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卵8

「確かに従者にするとは言ってたよ。ああそうだ、思いっきり宣言してたよ、聞き逃してた……わけじゃなんだけど、深い事考えてなかったあたしが悪いかもしれない、うん。まあわかってたとしても喋るなって言われてたし、たとえ喋ったところで無視されただろうし、結果は変わらなかったと思う。でもなんかこうこっちの心構えって言うかさ……あ、別にね、別に職務とか与えられた立場と仕事に文句言ってるわけじゃないんだ、そこはいいの、全然許容範囲内。あたしがね、色々言いたいのはさ――」


 長々ぐだぐだ喋るキリエを、のほほんとした面持ちで彼女の主は見上げている。いらだちも見られないが、悪気も一切感じられない、相変わらず美しく愛らしく純真な子どもそのものの顔だった。

 銀色の瞳のまぶしさに一瞬ぐっと息を詰まらせそうになったもののキリエは気を取り直して言い放つ。


「あたしが言いたいのはっ! この格好をさせることに、一体何の意味があるんだってこと!」

「凜々しくて素敵よ。とてもよく似合っているわ、キリエ」

「あのね、それは本気で言って――ウッ!」


 優美に絶賛した主の感性を疑うどころかこき下ろす言葉を出そうとした瞬間、キリエは脇腹をしこたまつつかれた。

 恨めしい目で横を見ると、じっと先輩従者が彼女を見つめている。喋ることのできない彼の意図を正確にくみ取って、新米従者は咳払いし、言葉遣いをあらためる。


「……あたしにこれが似合ってるって言うのは、本気でおっしゃられているのですか、御主人様」

「もちろんよ。どうして?」


 かくりと首をかしげ、心から信じているという態度でレィンはニコニコ答えた。キリエはがっくりうなだれる。

 イライアスの方が全く相手にしてくれなかったから、待ちわびていた主が寝室で出てきた瞬間、思い切って全力で切々と訴えかけてみたのだが、親切で優しい姫君はどうやらちょっとずれた感性の持ち主でもあるようだった。従者の格好、すなわち男装を強いられているキリエの見た目をこれ以上積極的にどうこうするつもりはないらしい。



 キリエはイライアス=レィンの従者に晴れて迎えられた。従者とは主人に付き従う世話係であるわけだが、まずイライアスの後に黙ってくっついていったキリエが最初に受けた大打撃とは主の性別を知ることだった。


 イライアスは――少年王は、れっきとした男だった。

 どれだけ肌がなめらかできめ細やかく白く透き通っていようとも、女よりよっぽど女装が似合っていて板についていようとも、彼の股間には立派な象徴がちゃんとくっついていた。

 外の汚れを落とすとかで風呂場にフラフラ入っていった後を、間抜けについていってうっかり改めてしまったのだから、もう間違いない。


 というかあたしは黙ってバダンについていけ奴の言うことを聞けと忠告されたから従っていただけなのに、何故こいつらは二人そろって止めなかったのか、馬鹿なのかそれとも実は最初からものすごく嫌われていて嫌がらせなのか。

 年下少年の輝かしき裸を前にして完全に身体も思考も一度硬直しきったキリエだったが、


「何をうろたえている。背中を流すのも従者の仕事の一つだぞ」


 なんて向こうがあまりに堂々と当然の顔をしてしれっと言ってきたので、そうかこれも仕事の一つかと真面目に勤めることにした。不本意とは言え貧民街で他人の身体を触るような仕事をしていたのだ、あれらに比べればこれぐらい何と言うことはないと自分に言い聞かせて心の平穏を保つ。

 バダンにひょいひょい手渡された物を使って、着脱を手伝ったり湯船に浸かっている主が使用する物品を運んだりと、従者の仕事はせわしなかった。一番めんどくさかったのは背中を流すことで、イライアスはわざわざキリエを指名してやらせた挙げ句散々すさまじく遠回しな言い方で注文をつけてきた。そのたびにイラッとしながらも、キリエとて元貧民街の女、こうなったら絶対音を上げさせてやるとムキになって励んでみたら最終的に奴は大層気持ちよさそうにぴょこぴょこ白い耳を動かして尻尾をだらりと弛緩させていた。


 勝利の余韻のまま風呂場から出てきて、他の使用人らしき人達からなんだか穏やかじゃない視線を向けられたところで、キリエは自分がまずいことをしたんじゃないのかとようやく思い当たる。すると湯上がりほかほかで上機嫌な少年王は、髪を乾かしながら何と言ったか。


「私は言ったはずだ、従者にすると。ああ、だからこれを女扱いする必要はない。男の主に仕える従者なのだから男だ、当然のことだろう」


 ――キリエは自分の何が、いかにも作法にうるさそうな周りの人達の禁忌に触れたのか悟った。

 そして、少年がそれをどんな論法で回避しようとしているのかも。


(ちょっと! そりゃ確かに、普通がおのあたしより絶世のあんたの方がずっと美形ですよ、綺麗ですよ、女装だってよっぽどお似合いですとも、でもだからってその言い方は――なんか無性に腹立つんだけど、なんでかあたしの心の琴線をビンビン弾くんだけど!)


 心の中でどんなにか拳を振り上げてみたところで、少年の言うことはここでは絶対であるようだった。頼みのバダンを振り仰いでみてもそっと目をそらされる。共犯ないし主への追従とみた。仕方ないので切り替えの早いキリエはあっさり覚悟を決める。元々貧民街育ち、こんな上品なお嬢様奥方様ばかりはびこっていそうな場所で淑女プレイを求められても失笑を買う未来しか見えない。となると、多少がさつでも許される男の方が気が楽だというものだ。


 そう、男装から逃げられないと悟った最初は、まあまあ納得して諦めていたのだ。男服の方がかえって動きやすそうだし、とか前向きに考えていたりもした。

 でもまさかそんな、いざ決まったら護衛よりよっぽどガタイのいいコーディネーターご一行に周囲を取り囲まれ連行され、特殊な下着で胸を潰されたり、無慈悲に髪の毛をばっさり切られたりするほど本格的な男装が始まるなんて――いくらなんでも予想できるはずがない。ぴかぴかに磨き上げられた鏡で見た自分は、単発やら体型矯正やらのおかげで申し訳程度あった女らしさが完全に消え、どこからどう見ても主より少し年上の従者――少年に、見えていた。



 そのときになるともはや一周回って絶句しなすがままになっていたキリエも、貴人の寝室に連れてこられ、そこで当然のように少女服に着替えて新しい従者を待っていたレィンと再会すれば主に罵声の元気を取り戻す。ようやく口封じ解禁である。かくなる上は直接思いの丈をぶちまけてやろうと、勇んで口を開いたわけだが――。


「チクショウ、本人なのに本人じゃないから、怒るに怒れないっ……!」


 敗北者のように床に手足をつき、だんだん地面を叩くしかない悲哀である。レィンと名乗る美少女(男)を目の前にするとどうにも彼女は所々で盛大に弱気になるようだった。


「随分いい格好になったじゃない。気分はどう?」


 そのとき、がっくりうなだれていたキリエの頭上からハスキーな声がかかる。

 顔を上げてみれば、レィンの家出先で出会った人物が悪戯っぽく微笑み、頬杖をついている。あの妙に色っぽくて、キリエの母に色々投げつけた本人である女――男? 女――だ。


「最悪。特に胸が苦しい」

「そうねえ、あんた顔は割と普通だけど、体つきはいい線行ってたものねえ」

「なんだその上から目線、あたしの方が年上で、だから体つきは元々いいはずなんだからな!」

「胸と尻がでかいところで雰囲気があれじゃあね、色気は壊滅的。宝の持ち腐れだったと思うわ」


 キリエの素直な不満や反発を受け流しつつ、受け流すのかと思ったらかなりの部分挑発を入れつつ、からからとその人物は笑う。男装した従者はしばし記憶をたどって考えを整理してから尋ねてみた。


「あんたは……ハノン? 店主にはそう名乗っていたはずだ」

「そうよ。よく聞こえる耳をちゃんと活用していたのね」

「イライアス、レィン、ハノン……あと確か、もう二人いたはずだな。あんたのやってることが演技じゃないって言うなら、たぶんあんたたちは、その……入れ替わってるんだ。一つの身体を皆でわけあって、それで役割分担して交代交代に出てくるんだ」

「思ってたとおりなかなかいい勘しているみたいね、記憶力も優秀」


 ハノンは上機嫌そうにうなずき、キリエを側に手招きする。そこは彼女のベッドの中だった。キリエは戸惑って部屋隅のバダンに助けを求めるが、主が積極的に何かしたがっている場合先輩従者はまったく助けになってくれないことを実証したのみだった。覚悟を決めて寝台を覆う垂れ布をめくり、主の前にすとんと腰を下ろす。そこまで待ってから、ハノンと名乗るレィンはにこやかに口を開いた。


「せっかく増えてくれた従者さんなんですもの、サービスはたっぷりしてあげるつもりよ。晩ご飯にはどうせ遅刻するつもりだったし、誰かが呼びに来るまでアタシたちのことを軽く説明しちゃうとしましょうか」


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