12 EX 獅子公爵 1
リベルタたち一行が、全力で沼竜を狩るというこの世界ではありえないレベリングを開始して数日後の話。
日々、職務をこなすエーデルガルド公爵の手元に一通の手紙が届いた。
「グリュレ子爵家からだと?」
「はい、ご判断を仰ぎたいとのことで」
その手紙を持ってきたのは、エーデルガルド家に長年仕える老執事で公爵自身からしても信頼の厚い人物。
リベルタが公爵家に逗留する際には彼に手配を任せれば安心と思うほどの信頼を寄せている。
実際、平民の子供であるリベルタを本館に泊めることに関しては家人から反対意見が多数出ていた。
それを不平不満を残さず説得してみせたのもこの老執事の手腕だ。
「中身は見たか?」
「いいえ、ですがこのタイミングで考えられるのは件の子供のことかと」
「であろうな、何か問題が起きたか」
その執事が直接手渡しで持ってきた手紙は重要だと判断した公爵は、進めていた仕事を中断し手紙を受け取り自らの手で開封した。
「……」
「閣下?」
読むのにそこまで時間のかかる量ではない。
元々事務作業も淡々とこなすことのできる公爵が、じっくりと何度も読み返している様が異常であるというのは長年公爵家に仕えてきた老執事にはわかった。
「ロータスよ」
「はっ」
ゆえに、自身の呼びかけに応じてくれた主人の言葉にすぐに反応し、どのような指示にも対応してみせようと覚悟を決めて、老体らしからぬはつらつとした返事をした。
「沼竜の素材というのは簡単に手に入る物か?」
「……市場においてというのであればそう簡単に手に入る物ではありません。飛竜や這竜でしたら時には出回りますが、沼竜となるとオークションでごく稀に見かける程度かと」
主人の質問は奇妙な質問だった。
沼竜という存在は、上級の冒険者であってもおいそれと倒せる魔物ではない。
それは公爵自身も知っている話だ。
強さもさることながら、最も厄介なのは主戦場が水中であるということだ。
注意を引き陸上におびき寄せても、あっという間に水の中に戻ってしまうことから討伐報告は一年を通すどころか、十年に一度入るか入らないかの話。
素材の有用性から、それを欲するものが後を絶たず、オークションで毎度金貨の山ができるほどだ。
「!まさか件の少年が沼竜の素材を欲していると!?」
そしてなぜそんな質問をしてきたか老執事が考え、そして察した。
エーデルガルド家には二人の娘がいる。
一人は長女エスメラルダ・エーデルガルド。
もう一人は次女のイリス・エーデルガルドだ。
エーデルガルド家は、リベルタという少年に娘二人の命を救われている。
娘二人を愛していると言うだけでは足りないくらい、溺愛している公爵にとっては大きすぎる借りだ。
エスメラルダ嬢を救うために少年の身でありながら這竜という強大な存在を討伐し、そしてなおかつ重篤な病のイリス嬢の命を救うための希少な素材を譲るという判断も下した。
その借りを返すために、少年が沼竜の素材を要求してきたというのであればと老執事はエーデルガルド公爵が何度も手紙を読み返し、反応するのに時間を要したのに納得ができた。
即座に老執事の頭の中に公爵家の財政、そして素材を入手するための手段がはじき出された。
「いや、逆だ」
「は?逆とは」
ギリギリ財政を脅かさない程度の損害で済むかと老執事が判断を下す前に公爵は首を横に振った。
「やつめ、さらにこちらに貸しを作るつもりか。沼竜の素材が手に入るから必要かと確認の手紙を送ってきおったわ」
「……御冗談を」
「冗談でお前が選定した監視役から直筆で手紙が届くと思うか?」
そして出てきた言葉に、一瞬理解が及ばず、つい公爵の冗談かと思ったが公爵自身も半信半疑、いや、リベルタならやりかねないという根拠のない実感から苦笑を混ぜてこれが真実だと読んだ手紙を老執事に渡した。
「……これが真実ならば、あの少年は竜を倒すことができることになりますが」
「実際に這竜を倒している。それが安定してできるかできないかの差だ」
「そうなりますと、我々は竜を狩ることができる少年とつながりを持てたということになりますな」
綺麗な文字で、言い回しも貴族が見ることを前提とした文言。
それを書いたのが誰かはすぐに察することができた。
もし仮に、この手紙の差出人がリベルタの監視役であるイングリット・グリュレでないのであれば老執事は絶対に公爵の手元に届けなかった。
ゆえに、この手紙の信憑性は跳ね上がり、そして。
「ロータス、仮にだ。竜を狩ることができる人間を敵に回したらどうなると思う?」
「良いこととは言い難いとしか言えません。戦うことを避けることを私は具申いたします」
「取り込むことは?」
「彼の立場を考えれば要らぬ争いを生むことになりかねません。わずかな時間でしたが、見てわかりました。彼は貴族の地位を望んでおりません。しかし閣下とのつながりも関わりも持たないように避ければ、それもまたその方が争いを生むとの判断からこそ妥協でこの距離感を選び、監視を受け入れたのかと。下手に懐に囲い込もうとすれば我らは竜のような末路を辿る可能性もあります」
「私も同意見だ。だが、周りはどう見る?奴は金の卵を産む鶏だ。その魅力に目がくらみ、下手な接触をして奴の機嫌を損ねるかもしれんぞ」
その信憑性が問題だ。
老執事の脳裏によぎった沼竜素材の高額な予算。
それが丸々手に入るかもしれない代物を献上、あるいは売るという話をリベルタという少年は持ってきている。
「そうさせないために、こういった手紙を送ってきたのかもしれません。災いを避ける傘の役目としての代償と」
「……はぁ、そうであろうな。私もそう思う」
その理由を考えれば、おおよその予想はできると老執事は考えを披露しそしてその思考は公爵もたどり着いている物だった。
「聡いのは良いが、些か以上に使い勝手が悪いな」
「では、取り込みますか?」
「やるとしたら徹底的にだ。最低でもイリスとの結婚を確定させ、あの少年にこの椅子をくれてやらねばならんだろうな」
「婚約者のいるエスメラルダ様に任せるわけにはいきませんから、イリス様に任せることになりますか。ですが流石にそれはできませんな」
「ああ、価値があろうとも公爵家をくれてやると思えるほどではない。こういう時は適当に男爵や子爵の地位をくれてやることが定番だ。だが、それだけだ。奴は、どういうわけか貴族社会の苦労を知っている。地位とその苦労を天秤にかければ、苦労が勝り、地位などいらないと豪語するだろうな」
だからこその、この距離感なのかもしれない。
現状リベルタという少年を物理的に殺すことはできる。
人を集め、貴族の地位を盾に強権を振りかざせばいかに知恵のある少年であっても倒すことはできる。
だが、それはできるというだけの話だ。
やるとすれば不意打ちの暗殺一択。
しかし、その手段もあの少年なら察知し姿をくらまし、恩を仇で返したエーデルガルド家に恨みを持ち復讐するという可能性を考えると、確実に敵対したと確信した場合でないと取れない。
首輪という意味の監視をつけてはいるが、公爵と老執事の手元に来ているその監視役からの定期報告は本当に日常のありふれた内容を記載するだけで、欠片もリベルタの秘密に関しての情報を上げてこない。
「手ごわいですな。外堀を埋めようにも彼には身内は今ともに過ごしている少女が二人だけ、地位に興味がなく、金子は自力でどうにかなり、女に関してはどうやら手を付けていない様子。そして竜を狩ることができる実力」
「つなぎとめているのは、奴の感情と常識のみ。弱点はあるが、それを突けばどうなるかわからん」
「まるで竜の巣に手探りで潜り込んでいる気分ですな」
「冗談にしては笑えんぞ」
それがどういう意味なのか、二人は察することができる。
生真面目なグリュレ家の人間にリベルタの監視を任せたのは、下手に野心を抱かない人材だからだ。
言われたことを淡々とこなす。
応用は利かないが、確実性はある。
リベルタとの距離感を測りかねている二人からすれば、本当に必要最低限の仕事。
監視だけを行ってくれれば問題はなかった。
情報収集は、別の人材が行っているからそれでいい。
「影に少しでも余裕があればいいのだが」
「生憎と別件で忙しいですな。彼の少年はこちらには友好的です。彼に常に張り付けておけるほど監視対象の他の家は優しくはありません」
公爵にとってはリベルタという少年に悪感情を抱いてはいない。
むしろ、逆に好感を抱いている。
娘の命を助けてくれた上に、さらには王都の危機も救ってくれた。
さらに自分の立場を理解し、適度な距離感を取ろうとしてくれている。
ここにきて、竜を狩ることができる実力も判明した。
出世欲だけ無駄にあり、実力がなく、野心にあふれる配下の貴族たちに爪の垢を煎じて飲ませたいと思わせるほどだ。
唯一の欠点は、彼の正体が謎に包まれすぎているということ。
リベルタという少年はおそらく孤児だ。
ゆえにその出生が謎に包まれていて、そして、その出生が謎であることが問題なのだ。
公爵自身からすれば、彼の知恵の内容よりもある意味でそちらの方を問題視している。
「彼の出自に関しては未だ掴めておりません。親は生きているのかいないのかすらも。わかっているのはここ最近のことだけです。彼の行動が明確にわかるようになったのはネルとアミナという少女二人と行動を共にし始めたころからです」
「調査報告にあった獣人族の少女のことだな」
「はい、二人の出生はすぐにわかりました。背後に貴族や妙な組織とのかかわりもなく綺麗なモノです。ですが」
「やはりあの少年だけが問題か。他国の貴族家の出身でないことを祈るほかないか」
「もしや、どこぞの家の貴族が行きずりの女性を妊娠させた子供という可能性も」
「ありえんと断言したいが、こればかりはな」
「もし仮に、そうだとして、認知しなかった家は愚かですな。あれほどの才を持つ子供を手放したのですから」
「アレを才の一言で済ませて良いとは思えんがな」
善良性という部分で言えば、リベルタは中庸だと公爵は思っている。
良くも悪くも、善性と悪性を兼ね備え。
正義感に酔うこともなく、悪に染まることもない。
そんな存在だからこそ、彼自身よりも背後関係の方が公爵にとっては重要になっている。
もし仮に親も無し、縁戚も無し、天涯孤独というのであれば、公爵にとってもやりようがある。
だが、もし仮に嫌な紐付きであるのなら、その紐に警戒しなければならないのだ。
「ひとまずは、協力関係は維持する方針で様子見をするほかないな。ロータス、鑑定士の用意をしておいてくれ。もし本物の沼竜の素材だというのなら我が家の糧となる」
「かしこまりました。予算の方も確保します」
「ああ」
今回の話は、ひとまずはこれでまとまった。
怪しいところはあるが、危険視とまではいかない。
「そう言えば、王家の方から神託の英雄を探すように言われておりましたが、リベルタ少年がもしやその英雄なのではと、私は愚考いたしますが」
「その可能性も考えている。それを踏まえて下手にここで英雄の可能性がある少年を見つけたと王家に言ってみろ」
「大騒ぎで、すぐに調査の手が伸びますな」
「そうなればどうなる?」
「彼のことです、なりふり構わず逃げ去る未来が見えますな」
「ゆえにお前も彼の情報に関しては徹底して伏せろ」
「かしこまりました」
むしろ公爵は、彼の少年の生活の安全を保障した方が公爵家の利益につながると判断して行動を起こしている。
リベルタからしたら、ここで有用な素材を送れば恩に着てくれるかなぁ程度の思考が、ここまで深読みを生んでしまって、生活の安寧につながっていると誰が思うか。
「最後だが、手紙に竹槍を返してくれと書いてあるがこれはなんだ?」
「はて、心当たりはありませんが、なぜそのようなことを?」
「……もしや、我が家で保管しているのか?」
「いえ、あの時当家に招いたときに預かったものの中には竹槍はなかったはずですが」
リベルタの沼竜の素材の買い取りに関しての対応が決まり、そして今後のスタンスも決まった。
これでひとまずは大丈夫だと思い、最後に一番優先度の低い話を持ってきたが。
「「……」」
何故か無性に嫌な予感が、胸騒ぎという形で二人の心に響いた。
「ロータス、エスメラルダを呼べ」
「かしこまりました」
手紙に書くほど、彼にとって重要な物をエーデルガルド家で預かっている。
そして返していないとなると、彼の心情的印象に悪い影響が出ているのではと共通した認識を持った。
公爵の迅速な指示で、事情を知っているであろう可能性がある長女の下に速足で老執事は向かうのであった。
「何もないでくれ」
そんな切実な公爵の願いは、悪い意味で裏切られるとこの時は思わなかったのであった。
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