15 精霊
温泉に入り、一晩ぐっすりと休めば子供の体というのはだいたい元気になるものだ。
それもお腹いっぱい美味しいものを食べられれば、さらに回復は促されるというもの。
「今日はいよいよ、精霊様に会いに行くのね!」
温泉に入り、お肌も毛艶も良くなったネルが、朝日を背に言い放つ。
「ああ、地図ももらえたし人面樹のおかげでここら一帯にはモンスターはいないはずだから楽な道中になると思うぞ」
「油断は禁物ですよ。慢心は人の命をたやすく奪う死神です、彼らはいつもは怠惰に過ごしておりますが時にやる気を出し鎌を振るいます。体調が万全であるときこそ気を引きしめていくべきです」
こちらもお肌の艶が良くなったクローディアが俺の油断を嗜め、山に入るのなら万全を期すべきだと忠告してくれる。
ゲームと違って、山に入るのなら相応の準備が必要だ。
日帰りができるような場所にあるわけじゃない。
事前に公爵家に頼んで山登りの装備は用意してもらっているけど、一応中身の再確認はすべきか。
「ここから目的地までどれくらいなの?」
「歩いて三日くらいかな。順調にいけばという前提だけど、少なくとも野営はすることになる」
昨晩の宴席は、この街を治めるノーリッジ男爵が来て緊張したが、その時に山の奥に用事があるといったら古いが自分の足でしっかりと計測した地図があるというのでそれを借りられないかと聞いたところ、写しを何枚かもらえることになった。
この街の恩人なのだからできるだけの援助はするといってくれたのは正直ありがたい。
男爵自身も古参の部下を失い、大変だろうにと思い、それ以上のことは願わなかった。
人面樹の被害から街を復興させるにはどうあがいても金が要る。
ゲームでクエストを攻略したのなら、その分の報酬を受け取るべきなのだがこうやって街に被害が出ている現実を目の当たりにするとどうも遠慮してしまう気持ちが湧く。
「そうなりますと、帰りにもう一度この街に寄る形になりますね」
「転移のペンデュラムで帰ってもいいけど、それだとロータスさんを置き去りにするからそうなるかな」
「入浴券を頂いているので、この街に来ることもあまりないでしょうし、帰りに使うのはいいことかと」
「イングリット、気に入った?」
「はい」
代わりにくれたのはこの街、というか俺たちが宿泊した旅館の宿泊券のようなものだ。
正確に言えば支払いを男爵が持ってくれるという招待券と言えばいいだろうか。
何回も使えるものではないが、俺たち一行が一か月ほど泊まれるくらいの宿泊は想定されているらしい。
有効期限は今の当主が代わるまで、それまでなら自由に来て良いと言われた。
ロータスさんたちも同じものを貰っているかと言えばそういうわけではなく、公爵家にはまた別の形でお礼をするらしい。
こういう形でしっかりと筋を通してくれる貴族は珍しい。
イングリットもこの宿は良いと頷き、肌艶を増した無表情でどことなくスケジュールを修正しようとしてくる。
「そうか、山登りで疲れた体を温泉で癒すのもいいかもな。帰りに寄ろうか」
「やったね!」
「楽しみがあるっていうのは良いことよね」
そこに反対する理由もないので、俺は頷きスケジュールを調整する。
精霊石を確保してロータスさんに渡して転移のペンデュラムで配達すれば、公爵閣下の方も問題はないだろう。
「それじゃ、行こうか」
公爵家で用意してくれた若い荷運び用のロバを一頭連れてノーリッジの街を出発。
山道はあるけど、人一人通れる程度の道、五人分の荷物を運んでくれるロバとともにその道を進む。
「静かね」
「鳥もいないよ」
「人面樹の影響が出てるんだよ。湯気で覆われる前ならいたかもしれないが、覆われた時に逃げたか、やられたかで今ここには草木しかないんだろうな」
山の中というのはなにかしら鳥獣の音がするのだろうけど、今は草木が風で揺れる音しかしない。
それはそれで自然のありのままのような世界なのだろうが、逆にその静けさが不気味さを際立たせてネルとアミナがキョロキョロとあたりを見回し始める。
俺からしたら、警戒反応が少なすぎて逆に敵を発見しやすくて助かるなと思ってしまう。
「こんな状況で精霊様に会えるのかしら」
獣たちが一切消えた森、そこは食物連鎖が途切れてしまった土地と言っていい。
人の街で言えば、街は残っているが人が消え去り活動が途切れ活気が失われあとは滅びるのを待つだけの空間といえる。
「会えるぞ、むしろこっちの方が都合がいいかもしれない」
そんな薄気味悪くなった土地から精霊が離れていなくなるのではとネルが不安を含んだ声でつぶやくが、俺はその言葉を否定する。
「静かな方が都合がいいとはどういうことでしょうか?」
ロバの手綱を引いているイングリットが隊列の真ん中から顔だけを振り返らせ、最後尾を歩く俺に質問してくる。
先頭にいるクローディアもちらりと後方を見て前を向いた。
「精霊というのは、条件を満たさないと誰かの前に姿を現さないんだよ。ドンタを思い出してくれ、お菓子を持つ、スクロールを用意するそして合言葉を言う。この三つの条件を達成してようやく姿を現した」
「それと森に動物たちがいないことに何の関係があるの?」
「正確にはこの森にいる精霊を呼び出して交渉するときに動物とかモンスターがいると少し面倒なんだよ」
俺の話を聞いているということで、静かな森の空気を少しでも賑やかにするために、少しだけ声を張り上げて精霊との会う方法を説明する。
「途中で妨害されるのがだめってこと?」
「そういうこと。邪魔が入ると交渉は失敗、精霊もその場からすぐに退散、そうなったらしばらくは姿を現さないよ」
「うへぇ、僕たちが守ってもダメなの?」
「ダメ、一からやり直し。だから横やりが入らないっていう今の状況は都合がいいんだ」
その際の注意点として、横やりが入るのは絶対にダメだというのを強調しておく。
精霊というのは基本的に繊細な生き物だと思った方が良い。
ドンタみたいな好奇心旺盛な精霊であっても、条件を満たさないと入れないような人払いの結界を張って他者を寄せ付けないように配慮している。
自然界に生きる精霊たちは、迷いの森を作ったり、深海の中にひっそりと住んだりと精霊にしか来れないような工夫を凝らしている。
ゲーム時代に上位精霊と交渉中に一匹のゴキブリが紛れ込んだだけで精霊はびっくりして消え去ってしまったという苦い記憶が思い出される。
当時はその出来事に唖然として状況を把握したときに
『いや、ゴキブリくらい簡単に消し飛ばせるだけの能力があるだろうが!?』
と大声でツッコんでしまった。
いきなり消え去ったから何かまずいことをしたのかと思ったが、後に知ったことは精霊との交渉中に少しでも妨害が入ればおしまいという条件を発見した解析班の情報だった。
「なるほど、って言っていいのかしら。私の中の精霊様のイメージが崩れそうになってるんだけど」
「荘厳な姿をしている存在が多いからギャップがすごいよな」
神々しい不死鳥が、料理中の主婦がゴキブリを見つけた瞬間に悲鳴を上げるのと同じように驚いて消えていくんだよ。
そのギャップはすごいの一言だ。
さっきまで仰々しく話していたというのに、いきなり飛び込んできたゴキブリにビクリと肩を揺らして、そしてギョッとした目でゴキブリを見たら一目散に消え去る。
俺が精霊に様付けしない理由はステータスでは圧倒しているのに、なんで逃げるのかという疑問がこびりついているからだ。
仲間にした精霊はしっかりと戦ってその力を遺憾なく発揮してくれると言うのに。
「ギャップで済ませていいのかなぁ。リベルタ君の言っていることが嘘だって思いたくないけど、イマイチ信じられないよ。前に吟遊詩人が語ってくれた話に精霊様が困った村人を助けるために邪悪な竜を追い払ってくれたっていうのがあるんだよ?」
「ああー、それ実話だぞ」
「「「えっ?」」」
ここまで聞いている限りだと、精霊というのは情けない生き物だという印象が残っているだろうけど、本当に精霊というのは能力面ではかなりすごい存在なのだ。
アミナが聞いた吟遊詩人のおとぎ話というのはゲームの中でも語られクエストが発生するほど有名なお話だ。
クエストの名は『精霊の真実』。
とある吟遊詩人見習いが、おとぎ話を歌って聞かせるがイマイチ歌に真実味を持たせることができず客が寄り付かず日々生きるのも大変だという境遇からスタートするクエスト。
自分の歌がお客に聞き入れられないのは歌に重みがないからだと言い、そのためにおとぎ話の真実を追いかけるというクエストだ。
おとぎ話の真実と聞いて、作り話だろと鼻で笑うようなNPCたちに見送られ吟遊詩人とプレイヤーはいろいろな場所を冒険し、精霊たちと出会い話を聞くというクエスト。
精霊関連のスキルを取る人にとっては割と有名なクエストなのだ。
「実際に、とある土の精霊が村を襲う竜と対峙して撃退したっていう話があってその時に助けられた村人が感謝の証に石碑を作ってる」
「え、でもゴキブリにも逃げたんでしょ?」
「すべての精霊がそうってわけじゃないけど、びっくりして消えることがあるってだけで、実際に覚悟を決めた精霊は無茶苦茶強い」
そしてとある村にたどり着き、一人の老人に出会う。
彼は精霊と友達だと語り、そしてその友達はかなり気まぐれな存在だと言う。
幼少のころに初めて出会ったカメのような姿の精霊。
小山のような大きさで出会ったときにその老人は腰を抜かしたと笑った。
その時に持っていたお菓子をあげたら、もっと欲しいとねだられてつい言ってしまった、友達になってくれたらお菓子を分けてあげると。
その無邪気な願いを精霊はかなえてくれた。
会える頻度は少なかったが、まだ幼かった老人は欠かさず毎日同じ時間にポケットに小さなビスケットを二枚忍ばせて待ち合わせの場所に向かった。
会える日もあれば会えない日もある。
一緒に話すだけの日だったこともあれば、勝てないとわかっていても押し合いっこをして泥だらけになったこともある。
そんな平穏の日々が終わりそうになった。
空からくる大きな竜、村一つなんてあっという間に破壊するであろう巨体。
火を噴き家を燃やし、矢を放たれても鱗ではじき、地に降りて尻尾を振るえば村は更地と化す。
家畜を頬張り、食事の邪魔をするものは消し炭にする。
そんな巨悪を前にしてまだ若い青年だった老人は必死に走り待ち合わせ場所に行って、カメの精霊に教えた。
逃げろと言い、そしてもう会えないと伝えた。
青年の腰には古くそして錆びた剣があり、それで怯えながらも村を守るために戦うという意志を感じ取った精霊は言った。
『困ったら助ける。それが友達だろ?』
そうして陸亀の姿をした土の精霊と青年は竜に立ち向かい、倒すことはできなかったが追い払うことはできた。
「どれくらい強いかというと、下位の精霊が飛竜を追い払えるくらいには強い」
このストーリーで一番驚いたところは、仰々しい姿に反して陸亀の精霊は下位精霊だったということ。
クラスで言えば3くらいの能力しかなかった。
それなのにクラス5の飛竜を撃退した。
風属性の飛竜と、土属性の下位精霊。
相性としてはとてつもなく悪いはずなのに、その相性の悪さを覆して撃退してしまったのだ。
「ええ!?本当なのそれ!?」
「実話だ」
「アミナ、いくら静かだからって大声をあげないでよびっくりするじゃない。リベルタの言っていることがすごいことなのはわかるけど」
精霊という存在の強さを語ればアミナは面白いくらいに驚いた。
その声はさすが歌い手だけあってよく響く。
近くにいたネルが頭の耳を押さえ、ロバもビックリしてしまい、少し暴れる。
「だって!だって、ねぇ!?」
「落ち着きなさいって」
おとぎ話が実話で、精霊は強い。
ただそれだけであるが、少女にとっては奇想天外な物語に聞こえて興奮してしまう。
その興奮に触発されたロバをなだめるイングリットはふと気づいたかのように首を傾げる。
「ということは、私共はその竜を撃退できるほどの精霊様よりも上位の方に会うということですよね」
「ああ」
「すなわち、竜をも屠れるお方に会うということで」
「そうだな」
そして抱いた疑問を素直に話す彼女の言葉に俺は素直に頷く。
間違っていない、むしろ正解だと言うかのように。
「怒らせてしまった場合、大丈夫なのでしょうか?」
「「「・・・・・」」」
素朴な疑問、されど先頭を歩いていたクローディアが足を止めるほど決定的な部分を指摘された。
クローディア、ネル、アミナの三人に一斉に見つめられた俺は。
「何とかなる」
そう言うしかなかったのであった。
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