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卵7

 そのときのキリエは、レィンの豹変にこそ――何せ図太い事が取り柄だったもので――結構早い段階から順応していたが、彼と自分がどういう状況と立場にあるのかということはさっぱりわかっていないままだった。

 けれどいやみったらしい忠告を忘れなかったおかげで、どうにかその場を切り抜けることができたのだと、後で思い返した時に振り返る。


 バダンの真似をしてひっついておけ、あとは余計な事を一切喋るな。


 言われたままに、近くのバダンに促されるまま黙って頭を下げていると、少年王はそれでよかったらしく、あっさりもう用はないとでも言うように手を振った。

 バダンに引っ張られて彼女はぎくしゃく歩き、再び壁と同化する作業に戻る。


 無口な従者は基本的に、たとえば止まれとか歩けとか、すぐにわかる簡単な身振り手振りでわかる指示しか出してこない。従うのは楽だった。レィンがイライアスになった瞬間、彼女――じゃなかった、彼の周りに群れる人間が増え、見慣れないこちらに不躾な視線をよこしてきたこともあったけど、バダンと同じ姿勢を黙って続けているとそれ以上話題にされることもない。

 というか一部の人にはそもそも存在を認定されてすらいないようだった。そちらについてもキリエは特に文句はない。貧民街出身にはいつも通りすぎる対応だ。賢いか分別のある人とは不快な相手を無視するもので、不快だから排除という行動を取られない限り、案外お互いに平和を保てるものなのである。変に攻撃されるよりは無視される方がよっぽど気楽でいいと彼女は思う方だった。


 それにしても、と歩き出した人の群れに続きながらキリエは考える。


(黙ってるのはいいけどさ、いつまでやってりゃいいんだ。あのクソムカツク奴はもう一度レィンが出てくるまでって言ってたけど……つまり、今はすごーくいかにも偉いお貴族のご子息様って感じになってるあいつが、また女の子みたいな雰囲気になる時を待てってことなんだろう? もうちょっと時間を予想できる材料をくれてもよかったじゃないか、一日以下なんだか数日かかるんだか数ヶ月以上するんだかわかったもんじゃない――まさかとは思うけど、年単位で機会がやってこないなんてことは、さすがにないよな?)


 キリエは彼女――彼? に拾われたわけだが、キリエ自身もまた選んで拾ってもらったわけで。こんな難儀な人物についていくことを決めた自己責任と言われてしまえばそれまでだが、いきなり喋ったら死ぬとだけ申し渡されて放置されるのは、酷すぎる仕打ちのような気もひしひししてくる。だってわからないことだらけなのだもの、色々質問したいのに誰に尋ねたらいいのかどころかそもそも口を開くなと言われたらもうどうしようもないじゃないか。


 にらみつけても、相手がこちらに振り向くはずもない。というかそもそももし向こうがこっちを見ていたのだとして、彼女の方からはあちらの様子が見えないのだ。少年は今、姿の見えないように覆いがされた輿の中で、屈強そうな男達にぐるりと周囲を取り巻かれて運搬されている。完全に、どう見ても、そこらの庶民が迂闊に声をかけてはいけない雲の上の人だ。出会ったときから察知はしていたのを、改めてこう言う形で示されるとやはり何か感じるところはある。もし、今の状況で腹を刺された貧民が目の前に飛び出してきてもきっとこの少年なら無視を決め込んだだろう。自分は本当に運が良かったのか、あるいはとんでもなく悪かったのか。関わった相手の身分が未だ確定できていなかった彼女は冷や汗を浮かべつつも、牛男にくっついて大人しく従順なポーズをとり続ける。




 わざわざ名乗ってもらっておいてなお少年王を王と把握できていなかった鈍く無知なキリエにも、大勢の付き人と共に仰々しく大通りをそぞろ歩き、当然のように王都の中心に向かい、いくつもの門番がぎょろりとにらみをきかせる立派な門をくぐると、これってもしかして王城が一行の目的地なのでは? この人実は王家の関係者なのでは? とようやく思い当たり始めた。

 傍らのバダンや、腰の中のレィン――いや、イライアスだったっけ、どちらが本物なんだ、ややこしい――を問い詰めたい気でいっぱいでも、周囲が皆私語厳禁の様子で歩いているので、迂闊に声を上げるわけにもいかない。


 そのうち、輿は馬鹿みたいに大きい建物の前で止まり――と言ってもその頃には、周りを見渡せば皆歓楽街の大店よりさらに上なんじゃないかというような建物ばかりが、ずらずら並んでいたわけだが――腰の中の人物が降りてくる。


 すると少年が入っていく建物の中にも大勢人が待ち受けていて、少年を出迎えて付き従う。どうやら同じ付き人でも、担当区画というか、何かが違うらしい。

 きらめく少年を先頭に、皆それが当然という様子でぞろぞろ行列を続けていく様子は、縁のない元貧民には異様な光景だ。気持ち悪いな、という正直な感想を飲み込んで、彼女もまたその列に加わる。




 彼は迷いなくすたすたと室内を――室内と断言するにはやたら開放的だし、広さがとんでもなかったが――歩いて行く。ところが少年に合わせて進むだけだった行列が急に止まる。少年はその先の、他の人に開けられた扉の向こうに入っていこうとするのに、一行はぴたっと停止してしまった。面食らって止まりかけるキリエだが、バダンも気にせず歩いて行くのを知ると慌てて追いかける。


 今度の場所は、ちゃんと部屋と呼べるような形をしていた。少年とバダンと自分の他に、たぶん少年を世話する担当なのであろう数人が部屋の中に控えている。


「これは大きな独り言だが。ここは私の私室だ。本来ならこの時間はまだ公務をしに別の場に顔を出しているべきなのだが、今日はひどく気分が悪いのでな、休ませてもらうことにした」


 行列から外れて部屋に入った二人の後ろで扉が閉まるのを待ってから、少年はくるっと振り返って言い放つ。堂々と言っているが少年はそこまで酷い体調のようには見られない。さっきだって町で遊び歩いていたんだし。

 つまり偉そうに言ってるが、思いっきりサボりってことじゃないか。

 呆れている彼女をよそに、少年はぐるりと部屋の中を見回し、キリエのことを指さして言う。


「この者は新しく私の従者にすることにした。皆、そのつもりで心得るように。最初は無礼や常識知らずだらけだろうが、慣れるまで大目に見てやれ。私が許可する」


 ここってたぶん王宮だろうに、そんなことして王様に怒られたりしないんだろうか。というかこいつ本当に何者なんだろう。


 未だ少年の正体をわかっていないキリエはずれた心配を続けていた。

 もしかすると、わかってしまったら精神衛生上ダメージを受けることは確定なので、積極的に真実から目を背ける思考回路をしていたのかもしれなかったが。




 ともあれ、そんなわけでキリエはイライアス二世の従者となった。

 ――侍女ではなく、従者となったのである。

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