16 滞在許可
「報酬、ですか」
「ああ、報酬だ」
精霊王と直々の交渉。
報酬と聞いて、前のめりになりそうな自分の気持ちを抑え、ちらりとアミナを見る。
これはあくまでアミナの歌に対する報酬だ。
俺が勝手に決めるわけにはいかない。
「アミナ、何か欲しい物はあるか?」
「欲しいもの?」
てっきり俺がこのまま交渉を進めるのだと思っていたアミナは、いきなり話を振られたことに驚いて瞬きをした後に少し考えるが。
「んー、特にないかなぁ」
思いつかなかった。
「美味しいご飯はイングリットさんが作ってくれるし、可愛い服は商店街の人たちが作ってくれる。みんなと一緒に居られれば楽しいし。僕、欲しい物はもう持ってるよ?」
それは無欲だからではない。
欲しい物で満たされているからこそ素直に言える彼女の本音。
「それに、精霊さんもそうだけど僕の歌を聞きたいって言う人が大勢いるんだ!これ以上に欲しいモノなんてないよ!」
そして歌を純粋に楽しむ彼女だからこそ、欲しい物はないと言えるのだろう。
綺麗な宝石よりも、豪華な邸宅よりも、誰もが欲しがるような宝よりも、自分の歌を聞いてくれる観客が大事だと言った。
「なるほど、だから君の歌を同胞たちは聞きたがるのだな」
「アミナの歌は、本当に楽しいから歌うって言う感じですよ。だから純粋に楽しめます」
「なら、なおのこと聞くのが楽しみになった。生憎と彼女は対価を求めていないが、何も与えずに頼むのも精霊王としての矜持が許さぬ」
その純粋さに精霊王は微笑み、そして好ましいと頷き。
「であれば、リベルタよ。代わりに君が決めるのだ。君なら欲している物の一つや二つあるであろう」
「ありますけど、あんなアミナの後に言うのかぁ」
アミナの純粋さと比べると、ずいぶんと欲深い俺に話を振るのはどうなんだ。
精霊王にしてほしいことは色々とあり、なんならこの精霊界でしか取れないような素材の数々を考えれば、両手の指じゃ足りないくらいに欲しい物が思いつく。
「彼女が特別なだけだ。我々に仇を成すような願いではない限りは我も寛容に受け止める」
「でしたら、遠慮なく」
アミナのライブに対する対価。
それを安く見積もるか、高く見積もるか。
その匙加減は非常に難しい。
「一つ目の願いは、この精霊界に滞在し強くなるための許可を頂きたいです」
「一つ目か。そしてこの世界へ滞在を望むということは君はあれのことを知っているのだな?」
「はい。精霊王御自らが生み出された泡沫のダンジョンに入る許可を二つ目の願いとします」
だが、ここは少し強気で行くべきだと判断してこの精霊界への滞在許可とこの精霊界にしかないダンジョンへの挑戦権を求めた。
泡沫のダンジョン。
このダンジョンは精霊王の力によって創造された、俺たちが住んでいる世界のダンジョンを模倣することができるダンジョンだ。
挑む者の願いによってその姿かたちは変わり、そして挑戦者を迎える。
このダンジョンの特徴は、現世に本当に存在するダンジョンを完全再現するという、ダンジョンの鍵を不要とするような存在だということ。
そこではモンスターを倒せば経験値を貰え、ドロップ品も出て、ボスモンスターも出現する。
「さすがは知恵の女神の英雄ということか。人にはそのダンジョンを知る者はいないと思っていたが」
FBOでは精霊界に来れれば、精霊王の許可の下このダンジョンを使うことができるようになる。
元は俺たちの世界に渡る前に、精霊たちを鍛えるための施設として精霊王が作り出したものだ。
「どこで知ったと聞けば教えてくれるか?」
「対価を頂けるのなら」
「では、聞くのは止めておこう。とんでもない対価を要求されてしまいかねないからな」
ゲーム時代では、条件を達成するたびに挑めるダンジョンが増えるという仕様だった。
所謂、やり込み要素的なシステムだったと言っていい。
色々なゲームをやっていれば、出会うことがあるだろう。
過去に戦ったことのあるモンスターを一覧にして順次戦っていく闘技場的な物。
クリアしていくと、どんどん報酬が解放されて、やり込み続けると最終的にとんでもない敵が出現して隠し武器がもらえるというアレだ。
生憎とこの泡沫のダンジョンにそんな報酬システムは搭載されていないが、幸いなことにこのダンジョンそのものが今の俺たちにとっての最大の報酬となると言っていい。
「しかし、たった一度のライブのために永続的にあの施設を使わせ続けるのは対価が釣り合わぬな。使わせても三度だ」
その使用に制限がかかるのはわかる。
元々精霊王に謁見して、使えるようになったとしてもその使用はただではない。
様々なダンジョンに変化する能力は、精霊王の力があってこそ成り立つものだ。
ゲーム時代であれば、嗜好品とか、希少品を精霊王に献上して精霊界で通貨代わりになっているメダルを貰ってダンジョンを使っていた。
たった一枚のメダルでダンジョンに挑めるようになるのではなく。
展開できる最低のクラス3のダンジョンであってもメダル百枚は必要だった。
クラス4なら五百枚、クラス5なら二千枚、クラス6なら五千枚、クラス7なら一万枚と必要枚数は増えて行った。
クラスを宣言せず、挑んでいい回数を告げているということは、どのクラスでも三度までなら使用を許可してもらえるということか。
これだけでもかなり破格の条件だと言っていい。
だが、それでは足りない。
必要な経験値、必要なアイテム、他にも必要ないろいろな要素を加味すると三度という機会は少なすぎると断言できる。
「いえ、一度ではありません」
なのでここから先が、交渉だ。
「もし、最初のライブでお楽しみ頂けなかったら三度の挑戦で結構です」
この条件を飲ませることが出来たら人災から距離を置きレベリングに集中することができる。
「ですが、もしお許しを頂けるのなら、自分たちがこの精霊界に滞在している間は定期的にライブを開催させていただきたいですね」
俺の顔はにっこりと笑っているだろうが、どこか胡散臭いだろう笑顔を浮かべている自覚はある。
「ほう?」
定期ライブ。
その言葉に興味を引かれた精霊王は面白いとこちらも少し獰猛な笑みを浮かべ始めた。
「いかに素晴らしい物であっても、何度も同じことを見続けるのは価値を無くすと同じ。まさかその価値無きものに対価を支払えと申すか?」
「まさか。毎度皆様を楽しませる趣向を織り込むつもりです。新曲だけで盛り上げるよりも、定番の曲や、人気の曲、そしてリクエストを聞くなど趣向は山ほどありますしね」
伊達にゲームはやり込んでいない。
音ゲー界隈にもしっかりと出張している俺には、千を超える楽曲と振り付けが身についている。
アミナは新しい曲や振付けを覚えるということにおいては、かなり豊かな才能を持っている。
「精霊王も他の精霊の皆さんも聞いたことのない曲、そして催し、興味がありませんか?」
定期的なライブであっても、いかんなくその才能を発揮し瞬く間に自分の物にしてみせるはず。
「……」
「……」
「恐るべきは知恵の女神が選びし英雄か」
僅かな間を隔て、ニヤリと精霊王は笑い、大きく頷いた。
「良かろう。今回のライブのでき次第では次回のライブを許可し、そのライブの準備期間の間は泡沫のダンジョンの出入りと使用を自由にしてよい。住居もこちらの方で用意しておこう。しかし、我がライブの終了を決めた段階で即刻この精霊界から退去することとする。異論は?」
交渉の結果は、出来高制だが精霊界への滞在を許可してもらえるようだ。
そしてライブの準備期間中の泡沫のダンジョンへの挑戦権ももらえた。
十分だと思ったが、もう一つ願えるのなら願いたいものがある。
「もし叶うのなら、時間の相対をこの早いままでお願いします」
「ほう、いいのか?人の命は儚い。向こうの世界の時間がゆっくりと流れることはすなわちこちらの世界で命を浪費することだが?」
「構いません。むしろもっと早くできるのなら早くしたいくらいです」
それは相対時間比率の維持だ。
交渉が成立しても、逆にこっちの一時間が向こうの二十四時間と逆転してしまい、浦島太郎状態になる方が困る。
精霊王に寿命の心配をされるが、それは承知の上なので問題ない。
「できるが?」
「え?」
「何だその顔は、君は我の力がその程度だと思っていたのか?」
しかし、精霊王は俺の知識の上を行くことを言ってのけた。
相対時間比率、72対1。
これはゲーム時代に最高設定時間比率だった。
それを無理矢理ではなく、少しコンビニに買い物に行く程度の気軽な感覚で増やすことができると言った。
一瞬聞き間違いかと思って、驚いた顔を見せてしまい。
俺のその顔が面白いのかクツクツと笑って指を回し始める。
「この世界の理は我が決めている、今まで極端な時間相対をしていなかったのは同胞たちに迷惑をかけないためだ。時間を気にせぬ我らではあるが、それでも世界を渡るたびに時間に齟齬があれば不便だからな」
それは今この瞬間にも相対時間比率を操作しているかのようなしぐさ。
「今の時間比率は100対1にしたぞ?」
そしてその予想は当たり、ゲームの時の数値を簡単に上回った。
「次は200対1、そして300対1だ」
時計塔を見ても、片方の時計が通常の時を刻む中、片方の時は微動だにせずまったくもって動かない。
精霊王、ディヴァン。
ゲーム時代は絶対に契約できない精霊として君臨し続けた精霊界の主。
その力の一端はゲーム時代で語られていたが、この力は俺も知らなかった。
「そして720対1だ。これで最初の十倍まで時間を引き延ばしたぞ?」
一時間が一カ月にまで引き伸ばされた世界。
向こうの世界のたった一日が、精霊界では約二年の月日へと変貌した。
「さて、リベルタよ。我は君の願いを叶えられる。だが、ライブでの願いはダンジョンの使用と精霊界での居住の許可であったな。では君はこの時間の相対比率に対して、我に何を与えてくれるかな?」
未知の領域に驚いている俺を見て満足気に頷く精霊王は、もう一つの交渉のテーブルを用意した。
時間を引き延ばせるのはかなり大きい。
たった一日、あるいはそれ以下の時間で数年という膨大な時間を得られる。
必要だと思う反面、これだけの力を前に何を対価に差し出せばいいか咄嗟に出てこない。
笑顔で圧力をかける精霊王。
ならいらないと断るか?
「そう悩むな。言っただろう同胞たちから聞いていると。君の運営があるからこそライブが盛り上がっている。確かに彼女の歌の魅力があるのも事実だが、彼女の歌だけで我らが夢中になっているわけでもない」
そう悩んでいると、ふと圧力が消えた。
きっと今の俺は困惑した顔をしているだろう。
何故このタイミングで?と思って見てみると、いたずらが成功したかのような子供のような笑みを精霊王は浮かべていた。
「彼女が全力で楽しく歌える、その環境を作り出せる君の手腕を我は高く評価している。ライブと付属する形で何か催しをやってくれればそれでよい」
時間操作の代償が、イベントの追加でいいのかと対価が釣り合っていない事実に困惑するが、精霊王はそれでいいという。
「それでよいか?」
「はい、全力でやらせていただきます」
ならば、俺はそれに全力で応えるまで。
「うむ、楽しみにしているぞ」
約束は守る。
そう誓った俺は笑顔の精霊王の期待を裏切らないために全力で頭を回し始めるのであった。
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