別離2
色々と適当な主は、見舞いをしろと言った割に自分の従者の配属先についての説明が雑だった。
漠然と「外宮の使用人エリアにいるだろう」的な事を言われ、「それじゃほとんど回答になっていない」と思いつつも、キリエは渋い顔をしながら歩き出す。
ここで心が折れるようでは主の従者はやっていられない。さてどこに行けば手がかりがつかめるだろうと前向きに頭を回し始めるのだ。
キリエは王宮という場所にけして快く迎え入れられているわけではないが、完全に無視をされるほど嫌われたりヘマをしたわけでもない。なんだかんだ貧民街育ちの跳ねっ返りなりに図太く生き抜いてきた成果はまあまあだった。
バダンの場所をしかるべき答えてくれそうな人達を選んで聞いてみると、結構露骨に嫌そうな、でなければ微妙そうな、あるいは表情を押し殺した顔で皆答えてくれる。
別に何を相手が考えていようが答えてくれるのだからいいのだ、変な嘘や悪意さえ混じっていなければ。
前向きに思考を回し続ける。
もはや王宮従者にとって恒例行事である、たらい回しの儀式を久方ぶりにこなせば、行き着いた先は内宮を出て外宮の一番外側の門に近いような場所だった。全く人の気配がない。ほとんど外周に近いところだ。
使用人身分とは言え、バダンはれっきとした国王の世話係のはずなのに、レィンやイライアスが普段生活している場所とは大分離れた、どう見ても壁際っぽい位置に追いやられているのを見て、キリエはすっかり呆れる。
(しかも今の時間なら厩舎にいるだろうって……なんかなあ)
バダンは言葉を話さない。おまけに見た目が亜人の中でもかなり獣要素が濃く逆に人要素の薄い方で、大概耳や尻尾のみ獣で体の見かけに関してはほとんど人と変わらないような普通の亜人達からは少々避けられがちだ。
レィンの従者であるという立場がなくなってしまえば、弱い者いじめに忙しい王宮での彼の待遇は察するに余りある。
獣同士仲良くしてろ、そういうことだろう。
そういうことが絶対想像できただろうにあえて配置換えをしたのは、従者が自主的にここがいいと言い出したのか、主が肝心な時に役立たずだったお前なんかここにいろとか意地悪な事を言い出して追い払ったのか――。
(あの二人なら割とどっちもありえる。バダン、御主人様には全面的に無抵抗だし、御主人様は御主人様でバダンを困らせて遊んでるような感じがたまに見られるし。あれは信頼してるからこその甘えなのかもしれないけど、それにしたってやり方を選べというか……)
遠い目になりそうな彼女の視界を、見覚えのある色合いが、重そうな桶を抱えて通り過ぎようとした。
慌てて我に返り、呼び止める。
「バダン、久しぶり」
言葉を話さずとも聴覚には特に異常のない男は、キリエの言葉に足を止めると振り返る。
まだ少し布を当てている部分が見えるが、動きといい顔色といい問題ないように見える。
キリエより大怪我だったはずだが、そこはやはり獣よりの亜人のなせる力か、しっかり休養を取ったのか、元通りに戻ったようだった。
「よかった、元気そうで。なんかさ、こう、色々あったから、落ち込んだりとか、あと怪我が酷かったりとかあったらやだなあって思ってたんだけど。えっとね、今日はその、あたし、御主人様に言われて――どうかした?」
キリエは久々の先輩従者に愛想良く話しかけようとしたが、ふと違和感を感じて止まる。
バダンは動かない。不動であることや、話を聞いているのか聞いていないのかわからないほど反応が薄いこと、返事が返ってこないのはいつものことだ。
けれどいつもより過ぎている。静かすぎる。それにキリエの知っているバダンは、手に持っていた物を取り落とすようなヘマもしない。
襲撃を受けたときでさえ、彼は驚きも恐怖も顔に出さなかった。それが今、彼は黒々した目を限界までかっと開き、キリエを凝視している。
胸の辺りに視線が注がれているのを感じて、一瞬胸を潰し損ねたのだろうかと見下ろしてみたが、従者服には特に問題がなさそうだ。
頭を動かすと、しゃらりとレィンにもらった細長い首飾りが音を立てる。
……特に変な物は、キリエからは見えていないのだけど。
「――あ、あれ? ごめん、もしかしてまだ本調子じゃなかった? あたし、邪魔しちゃった?」
牛男の足下には水桶が転がり、破損することこそなかったものの鈍い音を立てて中身を散らしてしまっている。
尋常でないバダンの様子に困惑しつつキリエがそれを拾おうとすると、彼は硬直からいきなり動き出し、桶をひったくってキリエの手首をつかむ。
「は? え? ちょっ――何すんだこの野郎、いたい、痛いよ、バダン!」
急に引っ張られてつまづきそうになり、キリエはわめく。
すると牛男ははっとしたように立ち止まり、何度か瞬きして慌てて彼女を解放し、すまなそうに眉を下げる。
「いや、いいけど、あんたしゃべれないんだからさ、いきなりびっくりしたよ。どっか行く場所があるの? あたしに来てほしいの? 手伝いならするからそう言って、今日はそうしようと思ってきたところだし」
けんかっ早いキリエがすぐに引き下がったのは、ひとえに普段温厚に徹する牛男の人徳の為せる業と言っていい。
離してもらって痛みが遠ざかれば、彼女は手をさすりつつもあっさり協力的になった。よほど何か急ぎの用事でもあったのだろうと解釈している。
瞳を揺らした後、彼はゆっくりとうなずいた。
「確認するね。あんた、何かやることがあるのね? あたし、あんたについていけばいいのね? 何するかは着いたらまた教えてくれるんでしょ?」
今度はキリエの言葉にすぐに二度、深くうなずく。
しばし、彼女の顔を何か言いたそうにみていたような気もしたが、やがて首を振り、ついてこいというように手招きする。
(にしてもなんからしくないというか、しばらく会ってなかったから感じ変わったのかな? それとも病み上がりだから? 随分早足な……なんだろう、あたし何かしたかなあ。……あ。御主人様とのこと、怒ってるとか? えっと、それは気まずい……)
首をひねりながら、油断すると遠ざかりそうな大きな背中についていくと、彼は厩舎横のどうやら動物たちを手入れするための用具がしまってある場所に入っていく。
入り口で待てと合図されたので大人しくしていれば、彼は桶の代わりに何やらそこそこの大きさの荷物を抱えて戻ってきた。
ぐいっと押しつけられた見覚えのあるものに、キリエはますます首をかしげる。
「え、これ、あたしが着るの? いやいいけど、っていうか、ってことはさ、もしかして外に行くの? いやうん、全然良いけどさ、ほら、急だなっていうか、外出許可証とか必要だし――」
目を回しているキリエの前で、バダンはさっさと見覚えのある外出用――というかお忍び用の格好に変わってしまう。
心なしか急かす目で見られた気がして、慌ててこちらも同じようにした。
跳ねっ返りのキリエが従順なのもやっぱり先輩のなせる業だろう。
先導するバダンについていくと、かつてよくレィンが王宮脱走用に使っていた経路を進んでいく。
「外出許可証がなくていい理由はわかったけどさ――ちょっと、さすがにまずいって、どこに行くつもり? どのぐらい? これ、戻るときもここから入るの? あたし、あんまり離れたら御主人様が心配しちゃうよ――」
塀を越える前に小声でいくつか文句を言うと、牛男は振り返り身振り手振りで返してくる。
「……大丈夫? 御主人様もわかってること? むしろあいつの命令? あ、ちょっと……もう」
詳しく聞こうとしたら、彼はくるっと背中を向けて軽く見張りの有無を確認し、さっさと脱出してしまった。キリエも仕方なく、何度もやったように真似をして壊れた塀から外に出る。
(ま、いいや。またいつもの困ること、ってね。帰ってきたらあいつにたくさん文句言ってやろっと)
いつだってキリエは主に振り回されてきて、時には嫌な目にも怖い目にもあったけど、最後には三人揃って元通り、それがこの二年間の日常だった。今回もその通りの結末を迎えられるのだと、全く信じて疑っていなかった。
だからそう、まったくいつも通りと言い聞かせ、すべての不安に蓋をした。
彼女はとても素直で、単純で、愚鈍な、恋に浮かれた女だったのだから。




