19 EX 精霊たちの恩返し
精霊たちは退屈をしていた。
ただただ、自然を平穏に保つ。創造神から与えられたその役割を惰性のように続けていた。
それ自体に精霊たちは不満は抱いていなかった。
生活に変化を求めていたと言えば求めていたが、必須ではなかった。
そんな在り方は、精霊たちに時間という概念を忘れさせた。
昨日という感覚が時には数十年になり、一度眠りについて目覚めれば、知っていた人間の幼子が子を成し孫ができていたということもある。
人はあっという間に変わる。
されど、精霊という存在はそう簡単に変わらない。
時の流れを忘れる程の長寿故に、その生活には変化が少ない
退屈な日々。だけど、それを変えない。
そんな生活に一陣の風が吹き込んだ。
その風を吹かせたのはたった数人の人間だった。
精霊たちがゆったりと寛ぐ温泉郷にその一行が現れてから、精霊たちの中で退屈が久方ぶりに消え去った。
毎日がお祭り騒ぎというわけではない。
その代わり、明日が楽しみになった。
次のお祭りを楽しみに待つことができた。
その心境は冬から春に変わる季節の変わり目のように、世界各地にいる精霊たちに喜びを感じさせた。
西の大陸のように、堅苦しく敬われる、捧げる者と与える者の関係じゃない。
北の大陸のように、人同士が戦いに明け暮れ、環境を破壊する、壊す者と治す者の関係じゃない。
東の大陸のように、商売のやり取りに使われる、利用する者と利用される者の関係じゃない。
南の大陸のように、いるかいないか感じ取られない、見えざる隣人としての距離のある関係じゃない。
隣で笑い合い、そしてはしゃぐ。忘れ去られた古の時代には精霊と人の間にもあった関係。
ああ、楽しい時間が帰ってきた。
新しい歌だ、新しいお祭りだ。
古い精霊たちが帰ってきた。新しい精霊たちが目覚めた。
たった数人の人間たちが、精霊たちの友となった日。
それは精霊たちが長い長い一生を終えて、いつか大自然の循環の中に消え去る日まで忘れられぬ日となった。
歌の上手い少女がいた。必死になってお祭りを考える少女がいた。美味しい料理を優しく差し出す少女がいた。芳しい魔力を放って幼い精霊たちと戯れる少女がいた。暴れん坊の精霊と遊ぶ女性がいた。
そして、誰よりも未知を届ける少年がいた。
精霊たちにとって未知は幸福だ。
知らないこととは、永遠に近い長い年月を生きる精霊にとって、退屈を忘れさせる幸せなことだ。
だから、少年は知らないだろう。
彼からしたら、精霊たちを喜ばせるために頑張った、その結果だ。
しかし精霊たちからしたら、刹那の時間であっても、この大切な一時を与えてくれた少年に大恩を感じた。
彼は隣にいた。
隣にいようとした。
例え一時のことであってもそれは精霊たちにとって無償の愛に近い。
だからこそ、精霊たちもその愛に応えたかった。
僅かに感じる下心も、それは人の感情と受け入れ、そしてそれ以上にどうすればこの少年と仲良く過ごせるか考えた。
ある日、少年が精霊界に来た。
大変な敵から逃げてきたからだ。
少年は困っている。
だけど、何とかすると言って笑った。
人とは強欲だ。
長い年月を生きていると、そういう人は多く見てきた。大半は精霊に助けを乞い、何とかしてもらおうと画策した者だ。
しかし、その少年は迷惑をかけるからと自力でどうにかしようとした。
何か手伝えることはないかと精霊たちは思った。
そして手伝うと提案したら、少年は笑って言った。
「ありがとう」
そのお礼の言葉が暖かかった。
そして言葉だけじゃない。
彼がもたらす、出来事は全て暖かかった。
皆と盛り上がる、ライブという歌の行事。
皆で楽しんだ、運動会という行事。
こんな美味しい食べ物を知らなくて後悔した、皆と食べたBBQ。
リベルタという少年は、彼が想像するよりも大きなモノを精霊たちに与えていた。
だからだろう。
自然を呪毒で汚すアジダハーカは精霊たちの天敵に近い。
下手をすれば自分たちの存在を消滅させかねない危険な災厄だ。
アジダハーカに人が挑むと知ったとき、本来であれば精霊たちは安全な場所に身を隠し、その災厄が討伐されるのを待ち、静観することを選んだはずだ。
しかし。
『皆!気合を入れなさい!!あの子とあの子たちのために!』
今その災厄の上空に、迸る雷は精霊であった。
『うん!少し、もう少しだけ頑張ればリベルタがこいつをやっつけてくれる!!』
雲を作り出すのは水の精霊だった。
『この嫌な空気を外に出さなければいいんだよね!!』
瘴気を外に流さないように風を操っているのも精霊だった。
この場に来ることを止める精霊もいた。
怖くてこの場に来ることができなかった精霊もいた。
だけど、こうやって少しでも恩を返そうと立ち上がった精霊もいたのだ。
『そう!少しでいいのよ!!』
『気合が入っているわね妹!』
『そうね、いつもよりも雷が強いわね姉さん』
そのきっかけはリベルタという少年と触れ合うことが多かった雷の精霊だった。
名前も持たない。
三姉妹の精霊。
『うるさい!あいつがいなくなったら、また退屈な日々に逆戻りするのが嫌なだけよ!!』
こうして、姉妹と軽口を叩き合っているが、彼女たちの体は常に瘴気に晒され続けている。
精霊にとって猛毒のような瘴気が常に体に触れ、徐々に呪いに体が蝕まれ、このままいけば手遅れになりかねない状態であるというのに、彼女たちは下から撃ちだされる暗紫色の呪毒のブレスに対抗して雷を放つのを止めない。
『あんたたちはもう下がりなさい!!』
『大丈夫です!まだ、やれます!俺たちだって、会長のイベントを楽しみたいですから!』
『そんなに汗だくで何言ってるのよ!!後ろに下がって光の精霊に癒してもらってから戻ってきなさいって言ってるの!』
『ですが、俺たちが下がったら』
『大精霊を舐めないでよ!!あんな蛇、私たちでも十分対処できるんだから!!』
下位精霊は疾うの昔に下がった。
どうにか均衡を保つための戦力になっていた中位精霊も限界が近づいている。
汚染をできるだけ減らしたり、体を隠すために展開している雲や風を操作している精霊たちも限界が近い。
リベルタが窮地だと知り、最初に立ち上がった次女に続いてきてくれた精霊たち。
本来彼女たちは戦闘要員でなかった。
道具の制作の依頼はしても、戦いの場には呼ばれなかった。
だけどこの場にいるのは、リベルタたちが大事だったから。
リベルタたちの作戦は闇の大精霊、彼らに『闇さん』と呼ばれている存在から聞いていた。
順調にいけば安全だ。
確実に勝てる。
『そうしたらまたお祭りをしよう』
笑顔で約束をしたから、待っていた。
リベルタたちの危機を知って、その約束を守るために精霊たちは駆け付けた。
雷の精霊として生まれ、そして大精霊となり、長い月日を生きた彼女たちが知っている中でも特にヤバい。
逃げろと本能が訴えかける存在が現れた。
だけど、またみんなで楽しくお祭りをするために、一人また一人と精霊たちが立ち上がり、危険を顧みず走り出した。
何の準備も整っていないじゃないか。何も順調じゃないじゃないか。
何もかもが予定外。リベルタが窮地に陥った。
『私は行く』
雷の精霊だからか、誰よりも先に駆け出していた。
大事なモノを失いたくない。その一心で、大精霊と言えど、たった1人の精霊が天敵に向けて駆け出した。
それが呼び水となって、大勢の仲間を引き連れて現場に駆け付けた。
戦いは嫌いだ。
辛い、楽しくない、危ない。
精霊たちの心から忌避すべき行動の筈なのに、彼女たちは戦っている。
義侠心なんて物ではない。
正義感でもない。
ただ、ひとつ。
精霊にとって一番大切な楽しみを与えてくれて、精霊にとって死に近い退屈から解き放ってくれた彼らに報いたいから。
そして信じている。
リベルタなら、きっとこの稼いだ時間で何かをしてくれる。
逆転の一手を打ってくれると。
そのためなら、この命惜しくはない。
『コフ』
『いいから下がりなさい!!』
また一人、汚染に耐えきれず中位精霊が下がっていった。
呪いに体を汚染され、それでも戦い続けた。
『すみません』
『いいわよ!!』
ブレスをすれすれで避け続けて、その余波で呪いに危険領域まで侵されて、無念の表情で後方に下がる。
『もう、無理!』
『ありがとう!もう大丈夫!あとは任せて!!』
雲を生み出し続けていた水の精霊が下がった。
それによって、空を飛ぶ雷の精霊たちの姿が顕わになり、瘴気が押し寄せてくる。
『姉さんも下がって!!』
『まだまだ!衣装づくり四徹目に比べたらなんの!!』
『そうそう!なんだかんだ言って、私たちって揃っているのが一番最強だよね!!』
時間が進めば進むほど、どんどん精霊たちの数が減っていく。
地上からエルフたちが援護してくれているけど、それでも焼け石に水にしかなっていない。
体からどんどん力が抜けていく。
魔力を使えば使うほど、瘴気に対抗できなくなっていく。
精霊という存在の特性上仕方ない。
しかし、戦意は一向に衰えない。
三姉妹一体となり、極大の雷をアジダハーカに叩き落として、まだまだ戦えると宣言し、もっとやってやるわよと姉妹たちが気合を入れた時だった。
『あ、アミナちゃんの歌?』
『それだけじゃないわ』
『・・・・・遅いわよ』
戦場には似つかわしくない、綺麗な歌声。
それをここにいる精霊たちが聞き間違えるはずがない。
自分たちはまだまだ戦えるというのに、リベルタたちが戦う準備が整ったことを知らせる歌が聞こえてきた。
汚された空気を浄化するのではないかと思わせるほど、澄んだ歌声が辺り一帯に響き渡り、災厄がその歌声の元に視線を向ける。
山の一角に作り出されたステージ、そこの中央に立つ三姉妹の作った華やかな白いサンライトシルクの衣装を身に纏った鳥人の少女と左右に広がる白い衣に身を包む聖歌隊。
呪いを祓う聖なる歌を歌い、大気と大地の呪いを解こうとする聖歌隊に加え、アミナの歌スキルの敵を惹きつける効果により、写し身のアジダハーカの中でアミナたちが一番危険な存在と認知された。
八本の首が一斉に口を開き、チャージされる呪毒のブレス。
この攻撃を阻止しなければ、あの聖歌隊は全滅する。
それがわかっているが、精霊たちは動かない。何もしない。
諦めたわけではない、命を惜しんでいるわけでもない。
ただ一つ、信じているのだ。
放たれる八本の禍々しい暗紫色のブレス。
それはまっすぐ聖歌隊に向かい――。
「こんなこともあろうかとぉおおおおおお!!!!!!亅
このセリフを言いたかったと、BBQの時に愚痴っていた少年の叫びが響き。
「作っておいて良かった!結界塔!!」
遺跡を中心にして白く輝く六本の塔が地面から生えた。
そして瞬く間にその塔同士を六角形に連結するように展開される結界。
これこそが、リベルタが精霊たちに頼み作り上げた対アジダハーカの決戦兵器。
結界塔。
塔そのものが光の精霊石で組み上げられた代物。
もし仮にこの世界で財力で作り上げようとするならば、一本で国家予算の十年分は軽く飛ぶと言うほど馬鹿げた代物。
加えて言えば、この結界塔は一度発動させてしまったら精霊石の中にある魔力が底を突くまで発動し続け、効果が切れたら消滅するという消耗品。
「からーのぉ!!!」
仮の想定で話を進めれば、財務大臣が顔を真っ青にして泡を吹いて倒れるほどの、とんでもない代物を六本も一気に使用して作り出した結界は、アミナたち聖歌隊の前でアジダハーカのブレスを防ぎきった。
そしてハイテンションになっているリベルタの声が続けて響く。
「汚物は消毒だぁあああああああ!!!!」
結界塔はあくまで守りであり、檻だ。
これだけでは時間稼ぎしかできない。
光属性によって生み出された結界の閉鎖空間による呪いの力を下げる効果は、呪毒によって力を得ているアジダハーカには突き刺さる。
だが、足りない。
そこにもうワンアクション。
リベルタ曰く、これが美味しい「蒲焼」と言われる所以のコンボ。
結界塔の結界の窓に現れる騎士団たちの手に持たれる魔道具。
見る人が見れば、わかるだろう。
火炎放射器と。
人が携行できる火炎放射器の射程はせいぜいが50メートル前後、車載できるタイプなら300メートルはいけるだろう。
それでも結界の中にいるアジダハーカには届かないように見える。
だがこの世界は剣と魔法の世界。
騎士たちが構えた火炎放射器の先端から放たれた焔は物理法則を無視し、この広大な空間を火の海に変えるほどの火力を放出する。
『■■■■■■■■■■!?』
その焔は瞬く間に、鰻を炙る炭火のように写し身のアジダハーカの周囲まで広がるのであった。




