5 限定スキル
ジャカランに向けられた一つの提案。 貴族であればダンスは必須科目と言っても過言ではないし、いかに下手であっても踊れないというのは恥でもある。
ジャカランは正確に言えば貴族ではない。
しかしボルドリンデ公爵家の食客であり、神託の英雄と言われている人物でもある。
なので世間の貴族に英雄であればもはや貴族と変わらないと判断され、踊れてもおかしくはないというレッテルを貼られる。
パートナーがいないというギリギリの言い訳も、侍らしている女性がいるということでできない。 出自が庶民だから貴族の社交はできないという、貴族社会に醜聞は際立つがダメージとしては最小限になる言い訳もあるにはある。
だがボルドリンデ公爵からしたら、その庶民であるはずの俺が拍手喝采をされるほどの見事なダンスを披露してしまったのに対して、王の面前でジャカランが逃げてしまえば同じ神託の英雄の候補者として対抗している立場上、貴族的な印象が悪くなってしまう。
どういう言い訳をするかと俺とエーデルガルド公爵が見守る中、ボルドリンデ公爵は蛇の笑顔としか形容できない怪しげな笑みを浮かべた。
「見ての通りうちのジャカランは非常に体格がよく、そして力も強い。さらに少々不器用でして、令嬢のはかなき体では耐えられないのですよ」
その直後に困り顔で、力が強すぎて手加減ができないのでパートナーが危ないと言ってきた。
なるほど、それなら言い訳として面目が立つ。 ジャカランは踊れないのではなく、踊れるパートナーがいないということだ。
「披露したいのはやまやまですが、ここで万が一令嬢に怪我をさせるような場面をお見せして、王家の主催されたこの夜会の会場の折角の盛況を冷やすのもよろしくないと考えますので平にご容赦を」
そしてこの手の言葉でのやり取りなど朝飯前だと言わんばかりに優雅に言い訳を述べる。 ボルドリンデ公爵はどうだと陛下に問いを投げかけると、陛下もジャカランを見た後、過去の出来事を考えると踊れない方便として認めるしかなかった。
では、なぜ連れてきたのだという疑念の視線はありつつも。
「そうだな、我には思いも及ばないような苦労が彼にはあるのだな」
「はい、その通りでございます」
エーデルガルド公爵のジャブを軽やかに躱し、そして代わりにニヤリとエーデルガルド公爵の方に微笑んだ。
「しかし、ずいぶんと変わった少年をご息女の側に置いておられるようで。聞けば平民の出の少年とか。先日不幸な出来事があったとお聞きしましたが、彼と何か関係が?」
ジャカランに触れたのだから俺のことを聞いても問題ないなとジャブを返してきた。 不幸な出来事というのはエスメラルダ嬢の婚約破棄の件だ。
あれに関しては、相手の瑕疵を証明してエスメラルダ嬢の名誉を回復し、東の大陸の貿易港も手中に収め色々と利益を出しているからエーデルガルド公爵からしたらもはや忘れたと言ってもいい話だ。 しかし他の貴族からしたら心配を装って傷に塩を擦り込むようなことができる絶好の機会だ。 おまけに、俺という出生が不明な少年が側にいることは貴族にとっては面白くない話だ。
事実、エーデルガルド公爵の派閥であっても俺のことを良く思っていない輩は多い。 そこら辺をまとめるために今調整しているところだが、その準備はまだ終わっていない。
「それより前からの付き合いだよボルドリンデ公爵。彼は非常に有能でね。おかげで助かることも多い。貴公もそれだけ力の強い者を在野から見つけてくるとはなかなかの慧眼だ」
そこをほじくり返そうとしたタイミングでエーデルガルド公爵が払いのけるように話題を再びジャカランの方に持っていく。
「ええ、何かとこちらも重宝しておりましてな。先日もまた武功を上げたところで」 「ほう、それはそれは。私の方でも少々商売の方で彼から良き知恵を貰えてな」
一見すれば自慢合戦のようなやり取りだが、裏の言葉で翻訳すると。
『喧嘩を売っているのならジャカランをけしかけるぞ?いいのか?』
『ああ、受けて立つ。脳筋など怖くもなんともないぞ』
とざっくりとした翻訳だが、こういう意図があって会話しているのは間違いない。 一番かわいそうなのは、それに挟まれている国王陛下だ。
蛇と獅子のにらみ合い。 それに挟まれただけで胃がキリキリするのは間違いない。
必死に頭を巡らせてどうにか仲裁の言葉を紡ごうとしているが、次から次へと話題を変えて挑発しあう両公爵の間に割って入ることなどできない。
それがエーデルガルド公爵の狙いだと知らずに、舌戦は熱を帯びる。 舌戦相手としてボルドリンデ公爵とエーデルガルド公爵の力量は、若干ボルドリンデ公爵に分がある。
原作での暗黒エーデルガルド公爵であれば負けることはないが、暗黒面に堕ちていない今のエーデルガルド公爵では汚さと容赦のなさで差がついてしまう。 だが、ボルドリンデ公爵も余裕でその舌戦を展開しているわけではない。
意識を周囲に、特にジャカランに振り分けながら会話で戦うのは大変で、かろうじて押しているという状態だ。
孤高を貫くボルドリンデ公爵を支える者はいないから幾分かの意識を常に周囲に向ける必要がある。 しかし、エーデルガルド公爵にはボルドリンデ公爵との戦いに集中できるように周囲に気を配っているエーデルガルド公爵夫人がいる。
それによって舌戦の差が思ったよりも広がらず、ほんの僅か、それこそ一呼吸を置くような間くらいしかない隙が生まれた瞬間。
俺はその隙を逃さず、ジャカランと目を合わせ、そっとエスメラルダ嬢の腰を抱き寄せ勝ち誇った笑みを浮かべた。
誰にも、それこそ、舌戦に興味がなくつまらなそうにしていたジャカランにしか目に入らないタイミングでの挑発。
「あ?」
低く、それこそ舌戦をしていたボルドリンデ公爵がそれを取りやめて瞬時に振り返るほど、その声は圧を含み苛立ちを見せていた。
俺が奴に見せた笑みは一瞬。 されど抱き寄せられたエスメラルダ嬢は気づき、そして何をしたか察した。
それ以外にはあらかじめに伝えておいたエーデルガルド公爵とロータスさんしか俺の行動はわからないだろう。
誰かに見られる前に、それこそボルドリンデ公爵に見られないうちに通常の表情に戻し何事もなかったかのようにそっとジャカランから視線を逸らした。
それは何も知らない周囲の貴族たちからすればごく普通に何かを見ようとして首を動かした動作に見える。 だが、俺の勝ち誇った笑みを向けられたジャカランからしたら、挑発ともとれる無視に見える。
ズシンと重い足音が響く。
それはジャカランが一歩踏み込んだものだ。
「おい、お前!」
「ジャカラン!!」
その苛立ちの含まれた声は、若干の殺意がこもっている。
本能的に相手の強さを察することのできるジャカランであるが、それは相手から戦意を向けられたとき最大限に発揮される。
戦う気を静め、此方が冷静に対処していればその直感を鈍らせることもできるが、奴を釣りたいときにそれは根本的な対策にならない。 強者からの挑発は受けないのが臆病なジャカランの生存戦略。
そこを突破するには、ジャカランに俺を弱く見せる必要がある。
クラス差で大幅に上回り、正体を隠したあのニンジャの格好の時でさえジャカランは俺の強さを察した。
ならば奴を騙すために俺が弱く見える装備を身に付ければいいだけ。
工夫するのは2つ。
その2つはどちらも弱者の証で成し遂げることができる。
そんな都合のいいものがあるかと言えば、あるんだよね。 限定スキルというものが。 それはとある特定のアイテムにしか付与できず、さらに特定の条件下でしか効果を発動できないという少々使い勝手の悪いスキルだ。
そして弱者の証にしかエンチャントできない限定スキルがある。 取れるモンスターは限られ、さらにこのエンチャントスキル自体そこまで重宝するわけではないが、場合によっては、タンクが使用することもあるスキル。
『弱者の意』と『負け犬の遠吠え』というスキルだ。
前者の弱者の意というスキルは、相対した相手に自分よりも下のステータスだと誤認させるスキルだ。 発動するには相手よりもステータスで上回る必要がある上に、相手の鑑定スキルなどを撹乱して此方のステータスを誤認させる効果しかない。 ただ、ゲームでNPCとかに使っていた時は、強い奴に媚びて弱い奴を虐げる系のキャラには態度を急変させるような効果があった。
一応事前に使用してみたら、なんとなく俺が弱いと認識してくれたという実験結果がある。
そしてもう1つのスキルは、遠吠えが響くわけではなく、相手がスキル使用者に勝った気になるという一種のヘイト管理スキルだ。 このスキルの利点は、他のヘイト管理スキルと違いあからさまなモーションがないし、なにかの発動エフェクトもない。
ただ相手に、使用者に勝ったと思わせるだけのスキル。
しかし、無意識下で勝ったと思わせた後に挑発行為を取るとヘイトを通常よりも稼げる可能性がある。
この可能性というのは、スキル名の示す通りだ。 相手に勝ったのなら、もはや弱い奴を相手にする気のない相手だと挑発は不発になり、そのまま立ち去られるというリスクがある。 だが、弱い相手に舐められることが許しがたい相手にはクリティカルヒットするスキルなのだ。
この社交服の下に装備した弱者の証に付与したスキルを2つ同時にさりげなく一瞬だけ発動したが、誰にも気づかれていない。 特に弱者の意は効果範囲が単体ではなく全体。
常時発動させるとスキルの効果を疑われる故に、ジャカランの頭に血を上らせるための一瞬だけの使用が望ましかった。
そしてこの2つのスキルはジャカランを捕らえるときには必須スキルとして、ゲームの攻略サイトでも挙げられていた。
咄嗟に前に出たボルドリンデ公爵が止めに入った。
「ここはそのような場ではない。控えろ!」
「うるせぇ!!」
かろうじて理性が残っている。 だが、それは扶養者を害さないという理性であって、俺からの挑発を我慢する気はないという意志は揺るがない。
「・・・・・」
様子がおかしい。 その事に気づいたボルドリンデ公爵はちらりとエーデルガルド公爵を見るが、公爵はジャカランの雰囲気の変化を感じとると国王陛下含め全員を庇うように下がらせている。
その中には俺もいる。
「おい!お前!!」
視線を逸らされたのがいけなかった。
抑え込んでいた感情が怒声とともにあふれ出した。
指さした相手は俺だ。
「さっき俺のこと笑ったろ!?」
そしてこの場ではふさわしくない怒声の内容に、エーデルガルド公爵含め貴族たちが眉を顰める。
「そうなのか?」
「いえ、心当たりは。もしかしてエスメラルダ様に微笑みかけた時の表情を勘違いされているのでは?」
「・・・・・ジャカラン殿、リベルタはこういっている。貴殿の勘違いではないか?」
失礼があったのならそれを確認するのが扶養する者の役目と、あらかじめ打ち合わせしていた通りに対応した。
ボルドリンデ公爵はジャカランを止めようとするが、すでに会話をしてさらにこのタイミングではジャカランを我慢させる以外に止める方法はない。
しかし、ジャカランは我慢という言葉が一番嫌いだ。
仮に嫌な予感という本能の訴えかけがあったとしても、弱い奴から馬鹿にされたという事実はジャカランにとって絶対に許せない事件なのだ。
さらにエーデルガルド公爵からの勘違いではないかという言葉。
普通の人であっても相手に間違いではないかと聞かれるのは多少のストレスを感じる。 だが、ジャカランにおいては禁句に近い言葉だ。
ジャカランは自分自身の行動は全て正しいと考えている。
だからこそ、相手から間違いだと指摘を突きつけられるのは心の底から我慢ならない行為である。
普通の人間であれば、いきなり暴力を振るうようなことはない。
「殺す」
だが、暴神というスキルは人の理性を容易に焼き切る。
今までは相手が我慢していたり、相手が怯えていたからその薄紙よりも脆い理性が保たれていた。
しかし、ここで俺の挑発スキルとエーデルガルド公爵から放たれた勘違いという言葉がジャカランから理性を完全に奪い去った。
「止まれ!!ジャカラン!!」
せめてどちらかであればジャカランは止まったかもしれない。
しかし、こうなってしまったジャカランはもう止まらない。
間違いを突きつけたエーデルガルド公爵めがけてジャカランの暴力が襲いかかる。
俺は警戒していたゆえに、エスメラルダ嬢を残しエーデルガルド公爵を庇うように前に躍り出た。
「っ!」
そしてそのままわざと顔面を殴られるのであった。




