6 雷令嬢
「リベルタ!?」
「陛下を守れ!!!」
ジャカランの暴挙は一瞬にして会場を凍り付かせるほどのインパクトを与えた。
エスメラルダ嬢の悲鳴、エーデルガルド公爵の叫び。
そして。
「ジャカラン!!」
ボルドリンデ公爵の怒鳴り声。
この3つが重なり合い、さっきまでパーティで盛り上がっていた会場は凄惨な場所へと変貌する。
そして顔面を全力で殴られた俺はというと、殴られた勢いに乗ってそのままテーブルを2つほど吹き飛ばし、地面に横たわった。
「大丈夫ですの!?」
「ええ、まぁ」
首をひねってインパクトを逸らしたからそこまでのダメージはない。
やろうと思えばあの場でジャカランの拳を受け止めることもできたが、派手な演出をするならこれくらいのことはした方がいい。
エスメラルダ嬢にイリス嬢、そしてロータスさんが駆け寄る中、俺はあえて自力で起き上がらず、一番最初に走り寄ってきたエスメラルダ嬢に起こしてもらう。
周囲には見えないように大丈夫だとウインクをする。
起こしてもらった際に見えたのは、兵士がジャカラン相手に槍を突きつけ取り押さえようとしている光景。
まぁ、公爵を殴り殺そうとした上に、その傍らにはこの国のトップである国王陛下もいたのだ。
なにより、殴り掛かったタイミングが最悪過ぎた。
理由はなんであろうと国王陛下の前で人一人が殺せる威力を込めて殴りかかったのは、貴族であろうが平民だろうがNGだ。
「ボルドリンデ公爵、これは一体どういうことか説明してもらえないだろうか? もしや、陛下を亡き者にしようという企てではないだろうな?」
ちらりと俺がエスメラルダ嬢に抱き起こされていることを確認し、無事だと見てから、エーデルガルド公爵は国王陛下を自らの後ろに庇い、兵士たちをジャカランとボルドリンデ公爵を包囲するように動かした。
謀反を企てている決定的な証拠と疑われてもおかしくはない光景のおかげで、先ほど押されていた舌戦から一転、今度はエーデルガルド公爵がボルドリンデ公爵にまくしたてる。
「いや、そのようなつもりは」
「では、先ほどのやり取りはどう説明する? 今さっきそこの男は私を殺すと言って殴り掛かってきたぞ? リベルタに救われなければ私は殺されていた。それを冗談と言うつもりか?」
どんな理由があろうと、この場ではっきりと殺意を向けて攻撃をした事実は拭えない。
あの場にいた国王陛下や両公爵をはじめとする権力者たちがそれを聞き、この場にいる大勢の貴族がエーデルガルド公爵を庇った俺が殴り飛ばされる光景を見ている。
さすがのボルドリンデ公爵もそれをごまかせるほどの舌を持っているわけではない。
「おい、さっきから誰に武器を向けているんだよ」
そんな最悪の空気の中、怒りで理性が焼き切れてまともな判断ができないジャカランが、武器を向けている兵士に向かって殺意を向け始めた。
それに警戒心をあらわにした兵士が国王陛下とエーデルガルド公爵をさらに下がらせる。
「動くな!!」
近衛騎士団長が、腰に差していた剣を抜きジャカランと相対した。
「動くなと言ったはずだ、ジャカラン!!」
「うるせぇ!! 我慢しろ我慢しろ! もううんざりだ!!」
首輪を付けられた鬱憤というのは日々理性を下降方向に更新されていたようで、一度手綱を振りちぎった獣を制御しきるのはもはや不可能だ。
神託の英雄という化けの皮が剝がされ、血に飢えた獣が表に出て、もはや言葉では止まらなくなった。
武器を向けられる理由を理解していない。
否、武器を向けられること自体を嫌悪し、ストレスを感じ、理不尽を感じている。
「もう、我慢ならねぇ。ここにいるもの全部俺の物にしてやる!!」
「もはや語り合うことはないな。陛下」
「うむ……」
ボルドリンデ公爵がジャカランを制御できていないのは一目瞭然。そしてそれをわかっていようがいなかろうが、一国の王を危険にさらしたことを、優柔不断な王であっても許すわけにはいかない。
「兵よ!! その逆賊を捕らえよ!! 抵抗するなら殺しても構わん!! ボルドリンデ公爵! もしそれ以上その者を庇うというのなら、貴公も同罪として捕らえる!」
「……いえ、最早そやつは私に叛いた逆賊、我が庇護下ではございません」
「なら、あとで聞きたいことがある。兵よ、ボルドリンデ公爵を連れていけ」
王の号令の下、近衛騎士団が動き、ジャカランを捕らえようとする。
庇うべきボルドリンデ公爵は諦めたように頭を振り、そっとジャカランの側から離れ、近衛騎士団にその身を預けた。
この後に待っている尋問を受けるための措置だ。
「そいつを連れていくな!」
それに異を唱えるのは、この場ではジャカランしかいない。
連れていこうとする近衛騎士に手をかけようとした瞬間、騎士団の一人が槍を突きだし、穂先がジャカランの頬を掠り、そこから一筋の血が流れた。
「あ?」
牽制のための行動であったが、それはジャカランにとっては悪手。
怯えさせ、抵抗の気力を奪うつもりなのだろうが、血が流れたことによって、さらに獣性が表に出る。
赤く血走る目、湧き上がる殺意。
完全にスイッチが入った。
「殺す」
獣が本性を表し暴れる。
自分に向けて突き出された槍の刃を掴み、そのまま引っ張ることで近衛騎士の一人を引き寄せ殴り飛ばした。
「かかれ!! 殺しても構わん!!」
「おめぇの方が死ねや!!」
獣と近衛騎士団という戦いの火蓋が切られた。
だが、このまま戦わせるのは良くはない。
あいつが暴れることによって大なり小なり被害が出るし、他の貴族たちが逃げ惑うことでさらに被害が広がるかもしれない。
「エスメラルダさん」
「はい。承知しましたわ」
なので、ここは早々に鎮静化させるに限る。
俺はそろそろいいかと体を起こし、それに合わせてエスメラルダ嬢も立ち上がる。
そしてエスメラルダ嬢は、暴れているジャカランに扇を向けた。
「ショックボルト」
その先端から雷魔法を放つ。
その雷は寸分たがわずジャカランを捕らえた。
「ガハ!?」
一瞬、ジャカランの体を感電させた。
「お、女ぁ!!」
「人の妹に粘着するどころか、私の大切な殿方を殴り飛ばすとは」
元は威力の低いはずのショックボルトであっても、クラス8の魔力をもってすれば一撃でジャカランの動きを止めることができるほどの威力を誇る。
あらかじめ決めていた段取りとはいえ、俺が傷つくこの計画にはエーデルガルド公爵含め、イリス嬢もロータスさんも反対していた。
だが、決定的な不祥事を起こさせるためにはこれが必要だと俺は押し通し、そしてエスメラルダ嬢は俺に念を押してその必要性を確認し、俺の覚悟が固いと知ると最初に賛同してくれた。
「許される行為ではありませんわね」
だが、だからと言ってその心中が穏やかかと言えばそういうわけでもないようで。
ゆらりと吹き出る魔力。
扇で口元を隠し、そして目元で冷笑を浮かべる。
ビクリとジャカランの体が反応した。
怒りに我を忘れていたが、圧倒的強者が現れたことで今さら冷静になり、怯え始めたのだ。
「そう言えば、あなたは私と妹に向けて、とても熱い視線を向けておられましたわね」
場の空気を支配するエスメラルダ嬢。
近衛騎士団ですら、一人の令嬢に気圧され、どうすればいいのかと騎士団長に指示を仰ぐも、肝心のその騎士団長がエスメラルダ嬢の気迫に圧倒されてしまっている。
敵にしてはいけない女性を敵に回してしまったと、近衛騎士団にすら認識させてしまったエスメラルダ嬢の覇気。
「いいですわ。よろしければ一曲、踊ってくださらない?」
そしてその覇気に巻き込まれないようにと、さっきまでジャカランを包囲していた騎士たちは徐々に包囲を広げ、遠巻きに見ようとしている。
本来であれば逃げるチャンスだが、少しでも背を向ければやられるという本能的な危機感が、ジャカランをその場に縫い留めた。
「ねぇ、英雄様?」
そんなジャカランの恐怖心など知ったことかと、エスメラルダ嬢は再び扇をすっと前に差し出した。
そんな彼女の動きに対応できたのは獣の直感か。
「ショックボルト」
直進する雷をなりふり構わず身を投げ出すことで躱し、そのまま走り出した。
向かう先は窓、そのまま逃亡する気だとわかる彼の動きをエスメラルダ嬢は冷静に見つめる。
「あら? レディを置いてお逃げになるの?」
無様と言いたげな視線で、そっと払うような仕草で扇を振るう。
「エレキマイン」
その逃亡先に雷の地雷を敷設した。
あと一歩でそれを踏み抜き、体全体に雷が浴びせられるというところでジャカランは咄嗟に踏みとどまり、それを回避したように見えた。
だが、それは思い違いだ。
「エレキスフィア」
エスメラルダ嬢の対人戦の指導者は俺だ。
壁に這わせるように次々に展開し続ける多数の雷の球体も。
「エレキマイン」
ジャカランを中心に円形状に敷設し始める雷の地雷も。
全て俺が後衛職の魔法使いとして対人戦で勝てるようにと、日夜研究した戦法の一つだ。
彼女の能力なら本来であれば、相手の足元に直接敷設できるエレキマインを踏み抜かせ、一気に鎮圧することもできた。
そもそもそんな手間などかけず、ハウンドライトニングを直撃させて感電させるという手もある。
「せっかくダンスにお誘いしたのに、逃げるなんて紳士としてあるまじき行為ですわ」
エスメラルダ嬢は俺の傍に最初に移動したときから一歩も動いていない。
ただ冷静に、じっとジャカランを見つめ続ける。
「そんなに、私と踊るのが嫌ですの?」
床には雷の地雷、空中には雷の機雷。
隙間を通れば抜け出せるかもしれないが、その隙をエスメラルダ嬢は見逃さない。
簡易的にではあるが、退路を絶たれたジャカランはしぶしぶといった感じで、エスメラルダ嬢と向き合うこととなる。
「……」
キョロキョロとあたりを見回す。
誰か助けろと視線で訴えるが、一緒に来ていた女はすでに逃亡済み。ボルドリンデ公爵の派閥の貴族はトップが拘束されたことで巻き込まれてはたまらんと、そそくさと会場を後にした。
残っているのは他派閥の貴族たち。その中にジャカランの知り合いはいない。
「よそ見をしてよろしいので?」
見捨てられた獣。それに再び迸る雷。
「がぁ!!?」
今度は躱すことが叶わなかった。
ショックボルトを受けて、意識が飛びそうになったジャカラン。
だが、持ち前のタフさと暴神の効果で耐久性も上がっているから、倒れるほどではない。
「もう終わりですの?」
たった2発の牽制魔法、それだけでふらつくジャカランに向け、再び扇で口元を覆いつまらないという雰囲気を醸し出す姿はまさしく悪役令嬢。
「舐めるなよ、女ぁ!!!」
逃げることができないと悟ったジャカランは、やけくそになって前に出て殴り掛かろうとしたが。
「エレキマイン」
「がぁ!!?」
その距離を詰める前に、足元に敷設された雷の地雷によって3度目の感電を味わうことになった。
「ご安心を。あなたを舐めるつもりは欠片もありませんわ。私はあなたを確実に、そして全力で倒します」
ショックボルトよりも威力の高い雷を味わい、いかに暴神のスキルで身体強化されたジャカランであってもダメージは大きい。何より、エスメラルダ嬢の冷たい言葉にどんどんと怒りが恐怖に塗りつぶされ、どうしてだという疑問が浮かんでいるのが傍から見てもよくわかる。
「なんでだ?」
「なんでと、今さらその質問ですの」
そして我慢のできないジャカランがその疑問をあっさりと口にすると、エスメラルダ嬢は扇を口元からずらし、パチンと掌に叩きつけて閉じた。
「答えはいたって単純ですわ」
その迫力に、一歩ジャカランが下がるもそれを許さぬエスメラルダ嬢の視線。
「あなたは私を怒らせた。それだけですわ」
計画とはいえ、いや、そんな計画を立てさせた相手だからこそか。
やるせない怒りを八つ当たりに近い形で、エスメラルダ嬢はジャカランに向けて雷を放つのであった。




