22 EX 蛇に絡まれた暴君 2
ジャカランという男は、この世界のすべてが自分の所有物であり、改めて考えるまでもなくそれが常識だと思っている。
だから、町で人が住んでいる家はジャカランの持ち物に勝手に住みついているだけだし、料理を売っている屋台があるのなら、それはジャカランが小腹が空いた時に自由に食べられるように用意してあるものだ。
自己中心的な思考の究極形。
世界の中心は自分にあり、尚且つすべての存在が自分の物だと認識している。そんな思考に矛盾を抱かず、そして生きてこられたのはひとえに彼には力があったからだ。
子供のころから大人顔負けの剛力を持ち、走れば馬よりも早く、跳べば小さな城の城壁くらいなら軽く飛び越えてしまう。
最初はその力を皆が羨ましがっていた。しかし、その力を持つジャカランが自分は特別であり、自分はこの世界を統べる支配者だと考えるようになってからは、徐々に周囲の視線は羨望から恐怖へと変わっていく。
力が強くなればなるほど、ジャカランは我慢が効かなくなっていった。物はすべて力づくで奪えるとわかっているから。
だからこそ、彼は我慢をする必要性を考えず、知らず、そして周囲の恐怖と憎しみの感情に興味を抱かない。
そんな彼は今、ボルドリンデ公爵の権力という力によって色々と与えられているが、行動に制限をかけられてもいる。
本来であればそんなことを気にせず暴れて好き勝手に過ごすのがジャカランという存在だ。
だが、こと人を操るという点においてはボルトリンデ公爵の方が何枚も上手であった。公爵は暴れることによって手に入る物もあるが、暴れることによって手に入らなくなる物もあることを示し、そしてその価値を理解させ、暴れるという行動を抑制することに成功した。
暴力を振るえる場所を用意し、暴力を振るった報酬に望む物を用意する。その流れを作り、躾を施したのだ。
そのことにジャカランは気づいていない。否、ボルドリンデ公爵が気づかせていない。
本能的には不満を抱いている。だが、まだ常人よりは劣るがかろうじて働いている理性が『儲けている』と錯覚しているから、本能的不満を押しとどめているのだ。
「ふん」
しかし、その不満が徐々に噴き出している。
美味い酒、美女、余るほどの食事に、呼べば出てくる道化師、歌を聞かせろと言えばすぐに出てくる歌い手。
公爵という権力で、囲い込まれたジャカランの暇を潰すためだけの存在たち。
酒池肉林とはこのことか。すべての物を手に入れたと勘違いしてもおかしくないほどの贅沢な日々を送っていたジャカランは、その生活に飽きていた。
そして現状の生活に違和感を感じていた。
自由こそがジャカランの本質、拘束こそ最も忌むべき存在だと本能的に理解している。
獣のように欲求のままに動くことにこそ最大の快楽を感じるジャカランは、作られた贅沢に飢えを感じ始めている。
今も美女に酒を注がせ、それを飲み、酔いが回ってきているのを感じているが、以前みたいにうまさを感じることもなければ、満足感を感じることもない。
目の前で踊る美女たちは一通り味わったが、そこに心躍る物が無くなりつつあるのも感じている。
顎で指した肉料理が口元に運ばれそれを口にしても、美味いとは思うが『つまらない』と思う気持ちの方が上回る。
最初にこの屋敷に来た時は『好き勝手していい』と興奮していたが、好き勝手に移動できなくなり、酒池肉林という名の牢獄に押し込められた獣は、この生活に不満を感じている。
それを取り繕うという考えなどないジャカランは、そのまま不機嫌を露わにして、周囲を威圧し始める。ジャカランはこの屋敷の住人にとって内に抱えた爆弾のような物。
踊り子は懸命に色気を振りまき、料理人は何か新しい物を用意しようと動き、執事は酒を取りに倉庫に向かう。皆が皆、この不機嫌を解消する方法はないかと、必死に頭を巡らす。
以前までは自由に街を歩くことができて、それで気晴らしができていたが、人攫いをしてしまってからはこうやって屋敷の中にいることが多い。
そうやって彼を屋敷の中に居続けさせるのもいい加減限界が迫っていると、この場にいる全員が思っている最中。
「そう言えば」
「あ?」
いつ爆発するかわからない存在の隣に居続けた一人の女が、内心の怯えを必死に隠して酒を注ぎながら、なだめるような優しい声で話題を提供する。
「噂でお聞きしましたが、今度王都で大きな夜会があると」
「夜会だぁ?」
その話題はジャカランの琴線には触れない。以前国王に会うとボルドリンデ公爵に連れられ行った時にいろいろな女を連れて帰ろうとしたがそれを邪魔された記憶しかない。
食事も少なく、好きに酒を飲むこともできず、聞く話は全てつまらない。
そんな印象の場所に興味が引かれるわけもないと、機嫌がさらに傾きそうになった時だ。
「その夜会に美しい姫君が参加されるとか」
その傾きがピタリと止まる話題が女の口から紡がれる。
それまで一切視線を向けなかったジャカランが話に興味を持ち、それを語る女性へと視線を向ける。
「美しい女だと?」
飽き始めていると言っても元々無類の女好き。
自分に提供される情報が嘘であった時の報復を恐れているとわかっているジャカランは、この情報に信憑性があることを本能的に察することができた。
『そんな話聞いていない』と目を見開き、そして眉間に皺を寄せるジャカラン。
それもそのはず、この屋敷の主である公爵はこの話題を意図的に避けていた。
女と聞けば制御が利かなくなるのが目に見えている。
そして噂の美女はボルドリンデ公爵が自由にできる女性ではない。
となれば、ただただ暴走を引き起こすだけの情報に何の価値があるのかと、伏せていた。
「はい。とある公爵家の姉妹だと伺っております。姉君の方が最近婚約破棄されたとのことで、新しい婚約者を探しているのではと噂になっております」
そんな態度のジャカランに『知らないのか』と聞き返すのではなく、さらに詳しく女性の話を深堀していく。
ではなぜ公爵が伏せていた情報をこの女性は知っていたのか。
理由はごく単純。この話はこの屋敷の使用人たちが、ジャカランの機嫌を取る女性のために集めてきた貴族の間での噂話だ。
大事な盾が壊れないように、気遣い、そして主の本心を察しつつも保身に走った結果『噂話だが』と前置きをして提供した。
『所詮噂だろ』と、侮ることはできない。
貴族の噂は真実の場合が多い。
公爵家の娘と聞いてジャカランが思い出すのは、邪魔な男に隠された欲しいと思った女だ。そしてその女には姉がいたはず。
もし仮にジャカランの記憶にある女だとしたら、その姉もこの女が言っている容姿に嘘偽りはない。
ジャカランの心が久しぶりに高ぶる。
『欲しい、何が何でも欲しい』と気持ちに熱が込められる。それがトリガーとなって立ち上がる気配を感じ、スッと立ちやすく酒の器を女性は受け取ると、そのまま出口に向かう。
慌てることなく、扉を開く執事に目もくれずジャカランは進む。
屋敷の中ならジャカランはほとんどの場所を自由に進むことができる。
廊下を歩く人々はジャカランを見かけたら即座に道を譲る。執事やメイドは当然、それどころか警備の兵士すらスッと道を譲る。
彼らの対応を見ればどれだけジャカランが恐れられているかがわかるという物。そして迷いなく進んだ結果、あっという間にこの屋敷で最も重要であるはずの公爵の執務室までたどり着き。
「おい、公爵!」
「……何か用か?」
警備の兵士がいるのにも関わらず、止められることもなく、扉を開けられたことを咎めるはずの公爵がジャカランに眉をひそめ、ため息でそれを済ませたことも、現状を察するに十二分な証拠だろう。
「お前、夜会に行くらしいな」
「ああ、今週末にある夜会か。それがどうした?お前はこの手の堅苦しい場所は嫌いであろう?」
それが日常であることは疑いようもなく、そして前振りもなく用件を切り出すジャカラン。
その内容に、一瞬目が鋭くなるが、すぐに書類に目を落としそのまま会話を続ける。
その返答は気遣っているように聞こえても、夜会には連れて行きたくないという意志を感じさせる。
「嫌いだ!だが、美しい女がいると聞いたぞ!!」
「……エーデルガルド家の姉妹が夜会に参加するとは聞いている」
そんな意志など欠片も察することなくジャカランは自分の欲望を貫く。
現状、有力な駒であるジャカランの機嫌を損ねるわけにはいかないボルドリンデ公爵は、ジャカランの求める美しい女が誰なのかを察する。
「なら俺も行くぞ!!」
「……わかった。手配しておこう」
そしてその美しい女が罠であることも察している。
わざわざ他の貴族に根回しして、ボルドリンデ公爵の領地に噂になるように手回ししているのだ。
誰を誘い込もうとしているかなんて火を見るよりも明らかだ。しかし、目的が見えないと不気味にも思っている。
ボルドリンデ公爵の言葉に満足して出ていく暴君の頭では、その女でどう遊ぶかということしか考えていないのは明白。
「よろしいのですか?」
「これで夜会までは静かにしてくれていると考えれば安い物だ」
そのおかげでしばらくは屋敷の中が平和になると考えたボルドリンデ公爵は、部下からの質問を鼻で笑い答える。
「それよりも報告を続けろ」
「はい、例の男からの報告で遺跡の方に侵入者がいたと」
「どこの手の者かはわかったのか?」
「いえ、相手も相当の手練れだったようで、侵入した形跡はありましたがそれ以上の痕跡は残っておらず、八方手を尽くしておりますが未だ何も」
ジャカランのわがままは今に始まったことではない。夜会の対応は後でするとして、そんな戯言にかまっている暇はボルドリンデ公爵にはなかった。細心の注意を払い秘匿し続けていた遺跡に侵入者が入ったのだ。
表情には出さずとも、内心では芳しくない感情が入り乱れている。
部下の悪い報告にも表情一つ変えないが、ボルドリンデ公爵が準備している計画に支障が出始めているのではという懸念が脳裏によぎる。
「暗部を一部隊向かわせる。何が何でも正体を探れ」
「かしこまりました」
現状の計画は秘匿段階。バレてはいけないのだ。
ボルドリンデ公爵の情報を探りたい輩はいくらでもいる。
現状その筆頭候補はもっとも対立しているエーデルガルド家。互いに密偵を送り付け合い、情報の奪い合いをしている。
疑わしいが決定打にはならない。
暗躍を得意とするボルドリンデ公爵であっても、さすがに神託からの情報で精霊が動き調査したなんて発想は思い浮かばず、エーデルガルド公爵が動いたのかと疑心暗鬼に陥っている。
部下を下がらせ、一人になった後に部屋の隅に目をやる。
「デュプロ、エーデルガルドの暗殺はできるか?」
「難しいと言わざるをえません。周囲の暗部も相当な手練れが多く、それに加え厄介な小僧が一人現れました」
「厄介な小僧だと?」
常に警備を任せている影、ジャカランが入ってきたときに気配を悟らせず、いざという時は背後から仕留めるようにと指示を出していた腹心。
「はい。閣下もご存じのあの御前試合で戦っていた小僧です」
「あやつか」
「はい。どういうわけかほんの数日王都の外に出かけて帰ってきただけで身長が伸びておりまして」
その腹心が示した人間をボルドリンデ公爵は記憶から掘り返し、自分の部下を倒した子供の姿が脳裏によぎる。
「そいつが何をしたかは定かではありませんが、その者がエーデルガルド公爵に接触してから部下の数名と連絡が取れなくなりました」
そしてその脳裏に映った姿がそのまま刻み込まれ。
「・・・・・消せ、この国に英雄はいらない」
「かしこまりました」
敵だと認識するのであった。
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