ソクラテスの弁明
プラトン著「ソクラテスの弁明」「クリトン」を読んだ。
これはソクラテスが弾劾され、裁判の場で弁明を行うという訴訟記録のような物だとまず思った。
ソクラテスは賢人であるため、言葉から憤怒のようなものは感じられるものの終始論理的に述べる。
しかし有名な「無知の知」でも知られる冒頭の部分で、彼は自分の冒した行動がきっかけで多衆から嫌悪をかっていると自覚している。
その時、私は思った。どれだけ論理的で正しかろうと、それではきっと助かるはずはない。愚かな多衆の圧力の力により、白は黒に染まってしまうに違いないのだと。
だが読み進めていくうちに、彼の賢人ゆえの思想に触れ、そして根拠や無実の根拠もあきらかになっていき、私はソクラテスが無実なのではと思い始めていた。
しかし結局は、多数決により死罪となるのである。
最後までソクラテスは、賢人としての生き方、死にざまを貫いていた。
対して自己を振り返ると、近頃は大衆に意見を流され、感情に流されたような安易な報復行為に出るなど、別に私はソクラテスになりたいわけではないが、自分が決して愚かな人間ではない者であると信じたい者としてふさわしくない行動が多かったような気がする。それは日々精進すべきであるだろう。
一つ残念なのは、やはり人間の根幹は数千年前から何も変わっていないという事なのだろうが、それよりも肝心なことがある。
それは自己の信念を見つけ、大衆になどに揺らぐことなくそれを貫きとおすことなのかもしれない。
きっとそれは、とても難しいことなのだろう。




