8、失いたくない
「そんなに上手くいくわけないよね……相手は王宮魔法使いだし……」
エインズワース魔法学園からの帰り道。
私は大通りを眺めて、ため息をついた。
もう一度、貴方と会うために。
そう決意して日常を過ごしているけれど、雲の上の人と出会うことの難易度の高さを今、痛いほど感じている。
私の日常といえば、平日は魔法学園に通って、休日は教会のお手伝いをするという実にシンプルなもの。王太女付きの魔法使いとの接点など、はっきり言ってゼロだ。ゼロに近い、ですらない。この前ちらっと顔が見られたことは、奇跡みたいに珍しいことだ。
今もこうして大通りをあてもなく眺めて、王宮魔法使いがいないかなと気にしてはいるけど――当然、収穫はない。
リオネル様の家はわかるけど、そこに直接行くのはさすがに不審者として拘束されても文句は言えないので、できない。
「リア? どうしたの?」
先を行くブレディが、私の足が止まっていることに気付いたらしい。振り向いて、ちょいちょいと手招きしている。
「ごめん。ぼーっとしてた」
笑って誤魔化し、小走りでブレディを追いかける。
「そう? 王宮魔法使いって言ってなかった?」
幼なじみは鋭いし、耳も良いらしい。
「えっ、と……あ、そうなの、ほらトビアス先生って元王宮魔法使いなんでしょ? かっこいいなーって思って」
咄嗟に誤魔化した。
バレバレかと不安に思ったけど、ブレディは特に気にした様子もなく、そうだね、と頷いていた。
「よっぽどの才能がないと王宮魔法使いにはなれないからね」
私とブレディは大通りと、その遥か向こうに聳え立つ王城に視線をやった。
(リオネル様は遠いなあ……)
今度こそ言葉に出さないように、心の中だけで想い人の名前を呟いた。
*
教会に帰った私たちを出迎えたのは、ちょっとした騒ぎだった。子供たちが中庭に出ていて、しきりに上を見上げている。
「どうしたの?」
私が声をかけると、みんなの顔がぱっと明るくなった。
「お姉ちゃん……」
ミーナの目が潤んでいる。その足はあちこち小さな傷だらけで、土で汚れていた。
「怪我してる。痛くない?」
「俺がやるよ」
ブレディが前に進み出て、膝を折る。別に何てことのない動作なのに、やけに洗練され、綺麗に見えた。
ブレディは杖をミーナの足に向ける。その先端に七色の光が灯り、周囲を柔らかく照らす。
治癒魔法だ。水属性の魔法の中でもかなり難易度が高く、使い手は限られてくる。ブレディは本当に才能に溢れた、優秀な魔法使いの卵なのだ。
ミーナの怪我はすぐに塞がった。痛みも消えたようで、彼女は不思議そうに足を眺めたり、足踏みしたりして具合を確かめている。
「汚れも落としてあげる」
今度は私が魔法を唱える。杖から小さな水流が生まれて、ミーナにくっついたままだった土を洗い流す。
「わ、ありがとう!」
少女が満面の笑みを見せてくれて、私はほっとした。
「それで、みんなは集まって何してたの?」
「忘れてた。あのね、こっち来て」
ミーナが私の制服の裾を引っ張った。彼女が導くまま、私とブレディは中庭にある一本の木の前に立つ。
ふと、懐かしさを感じた。ループしてから、この木を目にしても特別意識したことはなかった。
昔、ブレディとよく木登りしていたことを思い出して、頬が緩む。
「あれ、風で飛ばされて取れなくなっちゃったの。どうしよう……」
ミーナは上を指差した。木の枝に、シスターが使うヴェールが引っ掛かっていた。
私が手を伸ばしても、届かない。ブレディの手はヴェールの端に届いたけれど、無理に引っ張ったら繊細なレースが裂けてしまいそうだ。
「登るしかないかな」
「あ、私やってみるよ」
鞄と杖をミーナに預けて、私は木のざらざらとした幹に手を掛けた。
「リア」
ブレディが私を呼んで、私の手を上から押さえた。重ねられた手は、思ったよりも大きいし固い。
一緒に木登りをしていたあの頃よりも、ずっと。
「ブレディ?」
「そんな格好で登ったらどうなると思う?」
くすくすと幼なじみが笑っている。その視線は私の足に向けられていた。
魔法学園の平民クラスの制服は、スカートの丈が膝上と、それなりに短い。
私は思わずスカートの裾を押さえ、ブレディを軽く睨む。
「いや見てない見てない。未遂だから大丈夫」
ブレディは軽く笑い飛ばして、今度こそ木に登った。彼は身軽に枝まで登り、ヴェールを丁寧な手付きで外す。
「リア、はい」
ブレディがヴェールを落とす。受け取ろうと手を伸ばしたけど、ヴェールは風に舞い、私の頭の上にふわりと着地した。
「似合ってるよ」
「うん! 花嫁さんみたい!」
ミーナが弾んだ声で言い、私に飛び付いてきた。
「あ、いいこと考えた。ねえねえ、今度3人で結婚式ごっこやろうよ。あたしシスターさん役やりたい! 休む時もすごい時も……みたいなやつ言うの」
ミーナが目をキラキラさせている。
後半部分が何を言っているのか読解できなくて、私は顎に手を当てて考え込んだ。
「病めるときも健やかなる時も?」
ブレディが上から助け船を出してくれた。ミーナが大きく頷く。
ミーナが聖職者なら、新郎新婦は私とブレディということになるのだろうか……。
「リアが花嫁さんになるには、もう少し淑やかさを身に付けなきゃいけなそうだね?」
ブレディの声には隠しきれない笑いが滲んでいる。
「もうっ、ブレディ笑いすぎ!」
私が抗議しても、幼なじみはどこ吹く風といった雰囲気だ。一応、花嫁さんだった時代もあるんですけど。
(そういえば……)
ふと、一度目のことが心を過る。
失踪したブレディは、一回だけ手紙をくれたことがあった。私の結婚が決まった後で、教会に突然、「お幸せに」とだけ書かれた手紙が届いたのだ。
直接、言ってくれればいいのに。寂しく思ったことを、昨日のことのように覚えている。
「ねえ、もし私が本当に花嫁さんになる時が来たら――」
枝の上にいるブレディと、視線が交わる。
一度目の私は、ブレディがずっと教会にいるものと思い込んでいた。誰にも告げずに突然いなくなるなんて、想像すらしていなかった。
ブレディは今この時も、いつかの未来でいなくなることを考えているのか――確かめたくなった。
「ちゃんと、直接お祝いしてくれる?」
即答してくれると信じたかった。けれど兄のような人は、私の発言に一瞬だけ目を瞪った。それに、心が揺れる。
ブレディはいつも通りのいたずらっぽい笑顔を作った。
「もちろん。というか、そんなことを聞くってことは、いい人がいるってこと?」
「…………いないけど」
「何ならお祝いだけじゃなくて、神官役もやってあげようか? 休む時もすごい時も~ってね」
「結構ですっ!」
幼なじみが間近で誓いのキスを見ているなんて、恥ずかしすぎるから本気でやめて欲しい。
ブレディは枝から飛び降りて、私の隣に着地した。
「ブレディ兄ちゃんかっこいい!」
子供たちから歓声が上がる。
(幼なじみって、不思議だな)
子供の頃から成長して大きく変わったのに、隣にいると安心できる。ちょっと意地悪だけど、それを含めて頼れる存在なのは少しも変わらない。
私の根っこにいる、大切な存在。
(失いたくない)
与えられた二度目の人生。もし彼が望んでいなくなるのだとしても、その瞬間は今度こそちゃんと見送りたいと思う。
面と向かっては言えない。それは私だけの秘密の気持ちだった。




