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籠の鳥の卵が割れるまで  作者: 鳴田るな
リテリア編
23/99

鳥6

 床入りの成立とは、もちろん単に共に寝ただけでなく、無事に性交渉が済まされた状態のことを言う。

 さらに古代なら子どもが生まれるまでは正式な婚姻成立ではないという風習すらあった亜人社会、夫婦の夜の相性については非常に大きな関心事だった。

 確認のために立会人がつくこともあれば、翌日に床に散った破瓜の証を示すだけで良い場合もある。

 より厳密で現代的になると、担当の女官ないし医官が前後に診察を行うこともある。

 ともあれ、何らかの形で第三者が夫婦成立を確かめ保証するのが、本来の正式な床入りの作法だった。


 オディロンとリテリアの場合は、そのどれも行われなかった。

 彼らはいたって普通の庶民の夫婦のように放置され、本人達の思うままに任されていたのだ。



 彼らが翌朝起きると、控えの者たちがぞろぞろとやってきて祝いの言葉を述べ、夫婦をさっさと引き離して別々に着替えさせてしまう。

 リテリアは既婚者の作法だと説明され、娘の時は垂らしていた長い黒髪を細かい三つ編みにした上でサイドと後ろに分けられ、生娘の頃にはなかった目元への化粧を施される。



 今までとは少し違う夫人の装いにリテリアが緊張していると、急に人がさっと消え、代わりに別の侍女がリテリアに何かを捧げ持ってきた。

 受け取ろうとして、さっと顔色をなくす。

 侍女がとても見覚えのある人物――目も見えず耳も聞こえずバスティトー二世の私用を忠実にこなす「手」であったからだ。


 硬直するリテリアに向かって差し出され続けているのは地味な箱だった。

 促されるままおそるおそる受け取って開くと、書簡が収められている。

 目を通しているうち、リテリアの顔がなんとも言えない様子に変わっていくが、「手」には伝わりようがない。



 ***



 昨晩はよく眠れましたか。きっとそうでしょうね。


 本来なら憂いて嘆いて心配しておくべきところなのですが、元々お前の夫にはそちらの方をあまり期待していません。

 好きにしろとだけ伝えてあるので、自己判断でなんとかするのでは。いい大人なんですからね。


 一応もう準備の時に言っておくことは言い切ったつもりですけど、閨の作法については何も教えていなかったので、ここで補足しておきます。


 二十までは難しいことを考えずとも良い。

 快く健康に過ごし、わからないことがあったら夫や先人達を師になさい。

 お前の夫は堅物ですが、その分忍耐強い。恐ろしがらせることはしないでしょう。


 二十を過ぎて結婚生活に不満か不安を覚えた場合、まず信頼のでき、出産経験のある既婚女性に相談すること。

 可能なら一人ではなく、複数からそれとなく聞き出すのが望ましいでしょう。

 偏向を盲信してしまってもつまらないですから、あくまで一例としてのみ話を聞いておきなさい。

 こういうことに絶対の正解なんてありません。


 どうしても心あたりがなければ、わたくしに書を送ってきても構いませんですが、あまり良い手ではないでしょう。

 必ず返信を届けられる状況かどうか疑わしいですし、送れたとしてお前の必要な時に間に合うかわからないですから。



 口頭でもそれとなくほのめかしたつもりですが、改めて言っておきます。

 お前が成人し、ロステムが正式に即位した以上、母は今までほど頼りになれません。

 もういないものぐらいに考えておきなさい。


 なお、二十になったお前がすべてを理解した上でお前が夫との深い関係を望むのなら、女が慎ましくある方が好ましいのは日の出ているうちだけです、とだけ経験者が言っておきます。

 こればっかりは相談して親密さを深めるより、開き直ってさっさと襲った方が解決が早いです。

 男なんか咥えて立たせて乗っかっておけばどうにでもなります。必要なら縛りなさい。


 また、すべて理解した上で現状維持を望むのなら、お前達は何ら自分を恥じることはない、それでよい。

 世間は結婚した以上なんやかやとうるさいかもしれませんが、そういう夫婦の形があってもよいでしょう。

 少なくともバスティトー二世は二人を認めましたし、祝福します。

 自信がなくなったら思い出すように。


 それと、もし二十歳になったとき離れたいと言うのなら、それもある種当然のことですから止めはしません。

 ただ、二心が明るみになれば周囲の信頼を失うのが世の常です。特に女の場合は。


 心が思うままにならないのは仕方ないし、わたくしもすすめはしませんが、するなとまでは言いません。

 もしそうなってしまったのなら、どうなりたいかとどうなりたくないかを考えなさい。

 それでどん詰まりになるようだったら、もう夫に正直に言っておしまいなさい。

 残酷ですが、それもある種の誠実です。



 さて、これで本当に言い残したことはないはず。

 わたくしの言葉の意味は、そのときになったらわかります。

 心の片隅にでもこっそりとどめておきなさい。


 遠くから、お前の幸せを願っていますよ。

 身体に気をつけて。



 母より






 最後に


 もし本当に、すべてどうにもならなくなったなら、秘密の扉を開けさせなさい。

 お前が選ぶための鍵を残しておきます。

 きっといつか、機会はやってくることでしょう。



 ***


「お母様……」


 追伸の部分までしっかり何度も目を通してからリテリアが鼻をすすると、読み終わったのを見計らったように「手」が再び両手を差し出してくる。


 戻せと言うことだろうか、と返すと、「手」は何やら懐から取り出して――娘が気がついて止める前に、あっという間に紙を燃やしてしまった。

 呆然とする彼女を置いて、「手」は去っていってしまう。


「待っ――」


 かけようとした言葉を、娘は他の付き人が戻ってくる気配を感じて飲み込んだ。


「奥様。お支度は済みましたか」


 手を握りうつむいていると、部屋の入り口から気遣うような言葉がかけられた。

 答えるために、大きく息を吸う。


「ええ。もう、大丈夫です」


 部屋を出て行くリテリアはもう、凜と姿勢を伸ばし振り向こうとも下に視線をずらそうともしなかった。




 結婚式三日目、この日は午前中にもう一度神殿に立ち寄って婚姻が完全に成立したことを確認し――新婦の方は知りようがなかったが、奇妙なことに床入りの件についてはすっかりすべて為されたこととして処理がされ、受け入れられていた――それが済むと、昼は王都の市街を盛大な行列で練り歩き、民に夫妻のお披露目をする。


 幸運にも雲一つなく晴れた日だった。

 沿道から万歳の声が聞こえると、リテリアは微笑みを浮かべて応じ、オディロンはぎこちなく顔を引きつらせて馬車から手を振っている。


「旦那様」


 気遣うように妻が声をかけると、苦笑してから彼はふと首をかしげる。


「……何かございましたか?」


 妻はしばし迷ってから答えようと唇を開くが、大歓声の中に声がかき消える。

 彼女は民に笑顔をふるまってから、夫に身を寄せてささやいた。


「後でゆっくりお話ししましょう」


 オディロンはリテリアに近づかれると少し身を固くしたが、彼女の声を聞き届けると穏やかに笑った。


「そうですね……時間は、ありますから」


 けれど一瞬抜けた力は、すぐにまた大勢の人のざわめきを思い出すと戻ってしまい、年の取った夫をこちこちの石像にしてしまうのだった。




 民へのお披露目までが終わると、王都から少し離れた場所でもう少し動きやすいように格好をととのえてから、その日のうちにいよいよ夫の領地へと出発する。


 ネィメンの領地は宮殿――王都から一週間ほど移動した場所にあると言う。

 旅に慣れた人間が移動すれば三日程度でたどり着くことも可能らしいが、初めて外に出る花嫁を連れてのことなので、移動の日程には少し余裕を持っているらしい。


 宮殿から出たことのない妻は道中あらゆることに目を丸くしては夫の袖を引っ張って質問攻めにしたが、彼は嫌がる事もなく穏やかな表情で真面目に返す。


 夫婦というよりはまるで親子、いや祖父と孫のようにすら見える二人だったが、仲むつまじいことは誰の目にも明らかだった。


 バスティトー二世の秘蔵っ子、気の進まない結婚と聞いて危惧していたオディロンの部下達も、幼さをみせながらもたまにはっとして妻らしさを勤めようとする新妻をほほえましく思い、あっという間に好意を得たようだった。


 旅は目立った困難に見舞われることもなくおおむね予定通り――途中、はしゃぐ妻のために夫が少し寄り道をしたりと言ったことはあったが――に終わりに近づくと、控えめにオディロンは言った。


「ここが、臣の領地でございます。お気に召しますかどうか……」


 するとぐるりと大麦畑の広がる静かな光景を見回して、リテリアはにこりと微笑んだ。


「私、きっと好きになれると思うわ。あなたの住んでいるところですもの」


 年老いた夫は目を見開き、何やらもごもごいいながら離れていってしまった。

 きょとんとする妻の周りで、人々がこらえきれないように静かな笑い声を漏らしていた。





















 このまま時が止まったなら、鳥も幸せでいられただろうに。


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