2 無名の二つ名
這竜、それは俺がこの世界に来て初めて、エスメラルダ嬢たちと一緒に戦った竜種。
洞窟に住処を作り、そこを縄張りにして暗闇を味方にする竜種の暗殺者。
飛竜、沼竜、這竜と竜種の最下級をすべて相手にしてきたが、闇夜で一番強いのは間違いなく這竜だ。
飛竜なら空中、沼竜なら水中と、竜種それぞれに支配する領域がある。そして這竜は暗闇を支配する竜種だ。
暗闇の中で有利に動けるスキル構成にデバフ攻撃。
そのどれもがこの試練の難易度を跳ね上げている。
あの時這竜に勝つことができたのは、日中であったことと俺の知識によって、ひとえにその強みをすべて封じることができたからに他ならない。
だからこそ、クラス1でも奇跡的に勝てた。
だが、暗闇であれば話は変わっていた。もし仮に暗闇の中で這竜に気づかれた状態で対峙したならば、仮にメタ装備を備えてこちらのレベルが這竜より上であったとしても、勝ち目は無かっただろう。
屋根の上で息をひそめ、暗闇の中で静かに這いずるその巨体を、音とわずかに捉えられる輪郭で脳内にイメージしつつチャンスを待った。
まだこちらには気づいていない。
暗闇で輪郭しか見えないが、確かにそこにいる。
狙うは、首の逆鱗。そこ以外に一撃で暗殺できる急所はない。
急所の逆鱗にマジックエッジの首狩りを叩き込んで、一撃死を狙う。
俺のスキル構成と装備だとそれを狙う以外に勝ち筋はないのだ。
相手に気づかれず、それをできなければ今回の試練は失敗だと言っていい。
呼吸にも気を使い、深呼吸をせず、静かに心を落ち着かせ、ゆっくりと慎重に体を起こし、屋根の上を進む。
まずは這竜の頭を探す。
音、そしてうっすらと見える輪郭から進行方向はわかる。
屋根から降りてゆっくりと這竜の後方に回り込み、そしてそのまま死角を狙って忍び足で頭を目指す。
こういう時に廃墟というのは面倒だ。
足元に何が転がっているかわからないし、何か蹴飛ばせばすぐに這竜の幻影に気づかれる。
そして相手の動きに連動しないといけないのも気を使うところだ。
時間制限があるという思考は、少しでも早く終わらせないといけないという焦りを生む。
こういう時に大切なのは、時間制限以内に終わらせられればいいという思考を常に持つこと。
まだ時間があると能天気になるほど思考を緩めるのではなく、あと数十分しかないと焦るわけでもなく。
必要なのは計画的に時間を割り振り冷静に淡々と進める思考。
歩行速度は常に変動させ、相手の動きにリンクさせる。
這竜が動きを止める前に陰に隠れ、動き出す瞬間に距離を潰す。
徐々に徐々に、距離を縮め、そして暗闇の中に個体の大きさを把握する。
「……」
幻影の個体は、種族は決まっているが大きさが一定ではない。
今回は外れ気味の大きな個体。
頭は高い位置にあり、一撃で逆鱗から首を狩るには攻撃に高さがいる。
空歩は空を踏む際に音が響いて相手に気づかれるので隠密行動をするにはスキルが向かない。
ジョブを確保した後なら、サイレントウォークというスキルを確保できるからそれで足音は消せるんだけど、今はない。
となれば、相手の頭が下がりきった時を狙うか、あるいは。
自由落下で狙うか。
マップを頭の中に展開すると、この先に進んでくれるのなら渡り廊下がある。
そこに潜み、這竜が下を通るときに落下して首付近まで静かに近づいて、気づかれる前に空歩で踏み込んで狩るか。
それ以外に方法がないか。
考えている時間はあまりない、このままスニーキングをしながら這竜を追い、暗殺タイミングをうかがっていては時間切れになる。
這竜の幻影の出現場所は外れではないが当たりでもない地点。
進行方向は悪くはないといった程度。
ギャンブル要素が強くなるこの暗殺に、決定打となる要素が欲しい。
何かないかと思考を巡らせているときに、進行方向でかちゃっと物音がした。
ヌルっと這竜が反応してその方向を見た。
『はにゃ!?』
強大な存在を前にして驚くはにわ。
彼が物音を発したのだ。
『キシャアアアアア!!!』
威嚇し咆哮する這竜にガタガタと怯えるはにわ。
蛇に睨まれた蛙ならぬ這竜に睨まれたはにわ。
このままいけば間違いなくはにわは消滅する。
そこに俺がいなければの話だ。
這竜の意識が周囲の警戒から、一時と言えどはにわに向いた瞬間、暗闇の中にいた俺は動き出した。
慌てて駆け出すのではない。
静かに、されど素早く、音をたてぬように這竜の幻影に迫り。
口を大きく開け、はにわを噛み殺そうとする這竜の幻影の喉元に迫り、そこに何かが割り込んできたことも気づかせぬように死角に回り込む。
暗く、相手の動きも早く、逆鱗の位置も手探りだ。
だが、ほぼ勘だというのにここだという確信を持って、鎌槍を振るい、攻撃が当たる一歩手前でマジックエッジを発動させ。
「首狩り」
攻撃が当たる瞬間に首狩りを発動させれば。
『はにゃ?』
空振ったかと思うくらいに手応え無く、這竜の首に攻撃を通すことができた。
はにわの疑問の声が一帯に響く。
〝ジョブを獲得しました〟
そして俺の脳内に響くようにアナウンスが流れる。
『見事、汝は試練に打ち勝った』
それに少し遅れるように響き渡るシャード神の声。
これがクエスト終了の合図。
「やっとでてきたぁ」
俺はステータスを見て崩れ落ちるようにその場に膝をついた。
〝無名の暗殺者〟
暗殺者の中で随一の性能を誇る二つ名。
〝無名〟
二つ名なのに無名とはなかなか頓智が効いているが、この二つ名には理由がある。
誰にも姿を見せず、誰にも正体を知られず、誰にも存在を気付かせず、闇に潜み標的を消す。
完璧に仕事をこなし、存在を認知できないゆえに無名。
二つ名の効果は、スニーキング系スキルの効果向上とクリティカルダメージの上昇。
この上昇率が他の二つ名と比べて群を抜いて高いんだ。
暗殺者のジョブ補正はクリティカルダメージ上昇。
この二つ名と合わせることによって急所にあたった時のダメージの跳ね上がり具合が段違いに変わる。
「あー、やっと、やっとレベリングできるぅ」
達成感が半端なかった。
脱力感も半端なかった。
集中していた反動で出たため息も大きかった。
「ありがとうよはにわ。お前は俺の恩人いや恩はにわだ」
『はにゃ?』
そこにてくてくとはにわが近づいて来たので、つい頭を撫でてしまった。
あのタイミングで隙を作ってくれたこの個体に心の底から感謝する。
攻撃ではないので向こうから攻撃される心配はない。
「はぁ、やっと帰れる」
お礼は言った。
そしてここにはもう用はないので、イングリットが待っている神殿に向かう。
右に行って、左に行って、直進してと真っ暗い地下都市を進んでいくとそこだけ明るくなっている場所が見える。
「ただいま、イングリット」
「おかえりなさいませ。リベルタ様。今回は早かったですがもしかして」
「ああ、やっととれたよ」
「おめでとうございます」
ランプを机に置き、近くに荷物をまとめて椅子に座って待っていたイングリットは俺の足音を聞き立ち上がって出迎えてくれた。
「それじゃ、帰ろうか」
「はい」
荷物を持ち、転移のペンデュラムを出す。
本当にこのアイテムを手に入れておいて良かったと思うよ。
何度も挑戦してたから、体はくたくただし、ここから歩いて出るには少々億劫だ。
起動して光に包まれた先に見えたのは見慣れた我が家。
「あ、リベルタ君おかえりー」
「ただいま、アミナ」
ではなく、エーデルガルド公爵家にある別邸だ。
まだ帰れていないって?
仕方ないだろ、王家が本当にしつこいんだから。
いや、まぁ、普通に損害を最小限に抑えてホッピングソルジャーのスタンピードのレイドイベントをクリアしたから注目されるのも仕方ないんだけど、だからって自分の陣営に勧誘する機会を虎視眈々と狙わないでほしい。
エーデルガルド公爵がいつまでも居座っていてほしい雰囲気をプンプンと漂わせているからいいけど、こっちとしてはうかつに街にも出掛けられなくなっていて困っているんだよね。
出迎えてくれたアミナはソファーから立ち上がって、俺の方に近づき一枚の手紙を差し出してくる。
「はい、これ、ロータスさんから渡しておいてほしいって」
そしてそれはアミナもだ。
国軍の兵士の前で歌を披露した結果、見事にアミナも王家からロックオンされた。
レイド戦というか、集団戦に於けるアミナの価値を見せつけた結果、アミナに貴族にならないかという話が来た。
今じゃ俺と一緒で迂闊に外に出れない身になってしまっているわけだ。
「……またか」
「今度はどこのお貴族様?」
「知らない家のお貴族様だよ」
後悔しても遅いのは自覚しているが、こうやって出かけるのも不自由になってしまうのは正直いただけない。
公爵閣下が盾になって俺たちを保護してくれているからまともに生活できているけど、そうじゃなかったら今頃雁字搦めに自由を制限されそうになってこの国から脱出を計画していたに違いない。
現に今もロータスさんからはパーティーのお誘いの招待状が来ているという連絡が来ている。
俺は平民、そして社交ダンスは踊れるが、あくまでそれは好感度稼ぎ用の技術であって貴族と関わり合いになりたいとは欠片も思わない。
礼儀作法も中途半端だし、貴族関連クエストは本当に面倒事ばかり押し付けられるからこういうパーティーは全部断ってくれとロータスさんに頼んである。
だが、一応どういう家から誘いがかかっているかという情報は欲しいからこうやって紙にまとめてもらっているというわけだ。
「そう言えば、ネルの姿が見えないが」
「クローディアさんと庭で鍛錬しているよ。対人戦の訓練だって」
「最近、妙に気合入れているけどアレが原因か?」
「うん、たぶんそうだよ。エスメラルダ様の代理決闘人に立候補するんだって気合入ってる」
こういう情報を貰えるくらいには公爵家とは仲良くさせてもらっているけど、その過程で関わっていいのかわからない案件にも関わってしまっている。
「公爵閣下も大変だよなぁ。まさか、婚約破棄騒動になるとは」
「ねぇ、しかも向こうはこっちが悪いって一方的に宣言してるみたいだし」
「たった三か月でなにがどうしてこうなったかと思うわ」
その関わっていいかわからない案件とは、エスメラルダ嬢の婚約者の浮気騒動。
それが表沙汰になって、エーデルガルド公爵家と相手の家がいますっごく微妙な関係になっている。
公爵家の敷地内で生活していると、ネルとアミナと仲良くしたいエスメラルダ嬢とイリス嬢は度々お茶会を開き交流を深めていた。
表向きの理由は市井の情報を得られる貴重な時間としてネルとアミナを誘っているということになっているけど、今じゃ普通に女子トークで盛り上がる場になっている。
ネルとアミナの冒険譚をお嬢様方も興味津々に聞き、楽しんでおられる様子。
身分を超えた友情など恐れ多いと思うのがこの世界の一般人の思考。
だけど現実は困った時には助けたいと思うくらいには仲を深めているのだ。
「真実の愛に目覚めたとか言ってたよ?」
「人はそれを気の迷いというんだよ。覚えとけアミナ、自分の言葉が世界で一番正しいと思い始めたら人生終わる」
本来であれば、貴族間でも醜聞となるので広げていい話の内容ではないのだが、俺たちを信頼しているからと表明し、相談という形でエスメラルダ嬢は今の公爵家の騒動の内容を教えてくれたのだ。
「それはわかるけどさ。でも、聖女様が言ってるからエスメラルダ様が悪いって、みんな言っているんだよね?」
「そこら辺が微妙なところなんだよなぁ」
公爵家の令嬢と言うことで、彼女と婚約するには家格が高くないと問題になる。
王家か同格の公爵家、最低でも侯爵は必要になる。
あるいはよほどの功をあげて王が認めるという形であれば多少家の格が落ちても婚約は認められる。
エスメラルダ嬢の婚約者は少し特殊な存在だ。
貴族であるのは間違いない。
王家の血筋を引いているのも間違いない。
だけど、異国の貴族なのだ。
エーデルガルド公爵家が遥か昔から交流しているとある東の大陸の貴族。
それも竜神の血を引くと言われる高貴なる血統。
その家と政略結婚をする予定であったのだが、まぁ、この婚約者とやらが真面目が服を着ているような存在で、貴族の義務として、そして家のために結婚するというスタンスを一切崩さない御仁だ。
そんな御仁がなぜ、南の大陸にいるかと言えば留学しているからだ。
どこにと言えば、今は市民にも開放しようとしている冒険者学校にである。
その男とエスメラルダ嬢が同級生であり、お互いの家の定めた婚約者と言うことは周知の事実。
しかし、仲が良好かと言われれば微妙なところらしい。
エスメラルダ嬢は何とかその男と婚約者として交流を持とうとしたが、男は貴族としての体面を繕うことに対しては協力的だが、異性としての交流には非協力的とのこと。
別に好きな人がいるわけでもなく、ただ貴族として家の繋がりを保とうとすることだけに意識を持っていっている、頭が岩石でできているのではと思うくらいの頑固者。
そんな対応の婚約者に、公爵閣下も思うところがあるのだろう。
親としても、貴族としてもこの青二才に不安は覚えるのは当然だが、貴族家の関係としては相手の家を無下にはできないということで我慢していた矢先の騒動。
堪忍袋の緒が切れたわけだ。
そしてその騒動の中に、どうやら本当に神に祝福された少女がいるらしいんだよねぇ。
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