小鳥11
何も言えずガタガタと震える娘を、しばし微笑みを浮かべて見つめ続けた後、バスティトー二世は息を吐き出し、やれやれと言うように肩をすくめて首を振る。
「仔猫ちゃん。そんな態度では実質あなたが何をしたか、わたくしにそのまま示しているようなものではありませんか。公人としては、こういうときはまず深呼吸してじっと相手の目を見て微笑んで、『まあお母様、一体何のことをおっしゃっているの? 私ちっとも心あたりがありません。この布はなんですか?』ぐらいは言ってほしいところですね。その辺はロステムはもとより、ララティヤやルルセラですら、お前よりはるかに優れていますよ。あの子達は、先に己の非を認めるということが何を表すのか、わたくしがわざわざ懇切丁寧に説明してあげなくても本能で悟っているのでしょうからね」
そうやって軽やかにだめ出しをしながら、バスティトー二世は投げて寄こした布きれを拾い、手際よくたたんでいる。
リテリアは掛け布団を握りしめる自分の両手を見つめたまま、顔を上げることができない。
「まあ、教育しなかったのはわたくしですし、こういうときに申し訳程度の取り繕いすらできない仔猫ちゃんだからこそ、わたくしはお前が可愛くて仕方ないのですけど。それで、リテリア? お母様は一応お前の話を聞こうと思って今日ここに来たのですけど、何も喋らなくていいのですか?」
言葉は疑問の形を取っているが、リテリアが喋ることを――おそらく申し開きをすることを期待されているのだろう。
リテリアは震える唇を動かす。
「――どう、して」
しかし素直な彼女がまず最初に口にしたのは、己を守るための嘘でもなく、母に対する謝罪の言葉でもなく、素朴な質問だった。
皆まで語らずとも、バスティトー二世は娘の言いたいことをくみ取って答えを返してくれる。
「わたくしにわからないことなんてないんですよ、仔猫ちゃん。――あら、お馬鹿さんね。そんなわけないでしょう。このわたくしにだってわからないこと、どうにもならないことはいくらでもありますよ、ばかばかしい。まあ、けれど今回のことにだけ限定するなら、お前の事を見ていれば鍵に興味を示しだしたのなんてすぐにわかりましたから。その後少しだけ手を回して、何かが起こるまで放置していただけのこと」
「どうして、そんな――」
「あえてお前を罠に嵌めるようなことをしたのかと? 何者も立ち入らせたくない神域なら、何故手を尽くして未然に防ごうとしなかったのかと? 仔猫ちゃん、お前と同じですよ。わたくしは興味があったのです。お前がなすことに、それに我が君がどう応じるかということに、そのときわたくしが何を思うのかということに。わたくしの興味関心を満たすために、試してみようかと思ったのです。別にそれ以上複雑な理由はありませんよ」
リテリアは母の落ち着き払った言葉を聞いているうちに、身体の震えがますます大きくなっていくのを感じる。
少し前までなら、母のいつでも冷静で朗らかな様子はリテリアに安心をもたらした。彼女は保護者、リテリアに害をなすことなんてなかったのだから。
ところがリテリアは今回母を裏切った。
母がそれだけはしてはいけないと言うことを破った。
きっと怒り狂っているはずである。普通なら、少なくとも信頼を裏切られた事に傷ついているはずである。
――それなのに、こんなにも彼女は静かだ。静かすぎる。
リテリアはようやく自分が一体何に対して怯えているのか自覚し始める。
金縛りに遭ったように動けずにいた身体が動いた。
首が母の方を向く。開いた目から情景が入ってきて、表情を観察し、うかがう。
バスティトー二世は微笑んでいた。そこからは一切の負の感情の類いを感じることはなかった。
「許してお母様――ごめんなさい、リテリアを許して、私――」
瞬間、リテリアは弾かれたように動き出す。
布団をはねのけ、寝台から飛び降り、母の裾に取りすがった。
母は邪険にはねのけたりすることはない。どころかむしろ娘をあやすようにかがみ込んで抱きかかえる。
「お母様、私、私――」
半狂乱になって謝罪の言葉を繰り返すリテリアのあごに、すっとバスティトー二世の優美な手が添えられた。
リテリアは反射的に黙り、母の金と銀の美しい瞳を見上げる。
「愛しい仔猫ちゃん。わたくしは言いましたね? 散々言い聞かせましたね? それだけは駄目ですと。それだけは破ってはいけない約束ですと」
「お母様――」
「取り違えられてもつまらないから言っておきますけれど、わたくしね、別に怒っているわけではないのですよ。だって予想していたことなんですもの、憤りようがないでしょ? それにこの結果にかなり満足しているのです。ええ、まったく、すべて予想通り」
喉を優しく撫でられる。まるで鋭利な刃物でも突きつけられているような心持ちだった。
母の美声が耳の奥、頭の中まで響いて通る。
「でもね。残念ながら、あそこに入ってはいけないのは、昔からの決まり事なのです。不届き者は罰するのは道理。してはいけないことをしたなら報いを受けるのが道理。それにねえ、聞き分けのない子にはお仕置きをしなければならないでしょ? ……ねえ、だからね、仔猫ちゃん。可愛くて大好きなあなただから、選ばせてあげましょうね」
バスティトー二世の手が慈しむようにリテリアの顔面を撫でた。
彼女の両手が、幼い娘の頬を包むように覆い、そしてその二つの黒い瞳にじっと熱い視線を注ぎ込んだ。
「右と左、どちらを残したいですか。さ、自分で選んでご覧なさい。可愛いお前の言うことですもの、お母様は聞いてあげますとも」
瞬きもせず、二つの眼球をのぞき込んで、バスティトー二世はにこやかに娘に問うた。
可愛い可愛い仔猫ちゃん。
いつもと何も変わらない美しい微笑を浮かべたまま、そうやって母は娘に、どちらの目を抉ったら良いか――視察先から帰ってきたときにほしいお土産は何が良いか、と全く同じような調子で――尋ねてみせたのだった。




