「ファイネルも完全に復帰したみたいだな。とはいえ長距離を歩くような無理は出来んだろう。だいぶ活躍してきたようだが、リトネンの報告は結果だけだからなぁ」
コーヒーカップを手に、クラウスさんが首を振っている。既にリトネンさんの性格は治らないと思っているんだろうな。
やはりどんな冒険をしてきたのか、早く知りたいってことなんだろう。
砦を出てからの冒険を簡単に話したんだが、ちょっと首を傾げて聞いているのが気になるところだ。
「なるほど……。結果から見れば、さすがはリトネン達ということなんだろう。だが、大砲の衝撃がそれほどあるとは俺も聞いてなかったぞ」
「ファイネルさんと先ほどまで、その話をしていたんです。何か思い出したのか、突然駆け出していきまして……」
「なにか忘れていたってことか? それならドワーフ族の連中なら気が付いても良いはずなんだが」
2人で首を傾げているところに、ミザリー達が食堂に入ってきた。
俺に手を振ってトレイを持ってカウンターに並び始める彼女達を見て、クラウスさんが席を立つ。
「朝食がまだのようだな。夕食前に部屋にお邪魔するよ。リトネンにもそう伝えてくれ」
クラウスさんが席を立つと、食堂を出て行った。
さて俺も並んで朝食を受け取ろう。砦の連中は既に済ませているはずだから、大盛りを期待できそうだ。




