幼馴染っていいわよね!
◇ ◇ ◇
黒曜紡は山道ランニングが始まると、真ん中よりも少し前の集団をキープして走り続けていた。
本気で走れば先頭集団近くまでは行けるだろうが、その必要性を感じなかった。昼食時間にさえ間に合えばいいのであれば、ここで無理をする必要はない。
間違いなく午後もみっちり訓練が組まれているはずだ。
佐勘の言葉通り、このランニングはウォーミングアップなのだ。
そう考えている生徒たちは多い。
その内の一人に、紡は声を掛けた。
「久しぶり、星宮さん」
「あら黒曜さん、あなたから声をかけてくれるなんて嬉しいわ」
星宮有朱。
この学年で、彼女を知らない者はいない。編み込まれた蜂蜜色の髪も、彫刻のように整った顔も、女性らしい体つきも、全てが人目を引く。
男の理想を体現したらこんな姿になるんじゃないかと、誇張抜きでそう思う。
しかも有朱は美しいだけではない。
魔法師としての実力も折り紙付きだ。
紡は人見知りで、友人関係に苦手意識がある。普段だったら自分から声を掛けたりはしなかっただろう。
しかし、いつも人に囲まれている有朱が一人きりになることは珍しい。
結果、苦手意識をねじ伏せて、紡は有朱に声を掛けたのだ。
話題を切り出そうとしたら、笑顔の有朱に先手を取られた。
「丁度良かったわ、私からも声を掛けようと思っていたの」
「‥‥どうして?」
自分から声を掛けておいて、紡は身構えた。
「私のチームメイトを助けて、一緒に戦ってくれたでしょう。だから、ありがとう」
「‥‥別に、私が助けたわけじゃないから」
「そんなことはないわ。私、ずっと見ていたもの」
思わぬストレートを受けた紡は、思わず視線を足もとに落とした。
これがあらゆるものを虜にする有朱スマイル。
警戒していた紡の懐にするりと入り込むその力は、陰を生きる者にとっては凶器だ。
しかし話の展開は紡にとって悪くない。
「二人を助けたのも、化蜘蛛を倒したのも、まも――真堂君がやったことよ」
その名を口にした時、紡は注意深く有朱の様子をうかがった。
少しでも何か変化がないかと、戦闘の時と同じくらいに気を張って、観察する。
「そうね、真堂君の活躍は素晴らしかったわ。あとで彼にもお礼を言いに行かないとね」
ほほ笑みながらそう言う有朱の様子は、いつも通り完璧だった。
――気のせいだった?
紡は、護と有朱の関係性を完璧には把握していない。
しかし屋上での二人のやり取りを盗聴――もとい聞いていた時、有朱は明らかに護に対して好意があった。
ボランティア事件で何があったのか、大方の予想は着く。化蜘蛛に挑んだ時と同じように、護は戦ったのだろう。おそらく、有朱を守るために。
その結果有朱が護に好意を抱くのは、自然だ。
そう考えていたからこそ、紡は声を掛けたのだ。
有朱の気持ちを見極めるために。
どれくらいの気持ちなのか、対策の必要があるのか。
護の幼馴染として、彼の周囲によくない女がうろつかないようにするのは、当然の務めだ。少なくとも紡はそう信じていた。
「そう。喜ぶと思う」
これなら、警戒レベルは下げてもいいかと判断する。
よく考えれば、有朱は学年最高カーストに立っている。
護は超魅力的な男の子だが、その良さは凡百の感性では理解できない。客観的に見れば、友達の少ない残念男子だ。
有朱が彼に惹かれたのも、一時の気の迷いだったのだろう。
そう判断した紡は、最大の障害がなくなったことに上機嫌になり、軽い口調で言った。
「実は、護は幼馴染なの。だから、もし彼のことで何か困ることがあったら教えて」
「幼馴染⁉」
バンッと有朱の口調が荒ぶった。
もし彼女のテンションを棒グラフで表したとしたら、この瞬間だけ枠外まで突き抜けていっただろう。
さしもの紡も、これには目を白黒させた。
「‥‥え、ええ。そうだけど」
「あ、ごめんなさい。少し驚いてしまって。そう、幼馴染。そうだったの‥‥」
何かを自分に言い聞かせるように、有朱は小さく呟く。
「――から」
「何?」
「い、いつからの知り合いなのかしら」
幼馴染にやけに食いつくな、と思いながら紡は答える。
「小学生の時から」
「そ、そそそそうなのね!」
明らかに動揺した様子の有朱は、一度顔を逸らすと、いつもの微笑みを浮かべて紡に向き直った。
「素敵ね、幼馴染って。私、そういう関係性とても好きなの」
「そ、そう。ありがと」
その返しが適切なのかは分からないが、有朱の勢いに圧倒された紡はコクコクと頷いた。
「幼馴染、いいわね、幼馴染」
有朱は飴玉のように、幼馴染という言葉を転がした。
「それでは、私は先に行かせていただくわ。ごきげんよう黒曜さん」
うふふふと聞こえてきそうなくらいの笑顔で、有朱はスピードを上げた。足に羽が生えたかのような、軽やかな足取りで。
「‥‥ごきげんようって、現実で言う人いるんだ」
予想とはまるで違う展開になった紡は、呆然とその背を見送った。
◇ ◇ ◇
「なぁ、真堂」
「どうした?」
「くひの中がぱっさぱさふるんだが、何とかならんか?」
「水は飲み放題だぞ。いくらでも飲んできたらいいんじゃないか」
仕方なく自分用に取っておいたペットボトルの水を渡す。
村正はなんとか口の中のレーションを水で流し込んだ。
流石と言うべきか、この合宿所では飲料水やサプリメントがセルフサービスで取り放題になっている。
公立なのに水道水じゃないのだ、金あるなあ。
「まったく、ひどい奴らだ。真堂も黒曜も、さっさと俺を置いていきおって」
なんとか人心地ついた村正が恨み節を言うが、とんだ言いがかりである。
「おかげでしっかりカレーが食べられたよ」
「むぅ‥‥もう一歩も動けないんだが、まさかここから訓練とは言わんよな?」
「訓練に決まってるでしょ」
俺よりも少し遅れて合宿所に着いた紡は、冷たい声で答えた。
なんだか到着した時からずっと難しい顔をしているけど、なんかあったのかな。
「皆さん、着替えて訓練場に集合です。荷物はこちらで運んでおきますから、急いでください」
鬼灯先生の言葉に急かされ、俺たちは更衣室で着替え、訓練場へと進んだ。
だだっ広い訓練場は、余分なものなどいらないという平場だ。
そこに、鬼灯先生と見覚えのない男性の先生が立っていた。線が細く、目を黒いゴーグルで覆っているせいで判然としないが、骨格からして多分男性。
鬼灯先生は、地面を踏みしめて俺たちを見た。
「さて皆さん、あなた方はあの適性試験を乗り越えました。守衛魔法師としての第一歩を踏み出したのです」
その言葉に、全員が居住まいを正した。
適性試験。その言葉だけで、意識がピンと張り詰めたのが、分かった。
この場にいるのは、あの不条理に押し付けられた死を乗り越えた者たちだ。
そんな生徒たちを眺め、鬼灯先生は笑った。
「しかし、弱い」
それは明白な事実だった。
「あなたたちはまだまだ弱いです。魔法も、戦闘技術も、意識も未熟。経験はこれから積むとして、怪物と戦うためには、戦闘能力の向上が急務です」
言葉が、鋭い刃物のように身体を刻んでいく。
その瞬間、ダァン! と凄まじい音が響き渡った。
訓練場の巨大な扉が開かれ、巨大なトラックが走ってきた。
なんだ⁉
ただのトラックじゃない。戦闘にも耐えられるような、黒々と光る装甲車。それは鬼灯先生の横にタイヤ痕を残して止まった。
「これは本来、二学期の途中から始める訓練です。しかし、現在の情勢を鑑みて、前倒しで始めることになりました」
鬼灯先生の言葉に合わせ、装甲車の荷台部分が、開いた。
「覚悟を決めてください」
そこに並べられるのは、無数の黒いジュラルミンケース。武骨で、鈍く光るそれは、見ただけで、重い。
「『武機訓練』を行います」




