18 EX 運命
仮定の話をしよう。
もし、とある世界で一人の人物が事故死する運命が定められているとする。
それはたった一言、止まってくださいと言えば防げるような事故だ。
しかし、その世界線ではその一言がなく、その人物はあっけなく死を迎えた。
だが、その目撃者がその事故の三十秒前に戻ることができ、そして止めることができた。
人は助けることができ運命は覆ったと誰もが思うかもしれない。
しかし、本当に死ぬという定めが覆ったのか。それを知るには過去に戻ることができた人物であっても未来を見定めなければ確認することはできない。
天寿を全うし、穏やかなる眠りにつけたのか。
あるいは、タイミングが変わっただけで再び死を与えられるのか。
変えてしまったゆえの、未来の変化は誰にも予測がつかない。
本来であれば、這竜と相打ちになりその短い生に終止符を打ったはずの一人の少女の運命は。
「閣下お下がりください!!」
今まさに再びの危機に瀕している。
「うーん、さすが公爵家の護衛ですねぇ。なかなかいい手応え」
両手を血に濡らし、地面を赤く染め上げる短剣を握り、公爵家の鎧を身にまとった男の顔は。
「私の護衛に化けたか!!」
「おや?私についてご存じで?」
エーデルガルド公爵家に長年仕える忠義の兵士の顔であった。
しかし、忠義に厚い男の口元は不気味な三日月を描く笑みに染まり、すぐにその中身が別人であることにエーデルガルド公爵は気づく。
危険地帯から脱出した際に引き連れていた護衛は五人。
そのうち三人は伝令と叫びながら近づいてきた目の前の男に切り捨てられた。
「これはこれは。どこから私の情報が漏れたかしっかりと吐かせる必要が出てきましたねぇ」
余裕しゃくしゃく、歪な笑みをエーデルガルド公爵に向けて、一歩一歩近づいていく。
「エスメラルダ、お前は戻り援軍を呼んでくるのだ」
「・・・・・それができれば一番ですわね」
迅速に離脱したゆえに、置いてきた護衛たちとの距離が離れすぎている。
援軍を呼びに行くまでの時間で公爵と護衛たちは全滅する。
それが見えているうえに、素直に援軍を呼びに行かせてくれるような相手ではないのが公爵とエスメラルダには理解できた。
公爵は腰からサーベルを抜き、構える。
エスメラルダは隠し持っていた護身用の小さな杖を取り出した。
「別に逃げてもいいですよ?私、背中からバッサリ切るのも大好きなんで」
「敵に背を向け斬り殺されるなど死んでも御免だ」
「おや、でしたら背中から切り殺す方法を考えねばなりませんね」
「聞いていた通り、歪んでいるな」
「ええ、ええ、ですけどこんな私を気に入っているので」
武器を構える猶予を与える。
これは格上であるがゆえの余裕なのだろう。
公爵の内心では、無理を言ってでもリベルタに強化してもらえばよかったと後悔している。
貴族としての役割を全うしていても武術の鍛錬を怠ってはいないが、目の前の強敵を倒せる自信は欠片もなかった。
やろうと思えば不意打ちで全員殺すことができたはず。
それなのにも拘わらず、あえて三人殺したところで立ち止まったのだ。
「変える気はありませんね」
ニタッと笑みを深め、そしてもう少しで攻撃範囲に入る直前で足を止めた。
「そうだそうだ。一つ先に護衛の方々に聞いておきましょうか」
それはふと思い出したかのように、あるいは今良いことを思いついたかのようにハッとして、それからこれはいいと頷きエーデルガルド公爵ではなく、生き残った護衛の兵士二人に声をかけた。
「後ろに護る主人を放置して逃げるのなら命だけは助けてあげますよ?」
内容は護衛の兵士としての誇りに泥を塗りつけるような言葉。
守るべき主を見捨てて尻尾巻いて逃げたら命は助けると狂楽の道化師は言ったのだ。
「ふざけるな!!」
「我らは公爵閣下の盾であり剣!!お前のような下賤な輩を前にして主を護らぬわけがなかろう!!」
その言葉に激高し、今にも切りかかろうとする雰囲気を護衛の兵士二人は出すが、それは相手の思うつぼだと理性が働き攻撃はしなかった。
「あー残念、残念過ぎます。尻尾巻いて逃げる背中を切りつけてアキレス腱を切り歩けなくして肩の筋を切り裂いて腕を動けなくして、無様に転がる目の前で主を殺し、こう聞きたかったのに」
その動きをひどく残念そうに大げさに肩をすくめる狂楽の道化師。
「ねぇ?主を見捨てて生き残って、どういう気持ちなの?って」
大げさに笑う様は狂楽の道化師の異名にふさわしいほどふざけている。
挑発に乗るなとわかっていても、これでは怒りで頭に血が上り兵士たちのストレスが頂点に達し、今にも飛び出しそうになる。
「あー、不味い、本当に不味い。ついさっきまで窮屈な生活をしていたから本当にこの解放感がいいねぇ!!これこそが私!今私、最高に楽しんでいますよ!!」
だが、その怒りよりも相手の狂気が勝る。
おぞましい闇に踏み込むのには勇気がいる。
「通路には結界を張ってあります!こんなタイミングで助けが来るなんてナンセンスで白けることはしませんよ!!あとは簡単なお仕事!!兵士を始末して!」
ビシッと血の滴る刃を公爵に向けながら、死んでしまった兵士の頭に足を乗せグリグリと踏み、それを楽しいと笑う。
「公爵様の動きを封じたら、そちらの麗しのお嬢さんを少しずつ削ろうかなぁ?あ、毒で苦しめてポーションを目の前にちらつかせるのもいいよねぇ。あ、安心して公爵様、聞きたいことをしっかりと答えてくれたら娘さんはズタズタにするけど、ちゃんと最後は優しく殺してあげるから!!」
今まで窮屈であった分、狂楽の道化師のテンションゲージが振り切れている。
矛盾だらけの発言。
しかし、当人からしたらそれが正常。
「さて、右手?左足?右目?左耳?ああ、同時って言うのも有りだよねぇ」
ゆらゆらと揺れる血に濡れた短剣の刃先。
そのどれもがこれから斬り割く先を吟味する行動。
護衛の兵士二人が、ちらりと互いに視線を飛ばし。
「閣下、我々が血路を開きます。その隙にどうか」
「……すまん」
命を捨てる覚悟を決める。
「いえ、それではおさらばです!!」
「覚悟!!」
「退くぞ!!」
「っはい!!」
兵士たちが同時に切りかかる。
「んー!抵抗!それは絶望への道筋!!ああ、いい!!存分に抵抗してくれ!私はそれを歓迎するよ!!」
「死ねぇ!!!」
「ほざけ!!」
気合が乗った刃を軽々と交わし、短剣で受け流す。
悔しいが、ふざけた態度とは裏腹に、実力に裏打ちされた剣技が二人の兵士を翻弄する。
二対一、本来であれば少数の方が不利のはず。
それに加えて、護衛の兵士は公爵家でも公爵閣下の護衛につけるほどの実力者。
連携も技術も優秀な二人が懸命に切りかかっても、狂楽の道化師にはかすりもしない。
逆に兵士たち二人がかすり傷を負い。
「か、体が」
徐々に動きが鈍くなっていく。
指先が痺れ、視界が掠れ、そして呼吸も荒くなる。
「痺れるでしょ?この短剣には少し特殊な毒を塗っててね。じわじわと君の体を蝕んでいくんだよ。最初はちょっとした痺れだけど、徐々に全身に広がって、体は動かなくなってすぐに呼吸しかできなくなる」
「く、くそぉ!!!」
少しでもいい、時間を稼ごうと兵士の一人が剣を振るうが、精彩を欠き、力強さも失った一撃は。
「残念!私には届かない!!」
あっさりと防がれ、腹部を短剣で刺される。
「あ、ヤっちゃったぁ」
毒が塗られた短剣を腹部に刺す。
体内に毒が入り込み、すぐに呼吸ができなくなり、もがきながらも必死に狂楽の道化師の体にしがみつき時間を稼ごうとした。
「もうお前はいらない」
だけど、死ぬならもう用済みと冷めた声で狂楽の道化師は兵士を突き飛ばし。
「オオオオオオ!!!!」
こちらも最後の力を振り絞り、仲間の体ごと貫いてでも一矢報いようと剣を突き出すが。
「もう、お前も飽きた。後で君の主を連れて遊びにくるから」
それをあっさりと躱し、足を切り裂く。
「そこで無様に這ってなよ」
「ま、待て!」
「待ちませーん」
毒が回り、動けなくなり鈍くなっている手を必死に伸ばすが軽やかな足取りはそんな鈍い動きでは止めることはできず。
兵士の静止を無視し、狂楽の道化師は逃げたであろう公爵父娘を追いかける。
「おやおやおや、言ったではないですか。結界で道を塞いでいると。ちなみに、他の道も色々と塞いでますので!!」
追いかけると言っても、結界の壁で袋小路に追い詰めた先にいる公爵父娘の元に歩み寄るだけという簡単なお仕事。
「今日!この日のために準備した特注品の結界ですよ!!そのためにわざわざあのボンクラをよいしょして金を出させた一級品。そう簡単に破れると思わないことですよ!!」
狂楽の道化師と対峙するエーデルガルド公爵は無言でサーベルを構える。
「それで、どうやって私のことを知ったか話す気はあります?」
「……」
「あー、これは娘さんを目の前でいたぶらないとダメですねぇ」
エスメラルダも無言で杖を構え。
「燃えなさい!!」
無駄のない仕草で魔法を放った。
「おっと、お嬢さんは炎魔法の使い手ですか!!こんな狭い場所で使ってしまったら火事になってしまいますよ?」
それを軽やかに躱して、前に出るが。
「はぁっ!!」
そこにサーベルで突きを放つ公爵が、一歩前に出る。
親子ならではの阿吽の呼吸。
「んー!!惜しい!!」
その連携は見事な物ではあり、貴族の特権を活かしレベルを鍛えたがゆえに、常人ではとらえられない一撃であった。
斬撃ではなく刺突というのも視認性を抑えるという意味で有効であった。
「だけど、つまらない一撃ですねぇ」
だが、狂楽の道化師には届かない。
「っ!?」
「お父様!?」
すれ違いざまに一閃、サーベルを握る手首を切り割かれ、握力が無くなりエーデルガルド公爵は武器を失う。
サーベルが転がる音が響き、痛みを我慢して下がろうとしたが。
「はい、残念」
さらに一歩踏み込まれ太ももを切り裂かれ足がもつれた。
「お父様!!」
「おっと、逃げないでくださいよ。もしあなたが逃げたら、私悲しくなってお父様を殺しちゃいますよ?」
「逃げろエスメラルダ!!私にかまうな!!」
手をやられ、足を傷つけられたエーデルガルド公爵に逃げ場はない。
それを瞬時に理解したエーデルガルド公爵は貴族としてではなく父親として、走れと叫ぶ。
自分の命はこの狂人の前ではないも同然。
それを理解しているがゆえに、せめて娘だけでもと。
「ああ!いい!その顔!!その感情!!絶望に塗りつぶし甲斐がある!!」
「ぐあ!?」
「止めなさい!!」
「でしたら逃げないでくださいよ?」
その親子の関係を美しく思い、そして汚したいと思った。
それゆえに狂楽の道化師はエーデルガルド公爵の無事な手を地面に縫い付けるように手の甲を短剣で串刺しにした。
残虐な行為にエスメラルダは叫ぶが、それは狂楽の道化師にとっては追い詰められた獲物の理想的な反応。
なりふり構わず、逃げ出した方が面倒だった。
叫び、そして静止するということは親に未練があり、己よりも親を優先するという感情がわずかでもあるということ。
足が止まり、向き合っているという時点で、もうすでに決着はついた。
「さぁ、お父さんを助けたいのならそこでじっとしていてくださいね?」
時間に猶予はない。
だが、それでも楽しみたいという感情が先立ち、狂楽の道化師は我慢していた分ここで綺麗な顔を絶望に染めるという快楽に身を委ねた。
「逃げろ!!逃げてくれ!!」
公爵の叫び声が、その感情をより高ぶらせる。
そして刃が届く距離まで歩み寄る。
「さぁ、どこを切り裂いてほしいですか?」
簡単には傷つけない、この真っ白なキャンバスの最初の一筆こそが一番重要なのだと思っている狂楽の道化師はそのポリシーに従い、ゆっくりと邪魔の入らないわずかな時間を楽しもうとした。
だが、そこで気づく。
ついさっきまで、恐怖を押し殺し、気丈にふるまっていた娘が目を見開き。
「ああ」
安堵の表情を浮かべたことに。
そして狂楽の道化師の背筋に悪寒が走る。
それは久しく感じていない死の手招き。
「首狩り」
そしてこの場にいないはずの、もう一人の声が聞こえた。
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