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籠の鳥の卵が割れるまで  作者: 鳴田るな
愚者編 中
55/99

愚者3

 視界がぼやけた気がして顔をしかめた。何度か意識して強く瞬きし、こめかみや眉間の辺りも揉んでいると、横合いからからかうような声が飛んでくる。


 目を気にするなんて親方、大丈夫ですか。先代と違って神経質にじーっと眺めてたことなんかないくせに。

 見なくても仕上げられるんだから別にいいだろうが。

 元気が取り柄な親方がしょぼくれてると俺たちまで釣られて手元が狂いそうだよ、ボケてないでしっかりしてくださいよ。

 何を言う、僕はまだ若い。最近寝かせてくれない人がいてね、そのせいさ。

 おかみさんに聞かれたらまた家に入れてもらえなくなりますよ。

 わかったわかった、立ち直りついでに今晩おごってやるから、君たちは是非告げ口しないで目の前の仕事に邁進してくれたまえ。

 親方! あんたやっぱ最高だ! 一生ついていきやす――!


 適当にこちらも冗談で返しておいて、笑いが取れた隙にそっとついでに手の下であくびをかみ殺した。


 親父の代と違って作業場の人は増えた。僕が親父と違って来る者拒まず派だからだ。昔はなんでもかんでもぎちぎちの世襲が決まり事で、いやだろうが才能がなかろうが家業は子どもが強制的に継ぐものだったらしいが、今はもう少し職業選択の自由が利く。なんにでもなれるとは言わないが、よっぽど馬鹿をやらなければ何かを手につけ日々をしのいでいくことはできる、それが庶民の生き方だ。


 眼精疲労の原因は明白だ。連日夜中に家人が寝静まったのを確認しては解読に励んでいる、あの手記のせいである。しかし内容の上に書き手があの人物なのだから、たとえどんなにか読みづらくても夢中になってしまうのは仕方ないと思う。


 作業中はいったん頭の中から追い出して、仕事が終わったら約束通りに弟子達を酒場で遊ばせてやりながら、ぼんやりと思考をくゆらせる。



 書き手は最初に、自らをイライアス二世と名乗った。

 イライアス――誰だって知ってる。人気者、有名人なんてものじゃない。特に二世の方は、実際生きていた時代から約二百年程度下った今でもその名が飽きずに語り継がれ続けている――庶民の飯の種、ゴシップネタとして。

 短くまとめるなら人気の理由は二つだ。高貴な美形で、悲惨な死に方をした。庶民はそういう話に弱い。


 イライアス二世。別名、悪徳と悲劇の少年王。アレサンドロ王国マリウス朝最後の王。

 在位期間はわずか五年。それも九つの年から、たった十四歳で毒杯をあおるまで。

 ろくに成人すらしていなかった少年王の悲劇は、周囲の人間に恵まれなかった外的要因と、本人の無能の内的要因の二つに、混乱期にさしかかった王国の時代背景が重なった結果であったと一般的には解釈されている。


 少年王の名を聞いて僕たちがイメージする人物とは、見た目だけやたら綺麗なお人形だ。そして子どもらしさが強調される。


 彼は同時代のあらゆる公的、私的記録に、目を疑うほどの美少年だったとつづられている。誰もがその銀の髪、銀の瞳、透き通るような白い肌、人間離れした美貌について語っていた。誇張表現でなければ、見ただけで寿命が延びるほど美しい顔をしていたらしい。どんな化け物だと笑いたくなる表現っぷりだ。

 ところがその優れすぎた外見に神はすべての祝福をささげたもうたか、内面はそれはもう残念な出来だった。父イライアス一世に、その後は臣下達に散々甘やかされたことでますます悪癖は増長。幼さのせいもあったろうが、為政者としての自覚が全く足らず、日夜乱痴気騒ぎの享楽にふけって国政を傾け――最後は責任を取らされて自害した。

 乱を起こしたムロフェリは兵を率いて王の下に乗り込み、薬殺か絞殺か選ぶよう迫った。愚かな少年王は彼の話す意味を理解できず、無邪気に差し出された杯を好物の飲料を出されたと思って飲み干し、そのまま果て、マリウス朝の血筋は断絶した――このあたりが基本知識だ。



 ところが僕の読んでいる手記からは、とても伝承のような子どもの様子は浮かんでこない。

 文面からは確かに書き手の非常に面倒そうな性格が伝わってくるが、どちらかというと理性や知性を備えた上で皮肉っているような感じがある。となると、ちまたの一人では何も理解できずただ周囲の大人の言いなりだった無能――という想像図とは少しずれるところがある。


 また、もっと根本的な疑問もずっと残り続けている。

 そもそもこの文はどこまで本物なのか、誰がいつ何のために書いて、何故一般庶民の端くれである我が家にこんなものがあるのか。

 真実にしては信じがたいが、嘘にしてはしかけが少々大がかりすぎるし配役も解せない。何せ鍵を渡してきたのはあの堅物が歩いて棒に当たるような頑固親父だったのだ。奴が僕に嫌がらせをするためだけにこんなことを? それとも愉快な茶目っ気か? あり得ない。僕がどれだけ親父の真実に不理解があったとしても、それだけはないと言える。


 仮に親父の「代々祖先からついできたものだ」というあの言葉を信じるのなら……それもそれで新たな疑問がわき上がるのだ。

 一体僕たちの祖先は何者だったというのか? 麗しの少年王とどんな関係にあったというのか?



 少年王はもっぱら自らの母親であるリテリアという女性に強い興味を抱いていたらしく、手記の前半はそのことばかりに触れていて肝心の自分についてはあまり語ってくれない。

 焦れる思いで僕が手記を読み進めていっても、リテリアが自らを生むまでのことについては偏執的に述べているのに、それ以上は簡素に断片的にしか記載していない。

 母は監禁中一度も正気を取り戻さず、自分は父と毎日足繁く通ってご機嫌うかがいにつとめ、最後は鳥籠の中で病死した――。

 せいぜいこの程度、まるで言うべき事は言い尽くしたとでも考えているようだった。



 僕が最も興味を持っているのは、よく知らないイライアス一世のことでも、全く知らないリテリアのことでもなく、少年王本人の事なのに――なんて人だ。



 憤慨と落胆を隠せない僕は、ふとまだ箱の中にこれまでとは全く異なる物があることに気がついた。

 ……これは、石版だろうか? また何か文字が書いてある、というか掘ってあるようだ。



 高価な紙を切らしでもしたのだろうか、と少し鼻で笑いながら解読を始めた僕は、すぐにまた微笑みを引っ込めて没頭することになる。




 僕の祖先とは何者だったのか。

 なぜ僕の家に、こんな箱が、箱の中の秘密があるのか。

 そして少年王とは、どんな人物であったのか。


 僕が読み進めていくうち、より知りたいと感じた疑問の答えは――こちらにこそ、刻まれていたのだ。

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