J-142 手負いの空中軍艦
砦を飛び立った翌日の昼過ぎ、俺達は哨戒区域の2度目の往復を終えようとしていた。
右手には俺達の暮らす大陸が見える。夏だというのに緑ではなく黒く見えるのが不思議なんだよなぁ。
だが、陸地が見えると不思議と安心できることは確かだ。
高度2500ユーデ付近を飛ぶ前部銃座の視界には、不審な物は何も見えない。
一服でもしてこようかと考えていた時、急にミザリーが声を上げた。
「帝国軍の無線を傍受! ……数字暗号ですが、文体を為しません」
「新たなコードを作ったのかしら?」
航法担当のエミリさんが地図を広げたテーブルを離れて、ミザリーの隣に移動する。
ミザリー達に暗号を見破られていたからね。変更するのは時間の問題だったようにも思えるな。
「リーディル、一服して来ようぜ!」
「そうですね。今のところ、何もないです」
「ゆっくりしてくるにゃ。その間私が見張っているにゃ」
俺が銃座を下りると、直ぐにリトネンさんが銃座に座る。
艇長席は、操縦席の後方だからなぁ。銃座越しに前方を見ることは出来るんだが、あまり眺めが良いとは言えいない場所だ。
ブリッジを出ると、給湯室でコーヒーを3つカップに入れる。カップが4つ入るホルダーが付いたトレイを持ってファイネルさんより遅れて砲塔区画に入った。
後部銃座からハンズさんも移動してきたようだ。
2人にカップを渡して、シガレットケースからタバコを抜き取ると、ファイネルさんが火を点けてくれた。
「まったく姿が見えないな。クラウスはそろそろやってくると言ってたんだが、この哨戒地帯以外からやってくることも考えられるんじゃないのか?」
「そこは上からの指示ってやつだ。アデレイ王国にかなり食い入った哨戒だから、アデレイ王国からの要請もあるに違いない。それに、アデレイ王国の領土はさらに南東に広がっているからなぁ。案外そっちを経由した爆撃が行われたかもしれんぞ」
俺達が哨戒している場所は、よく考えると中途半端にも思える。元エンデリア王国の領土である俺達が奪還を目標とする土地は、哨戒区域から北西方向に遠くまで広がっているし、アデレイ王国についてもファイネルさんが言う通り南東にずっと続いているのだ。
「真ん中ってことですか。北と南にも哨戒線が作られているんでしょうね」
「たぶん間違いないだろうな。一番可能性がある場所に俺達がいるってことだろう。あくまで可能性だ。必ずここを通るとは限らないってことになる」
「その辺りは、確かに上の判断ってことなんだろうな。サイコロでも転がして決めてるかもしれんぞ」
そういってハンズさんが笑い声を上げる。
「まあ、明日の夕方には砦に帰投できる。その時に状況が分かるだろう。何事も無ければそれで良いだろうが、他の場所から侵入して爆撃を受けたとなると、哨戒区域が広がるかもしれんぞ」
「地上で敵を待ち構える数時間は結構疲れるが、何もない空で敵を見付けるのも神経が磨り減る。哨戒区域が広がっても、哨戒時間は長くしてほしくないところだ」
「リトネンに具申してみるか。リトネンもその辺りは考えていると思うんだが……」
俺達が休憩を終えると、今度は女性達が休憩に入る。
ミザリー達は、バインダーに挟んだメモを持って行ったところを見ると、皆で先ほどの暗号を解こうとしているのかもしれないな。
まあ、ちょっとした暇つぶしになるってことだろう。
「それにしても、やってきませんね。冷酷の通信を傍受したようですが、暗号が融けなければ意味も分かりませんし、味方の方は通信封鎖を行っているんでしょうか? まったく連絡がありませんよ」
「アデレイ領内に入る前に通信を送ると、短い応答信号があるってことだから、通信機が壊れているわけでは無いんだろうな。帝国の連中が逆探知して爆撃されることを恐れているんだろう。俺達みたいに動いているわけじゃないからな」
エミリさん達が飛空艇の進路を変えて電波発信源を探っていたぐらいだ。その方法は面倒だけど思いつく連中がいるということなんだろう。
アンテナの本数を増やせば、かなり正確に方向を確認できるらしいが、そんな施設を作るとかなり目立つに違いない。
陸地を見ると、たまに炸裂炎が見える。
あの辺りが現在の前線なんだろう。両者ともに接近して対峙していないらしいが、砲撃は継続しているようだ。
「それにしても散発的な砲撃だな。あれでは砲弾の無駄使いにしか見えないぞ」
「数門ずつの砲撃ですね。ずらりと並べて砲撃すると思ってました」
「昔はそうだったらしいぞ。だが、現在は飛行船や飛行機が戦に参加してきたからなぁ。砲列を作りようものなら、直ぐに爆撃されてしまう。後方の作戦本部も、若手をかなり起用しているらしいな」
古い考えで戦が出来なくなってきたということかな? 柔軟な発想の持ち主を積極的に登用しているのなら、現代戦の作戦も少しはましになるってことだろう。
その作戦計画に沿って、俺達はこの区域を哨戒してるんだが、さっぱりやってこないんだよなぁ。
突然、ミザリーの座っていた席で、機械が動きだした。カタカタと音を立ててテープがテーブルに伸びている。
ファイネルさんが砲塔区画に伝声管で通信機が動きだしたと連絡すると、直ぐに女性達がブリッジに飛び込んできた。
「え~とね、『空中軍艦と交戦、損傷を与えるも撃墜できず。飛空艇は王都より西方に離脱しつつある空中軍艦を攻撃せよ……』後は同じ通信を繰り返している!」
ミザリーの読み上げた通信文を聞いて、皆に笑みが浮かぶ。
「さすがは大砲を搭載しただけのことはあるな。少しは痛手を与えたってことか」
「進路はこのままで十分ね。まだ陸地だとすれば、進路はこのままで良いでしょうけど、会合予定時間は3時間以上先になるわよ」
「第2巡航速度に上げるにゃ。2時間も掛からないにゃ」
「了解だ。メインエンジンを起動する……。エンジン起動、冷却水と循環オイルの温度に注意してくれ!」
「了解……。補助エンジンで冷却水は温められているから、油温度が上昇したら巡航速度に上げるわよ」
「空中軍艦が手負い状態なら、それほど高度は上げていないはずだ。現在の高度は2500だが、下降するか?」
「上にいた方が視界が広いにゃ。それに爆弾投下も容易にゃ」
「了解だ……。油温がかなり上がってきたな。テレーザ、メインエンジンの回転数を上げるぞ!」
速度は上がったんだろうが、銃座から見た限りでは変化が感じられない。
強いて言うなら、飛空艇の振動が少し大きくなったぐらいなんだけど、上部銃座なら風を受けるから変化を体感することができるかもしれないな。
「よし、巡航速度だ。リーディル、よく見てくれよ!」
「大丈夫です。それに、イオニアさんもいますから」
いつの間にか銃座の下で、イオニアさんがブランケットを畳んで腰を下ろしてるんだよね。
1人より2人の目の方が目標発見は早いはずだ。
だけど早くても2時間後のようだからなぁ。とりあえず注意して前を見ていよう。
1時間ほど過ぎた時だった。
双眼鏡で前方を眺めていると、視野に小さなものがあるのに気が付いた。
双眼鏡の視野を少し動かしても、そこにあるのだからレンズのゴミではないはずだ。
「イオニアさん10度方向やや下方に何かいるんですが……」
「……あれだな! リトネン見つけたぞ。間違いない空中軍艦だ」
イオニアさんの双眼鏡は俺のものより倍率が上だからなぁ。もっともそれだけ重くなるから、俺にはこれで十分だ。だけど確認用の高倍率の望遠鏡はやはり必要なんだろうな。
直ぐにリトネンさんがやってくると、イオニアさんの双眼鏡を借りて確認している。
「ファイネル、進路このままにゃ。まだ飛行高度がはっきりしないにゃ」
「煙は出ているのか?」
「小さくて確認できないにゃ。でもあれが空中軍艦なのは間違いなさそうにゃ」
どっちだろうと撃墜すれば良いことだ。
そのまましばらく観察していると、少しずつ西に移動しているのが分かる。
大陸の間にある小島の拠点に向かっていくのだろう。
「ファイネルさんだいぶ見えてきましたよ。やはり空中軍艦です。煙を出しているようですね。後ろに煙が確認できますがどこから出ているのかまでは分かりません」
「すでに海の上だ。今頃艦内では後始末で大変だろう。とはいえ見張りは出しているはずだ。こちらに気が付いているとみるべきだな」
「この飛空艇の本来性能はかなり飛びぬけてると聞いたにゃ。イオニア、噴進弾の装填はできてるかにゃ?」
「発進時に確認している。やはり噴進弾で攻撃?」
「脅かすにはちょうど良いにゃ。ファイネル、相手の横腹を目指すにゃ。リーディルもそれなら何発か撃てるにゃ。その後急上昇すれば、ハンズが攻撃できるにゃ」
「了解だ! それぐらいわけはねぇぞ!」
ファイネルさんがやる気を出しているけど、どうやら煙の噴出が空中軍艦の横腹から出ているのをリトネンさんが気が付いたからだろう。
あの炸裂孔に上手く当たるとは思えないんだが、至近距離に着弾すればかなり傷口が開きそうだ。
3イルム口径の砲弾らしいから、それほど大きな穴じゃないと思うんだけど、俺も試してみるか。
運が良ければ2射はできそうだからね。
空中軍艦との距離がどんどん縮まってくる。
双眼鏡を使わずとも、側面に2つの穴が開いているのが分かる。
炸裂弾と鉄鋼焼夷弾を交互に詰めたマガジンを軽く叩くと、コッキングレバーを引き初弾を焼く室に送り込む。
照準は500で良いだろう。
ファイネルさんの事だから、さらに接近して急上昇に転じるに違いない。
「砲塔区画に移動する!」
イオニアさんがブリッジを飛びだして行った。
ファイネルさんが伝声管で、作戦をハンズさんに伝える声が聞こえてくる。
ミザリー達は、しっかりと座席に体をベルトで固定しているだろう。俺の方は全て準備完了だ。セーフティを解除して、ヒドラⅡのストックを肩にしっかりと付けてグリップを握る。
まだトリガーに指は伸ばさずに、簡易照準器に破孔を捉えた。




