かかってきなさい ー黒曜ー
◇ ◇ ◇
「護‼」
空中に放り出された護を、紡は念動糸で捕まえ、引き寄せた。
「ま‥‥」
そこで言葉を失った。
その姿は、あまりに無惨だった。
右腕は肘から先が消し飛び、右半身は外皮がはがれ、黒いポリゴンが露わになっていた。
ここは現実世界ではない。だから傷を受けたとしても、その見た目は現実のそれとは違う。
しかし無機質に崩れた肉体は、生々しさとはまた別種のグロテスクさをはらんでいた。
普通の人間ならば、とうにドロップアウトしているはずの傷。
それでも護がここにとどまっていられるのは、『火焔』による再生が彼の命を繋ぎ止めているからだ。
その証拠に、黒く崩れた身体の周囲には炎がくすぶり続けている。
それは慈悲にも、苦しみから逃さない枷にも見えた。
「護‥‥」
触れようとして、手を引っ込める。触れてしまえば、そこから崩れて消えてしまいそうで、怖くなったのだ。
「シネ――」
ゆらりと、化蜘蛛が炎の影から姿を現す。
瀕死の護にとどめを刺すために、歩いてくる。
「させない」
立ち上がり、紡は『念動糸』を発動した。彼女を中心に展開される半透明の糸は、手を遥かに超える精密な動作性で、重機並みの力を発揮する。
彼女がこの魔法に発現した時、できることと言えば、せいぜい少し遠くにある文房具を動かせる程度だった。
それでも固有。
魔法に憧れる少年少女にとって、その力はとても魅力的に映る。時には嫉妬にさえ変わるほどに。
だから紡の両親は、このことを口外しないように紡に言い聞かせた。彼女は、その言いつけ通り、この魔法を誰にも見せなかったし、教えなかった。
友達と一緒にいられる楽しい時間こそが、彼女の幸せだったからだ。
しかし、公園で一人人形を動かして遊んでいるところを、一人の少年に見られてしまう。
『え、何だよ今の! マジか! すげえ!』
その人物こそが、まだ純粋に守衛魔法師に憧れる少年、真堂護だった。
紡は焦って、適当な嘘をついた。これは糸でつながった人形で、それを動かしているだけだと。
それを馬鹿正直に信じた護は、すげえすげえと連呼した。
秘密にしなければと思いながらも、紡もまだ子供。心の奥底で、欲しかった言葉を一直線に投げかけてくれる護になつくのに、時間はかからなかった。
――そう、あなたにとっては大した思い出でもないのでしょう。
心のどこかで分かっていた。きっと成長すれば忘れてしまう、その程度のもの。
だからこれは私だけの宝物でいい。
覚えていて欲しいと我が儘を言ってしまうけれど、本当は、そんなことどうだっていい。
『――待っててくれ。俺も中学生になったらつむちゃんと同じ場所に行く。そうしたら、また一緒に遊ぼう』
不器用ながら、いつだって紡が欲しい言葉をくれる。
だからここで彼の前に立つ理由は、それだけでいいのだ。
「かかってきなさい、化蜘蛛。私の糸は、重いわよ」
返答は刃脚による連撃だった。
アスファルトを発砲スチロールのように削り、刃がひるがえる。
これまで何人もの生徒たちを、あるいは守衛魔法師たちを切り裂いてきた刃脚。
その隙間で、紡は踊っていた。
長い手足を振るい、軽やかなステップを踏むように、全ての攻撃を避けてみせる。
「あくびが出るわね」
「――シネ」
化蜘蛛の攻撃は苛烈さを増し、刃脚だけでなく、糸による攻撃も混ざり始める。
それでも、当たらない。
星宮有朱から一本を取ってみせるほどの『エナジーメイル』の操作精度。
普段から指の本数を超える『念動糸』を、視界の届かない場所でも巧みに操る彼女にとって、『エナジーメイル』で自分の身体を動かすのは、簡単なことだった。
しかしこの回避は、『エナジーメイル』によるものだけではない。
様々な方向から刃脚に巻き付く『念動糸』が、攻撃の瞬間瞬間に、その方向をずらしているのだ。
激しい戦闘の中、自分だけではなく相手すらもコントロールする。
黒曜紡の才能の片鱗が、たしかに輝いていた。
「っ‥‥」
それでも、完璧ではない。
赤い光が幾度となく散り、その度に彼女に傷が増えていく。
避けることは出来ても、攻撃出来ないのだから、この結末は必然であった。
しかし、はなから紡の中に、化蜘蛛を倒そうという思いはなかった。自分一人の力でそんなことは出来ないと、理解していた。
だから彼女が意識を注ぐのは、ただ一点。
「――」
徐々に遠ざかっていく、護の身体。
自分に化蜘蛛を引きつけながら、護を念動糸で逃がす。
それが、紡の選んだ選択だった。
そんなことをしても、何にもならないのかもしれない。ただの自己満足で終わるのかもしれない。
そう、自己満足に命を懸けたのだ。
「――だって、それが女の子ってものでしょう?」
その問いに、化蜘蛛は答えなかった。
爆発によって視界の外から飛んできた瓦礫が、紡の身体にぶつかった。
ゴロゴロと転がっていく少女の身体を、化蜘蛛は無感動に見下ろす。
そして、刃脚が持ち上げられ。
その刀身は、赫灼の一閃に、切断された。




