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石版2

 ハノンと名乗った人物は、自分たちの中には何人ものレィンがいる――と説明を始めた。

 より正確には、「レィン」と「イライアス」と「それ以外」の人格が存在するのだと。



 あたしも確かめたとおり、あいつの身体自体は正真正銘男そのものだった。

 けれど、王子として生まれてきた彼には、「レィン」と「イライアス」という相反する両性の意識があったのだという。


(ちなみにこのときようやくあたしは奴がまさかの直系王族だったことを知ったわけだが、あたしの驚愕を軽く流してハノンは話を続けた)


 お姫様である「レィン」という人格は、自分のことを正真正銘王女だと――女だと思っている。気弱で内気な彼女には空想癖があり、その空想は時に彼女の現実をも侵食する。レィンは心地よい夢の中で生きている。彼女(・・)の望む通りの可愛い娘として。


(この彼女(・・)が誰のことを言っているのか、ハノンはあまり多くを語りたがらなかった。あたしはけれど、それだけで誰のことを言っているのかなんとなく察することができた。その人のことを喋ると、どのレィンも必ず、動揺を抑えきれないようだったから)


 少年王の「イライアス」は、逆に自分はれっきとした男で、少年王としてのつとめを果たすべきだと考えている。王女であるように扱われたり、自分が女としてふるまっているという世迷い言をささやかれたりすれば、いぶかしげな顔をして困惑する。

 彼はレィンよりも現実を見ており、表の人々が自分に望む自分らしさを体現する。ただし彼の男としての自意識は、自分が「レィン」と同一の存在であることが認められない。


 彼ら二人は当初、私的空間での女であるレィンと、公的空間での男であるイライアスとで、完全に表と裏の役割分担をしていた。

 しかし彼らの完全に断絶した意識と、無意識の間に勝手に動く自分の目撃証言とは、徐々に二人の彼らに混乱と危機をもたらした。


 そこで、それらの矛盾や周囲との軋轢から守るために、他の人格がさらに生まれてきたのだという。レィンという少女と、イライアスという少年を守る――その使命において全く共通している、癖の強い守護者達の群れが。


 主人格二人かれらが著しく動揺する時、誰かとの対立が避けられない時、それ以外にもとにかく何らかの不都合が生じそうになった時――交代人格かれらはそっと目を覚まし、主人格達と入れ替わる。

 交代して出てくる人格たちは、先の二つと違って互いに経験を共有し、別の自分が別の自分として何を行っていたか、認識し記憶することができる。

 レィンは他の自分を全く自覚できないが、イライアスの方はうっすら存在を把握しているらしい。

 交代人格同士の結束はもっと強固で、自分でない人格達の事もきちんと理解していたし、時には彼ら同士でやりとりをかわすこともあるらしい。



 ここまで話して、ハノンは一度注意深く値踏みするようにあたしの様子を探った。

 あたしはばかばかしいと一蹴もしなかったし、逆に信じ切ることもなかった。

 もちろん、作り話じみていてレィンかイライアスという人間が演技であたしをからかっているのだという可能性だって捨ててなかったし、その一方であたしの前で次々と姿を変えたレィンを否定しきるのもまたどうかと思ったのだ。

 あたしはまだ真偽の判定がつかなかったから、ひとまず「ハノン」にとっての真実はそうなのだ、と仮定して話を聞くことにしていた。事実はたった一つだが、真実は解釈の数だけ存在するのだから。


 ――ハノンはあたしの態度に満足したようだった。彼女は満足そうに笑みを深めると続きを再開した。



 交代人格達は、今の所全部で五人。あたしは既にそのうちの三人と、いや四人と顔を合わせているとハノンは言った。


 最初にあたしの前に姿を現したあのやたら口の悪い奴は、レィンやイライアスが普段押し殺している感情や思考を発露させるために出てくる機能を担当する人格。

 彼はレィンやイライアスが黙っている彼の本心を口にするが、言葉のトゲが鋭すぎて他者を深く傷つける傾向がある。

 だからとっさに出てくることは多いが、すぐに引っ込められて他のもうちょっと穏便に済ませられそうな人格に交換されてしまうことが多いのだとか。

 彼はイライアスよりさらに性自認が強く、男扱いされないと激怒した。

 この性格は、フォクスライという名前らしい。

 フォクスと気軽に呼んでやったら罵倒の語彙が増えるから試してみるといい、とハノンはまったく益にならない助言を加えた。


 次にあたしの前に姿を現した陽気で愛想良く謎の色気に満ちている人格は――つまり、今喋ってくれているハノンなわけだが――より複雑な、あるいは危険な交渉ごとを担当する。

 自分の存在が少女であることに一辺の疑いも持たなかったレィンとは違って、意識は女性寄りだが身体が男性であることも受け入れている。彼女と呼ばれると喜ぶが、身体が男なんだから彼だと言われても同意する、そんなところだとか。

 彼女は綺麗に装うことと、人生を楽しむことを大事にしている。遊ぶことが大好きで勉強は嫌い、他の性格より幾分か人と交流する能力に長けている気がした。

 あたしの母との交渉も、フォクスライのままだったら大層荒れていたことだろう。


(ところでハノンは自分は交渉ごと担当と言ったが、おしゃべりが得意そうなだけでなく、彼女の実年齢にしては妙に媚びが堂に入っている様子を見るに……おそらくそういうことなのだろうとあたしは察した。貧民街では初経を待たずに身体を売る子ども達の姿も見かけることがあった。彼女が好きでそうしているのか、あるいはレィンやイライアスが危機に陥ったから彼女の存在を作り出さなければならなかったのか。そのときのあたしは深い事を考えたくなくて、すぐに思考を打ち切った。ただ、ハノンはきっと人の扱いに長けている。その情報だけ覚えて、他は忘れようとしたのだった)


 その次に見た、というか様子を耳で聞いた無反応で人形じみた人格は、特に嫌な状況の被害を最低限にやりすごすために生まれたのだとハノンは言う。

 極端に口数が少なく、行動も消極的で、自我が薄いこの交代人格は、逃げようのない場をじっと堪え忍ばなければならないような状況になるとゆるやかに起き出してくる。

 たとえば退屈な儀礼中だとか、嫌いな相手に延々と説教をされそうになった場面とか、ハノンが交渉を投げ出すほどの相手だとか――そういう場面ですっと出てきて、他の人格の盾になる。

 フォクスライは世界を攻撃し、ハノンは世界を懐柔しようとする。

 対してこの人格は、世界を徹底的に無視することで空気に溶け込もうとするのだ。本人が喋ってくれないため意思疎通はしにくいが、従順に誰に対しても従うので扱いにくいわけではないらしい。

 彼は男の自覚があり、ノードルという。性質上非常に鈍いし表に感情を出さないが、快不快等を感じていないわけではないから、見かけたらできるだけ積極的に優しく接してやってほしい。

 そんな言葉で彼の紹介は終わった。



 あたしが会った四番目の交代人格は、人格達のリーダーのようなものらしく、表に出る人格を指名したり、時には行動や出現を制限することができる権限を持っているらしかった。厳格で規範的、落ち着いた性格をしているらしい。

 ただ、おおむね裏方作業に明け暮れているのと、本人がそこまで出たがりではないため、あまり表に出てこない。だから出会える機会はあまりないし、あってもほんの一瞬ぽつりと自分の言葉だけ呟いて帰っていくことが多いだろうとハノンは言う。

 あたしはその説明を聞いて、「女神はいる」と言ったあの奇妙な人物が彼だったのだろうなと感じた。あまり会える機会は少ないと言うことなら、あたしは幸運だったのか。

 名前はあるのかと尋ねてみたら、積極的に本人は名乗りたがっていないので交代人格達は「ヴェオラル」と勝手に呼んでいると説明された。あたしは知らない古代言語で、統括者を意味するらしい。



 あたしがまだ会っていない最後の人格については、説明を求めようとしたらハノンは一転して渋い態度を取った。

 彼女は沈黙の後ようやく口を開いたかと思うと、この性格はとても危険で、万が一遭遇することがあったらじっと息を潜めて意識下に入るな、それだけが生き残る道だと忠告した。

 曰く、彼は他の人格と違って、話が一切通じない。人の言葉を無視したり流したりするのではなく、そもそも理解することができない。彼は獣だ。本能のまま行動し、目的を果たすまで――いや、果たしてもまだ暴れる。

 どうしても他に手がないとき、本当の命の危機に直面しただけヴェオラルが外に出ることを許す、脅威を殲滅するための人格。アタシ達の汚点でありながら切り札。

 彼女はそう、暗い顔で結んだ。



 そこまで全員分の話を聞いてから、あたしはふと今更ながら話をしていた場所を思いだした。

 イライアスが本当に王様だというのなら、ここは王宮。いくら人払いをしても、いつどこで誰が話を聞いているかもわからないような場所なのに、そんな大切な事をあたしなんかに打ち明けちゃっていいのか。せめてさっきまでいた、あの歓楽街の私室の方がよかったのでは。


 ハノンはあたしの言葉に、きょとんと目を見張ると高らかに声を上げて笑った。目尻に涙が浮かぶほど腹を抱えてじたばたしてから、彼女はそっと起き上がり、笑われてむっとしたあたしに思いもかけない優しい顔を向けてきた。


「やっぱりアタシの目に狂いはなかった。……いい買い物をしたわ、本当に」


 そんな風にうなずいていた彼女の言葉の意味を、そのときのあたしはまだ本当に部外者で、世間外れのはみ出し者ばかりいた貧民街の奴だったから……さっぱりわかっていなかったんだ。




 ――思うんだ。もしここで止まっていたら。もしあたしが、これ以上何も知らずにいたら、あたしは何か別の事ができたのかなって。


 あたしね……変な奴だと思ってたけど、でも、最初から大嫌いで離れたいってほどじゃなかったんだよ。ていうかそう感じる相手だったら拾ってくださいなんて言い出さなかったし、怪我を治療してもらったところで隙を見て逃げてた。


 あたし、彼女が、彼が、ただおかしくて、不思議で……。


 もっと知りたいって、思ったんだろうね。

 ……でも、その結果が正しかったのかは、今でもわからないままなんだ。

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