愚者に捧ぐ
お前ももう大人になったから話しておこうと思う。
こっちにおいで、秘密を教えてあげる。いいかい、誰にも言ってはいけないよ。
そら、見てごらん。綺麗な箱だろう?
ずっと父さんが持っていたこれはね、お守りじゃなくて、本当は鍵なんだ。
ここをこうすると……ほら、開く。
おっと、まだ中身を見ちゃ駄目だ。
今日お前にあげるのは、この鍵だけだよ。
この鍵はね、代々僕たちの一族が子どもに継いできた大事なものなんだ。
箱も鍵も、けしてなくしてはいけないよ。
鍵はあげるけど、箱は開けちゃいけないのかって?
まあ、そういうことだね。
っておいっ、ケチとか言うんじゃない、というかすねを狙うのはやめろと言っているだろう、そんなことしていると大人げないとみなして箱も鍵もお前の知らないところに持ってっちゃうぞ!
……ふむ、よろしい。では反省に免じて許してあげよう。
だから、この場で開けるなと言っているだろうに。
やるなら僕の――というか誰も見てないところでやりなさい。
ん? いやあ、実はさ、父さんが、お前の父さんの父さんから――お前からしたらおじいさんにあたる人から、これをもらったときはね。鍵はくれてやるが、箱は開けちゃいけない、絶対に開けるな、ってそりゃあ強く言われたものなんだけど。
まあ、僕はお前も知っている通り不真面目な大人だからね。やっちゃった。てへへ。
あ、だから安心しなさい。毒物とか入ってるわけじゃないから。父さん、見ての通りピンピンしてるし。
……せっかちな奴だなあ、建前上は開けちゃいけないけど、誰も見てない所だったらやってよしって、わかりやすく本音をぶちまけまくっているだろうに。
ああ、あと中身のヒント? だめだめ、僕から先に言われてしまうより、自分で確かめた方がきっと面白いぞ。
それに最初に言っただろう? これはお前と父さんの秘密、他の誰にも言ってはいけないよ。たとえお前の母さんだろうが、妻だろうが――教えては駄目だ。いつか子どもができたら、その子が大人になって分別がついたと思った時に、父さんがお前にこうしているように、鍵と箱を渡しなさい。
いいかい。この鍵を手にした以上、お前には、箱の中身を好きにする権利がある。
信じるも疑うも――どうするもお前次第だ。
だけどね、これだけは覚えておくんだ。
いつ、どんな状況になっても、自分達が飢えて死にかけたときでさえ、僕たちの祖先は命がけでこの箱と鍵と秘密を守り通してきた。
もし、お前が別の方法を取りたいと言うのなら、それもそれで自由なのだけど……この箱のために流された血や涙や汗を踏みにじるような真似だけは、しないでもらえると嬉しいな。さすがにあの世でご先祖様、というか親父に僕が殺される。
ああ、そうそう。まだ中を見ては駄目だけど、ひっくり返して裏を見てごらん。そこに何か彫ってあるだろう?
父さんも最初はわからなかったんだけどね。古語で、こう書いてあるんだ。
「一つ目の鍵を持つ愚者へ。私たちは二つ目の鍵と三つ目の鍵を、我らが魂を捧げる相手に託した。
我が主は倒れたが、我が主の血族は、今もまだどこかで生き続けている。
もし、彼らが目の前に現れ、箱の中身を見たいと言ったなら、そのときは必ず従うように」
どういう意味かさっぱりわからない?
まあ、今はそうだろうね。
この鍵を持つ人が他にもいるのかって?
……そうだなあ。父さんはそうだと、信じているよ。
彼らは何者なのかって?
ははは、お前は本当に質問の多い奴だ。それこそ今教えたら面白くないだろう。
鍵持てる愚者よ。誰にも知られず、そっと秘密をのぞいてごらん。
お前は僕の子だからね、きっと僕と同じ答えにたどり着くだろう。
――僕は、結局鍛冶屋止まりだったけど。世の中は変わってきている、これからも変わり続ける。
お前が鍛冶屋を継ぐことを渋っているのはわかっているよ。僕は別に強要するつもりはない。
だからもし、広い世界に飛び出したなら、きっと彼らを探してみてごらん。
僕は既に、この鍵とこの箱が我が家にずっと密やかに受け継がれ続けてきた奇跡を一つ知っている。
そして僕の妄想でなければ、二つ目の奇跡が起きかけたことも。
ならば、生きている限りいつかやってくるかもしれない、三つ目の奇跡を――残りの二つの鍵を持つ誰かと僕の関係者が出会い、彼らが箱を開ける日が来る事を、願って――。
この命の輪が続く限り、秘密を愛しき愚か者達に託し続けよう。
籠と、鳥と、卵達の物語を。




