鬼の集い
夜の裏庭は、ほのかに明るかった。
それが鬼灯先生の浮かべるトーチの明かりだと気付くのに、そう時間はかからなかった。
彼女の周囲で青白く浮かぶそれは、まるで人魂のようだ。淡く照らされた雑木林は、怪異の集会か。
鬼灯先生がこちらを向いた。
「来ましたね」
「‥‥なんですか、こんな遅い時間に」
「弟子のくせに随分な物言いですね。わざわざ忙しい先生がこうして時間を作ってあげたんですよ。感涙にむせび泣きなさい」
「‥‥ありがとうございます」
実際、忙しいんだろう。仕事モードが抜けきっていない。
時間を無駄にしないためにも、すぐに用件を聞くことにした。
「専攻練ですか?」
「ええ。私が訓練の時に言ったことはあながち間違いではありません」
訓練の時に言われたこと。
『『毀鬼伍剣流』は己が肉体を武器とする流派、武機など不要ということです』
多分、これのことだろう。
「覚えてます」
鬼灯先生は頷いた。
「あたなは今周囲からなんと呼ばれているか知っていますか?」
その言葉で思い出すのは、ランニングの時に百塚から教えてもらったあだ名だ。わざわざ確認するってことは、不適合者ではなく、こっちだな。
「‥‥人型怪物」
「その通りです。そしてこれは、非常に危うい。これまでのうすっぺらなレッテルから、明確な凶器になってしまった」
「‥‥」
鬼灯先生は、鋭い視線を虚空に向けた。俺じゃない、もっと別の何かを、見ている。
「狂っているかもしれない。危険かもしれない。殺さなければいけないかもしれない」
淡々と紡がれる言葉が、涼しい夜に響く。
「差別は人を殺します。あなたに掛けられたものは、ただの言葉ではないのですよ。人か怪物かという、嫌疑の心そのものです」
俺は自分の手に視線を落とした。
ここにあるのは、怪物の力ではない。
誰よりも優しくて、誰よりも暖かい、ホムラの力だ。
俺を救ってくれた、大切な人の命そのものだ。
顔を上げ、鬼灯先生を見据える。
「俺は、人間です」
俺の言葉に、鬼灯先生は薄っすらと笑った。
「知っていますよ。私に言う必要はありません。では、嫌疑を晴らすためには何が必要か、分かっていますね」
もちろんです。
鬼の下で修業をしていて、なめられっぱなしなんて許されるわけがない。
「実力で黙らせろ、ですよね」
「よく分かっていますね」
鬼灯先生は満足げに頷くと、横に歩き始めた。
その先にあるのは、まばらに生える立ち木。
「毀鬼伍剣流は鍛錬と呼吸によって己の肉体を鋼と化す秘技。その中でも、他とは違い、明確に刃を宿す技があります」
鬼灯先生は、指先をそろえると、ゆっくりと持ち上げた。
そして次の瞬間、一閃。
ヒュンッと小気味よい音が空気を切り裂き、木が半ばから倒れた。
その断面は、間違いなく切り口と言っていいほどに滑らかだ。
マジか、素手だったぞ。エナジーメイルすら使ってない。
「『花剣』。柔らかな刀身に仕込まれた、硬き刃。怪物の外装に滑り込ませ、命を断ち切る絶技です」
それは昔父に見せてもらったものとは、ずいぶん違っていた。親父の花剣は、もっと荒々しく見えた。
鬼灯先生のそれは、柔らかく、滑らかで、鋭かった。
「真堂君、あなたが化蜘蛛との戦いで見せた炎の剣は、形こそ違いましたが、本質的には『花剣』そのものです」
「俺が、花剣を‥‥?」
「たしか、基礎はお父様に仕込まれたのでしたね。それが土壇場で形を成したのでしょう」
そう言われても、あまりピンとこない。
振槍も閃斧もそうだが、今までは型をなぞっていただけで、本質的に使えていたわけではない。
俺が花剣を使えていた、と言われても、実感が湧かなかった。
「やるべきことは単純です。この七日間で花剣を習得しなさい。あれを自由自在に扱える姿を見せれば、誰もあなたを危険だとはなじれない」
そうか、今は俺自身があの『位階×』の状態を操れていないから、余計に危なく見えるんだ。
王人が使うクリエイトソードは、人を不用意に傷つけたりしないという信頼感がある。
俺には、それがないんだ。
俺は小さな火の粉を生み出し、握りこむ。
「分かりました。何をすればいいですか」
「まずはあの時と同じように、炎を剣の形に維持することです。柔らかく、硬く、しなやかに、鋭く。イメージをすることが重要です」
まるでなぞなぞのような鬼灯先生の言葉を聞きながら、俺は炎を生み出した。
「‥‥」
そして、イメージする。
化蜘蛛と戦ったあの時と同じように、炎を剣の形に。
「‥‥違う」
手の中には、不格好に揺らめく細長い炎があった。
これは剣とは呼べない。ただ火の形を変えただけだ。
それから何度も試すが、炎は形を変えるだけで、とても刃と呼べるようなものはできなかった。
「一日の期限は零時までです。それ以降は必ず部屋に戻るように」
「‥‥分かりました」
「集中しすぎて、時間を忘れてはいけませんよ。ここは丑の刻が近付くと、出会ってはならない者がうろつき始めますから」
「出会ってはいけない者? え、怪物のことですか?」
「似たようなものですよ」
それだけを言い残すと、鬼灯先生は建物に戻っていった。忙しいと言っていたし、付きっきりでは見てくれないらしい。
「――やるか」
最後の言葉が気になるが、こんな山奥に怪物が現れることもないだろう。俺はその場に座り込むと、ただひたすらに炎を操り続けた。
柔らかく、硬く、しなやかに、鋭く。
言葉を唱えれば唱える程雑念が混ざるように、炎はただ揺らめくだけだった。




