弱者の意地
鋼鉄の毛皮に防がれたのか、炎も大して効いている様子はない。
でかい上に、硬くて、速い。
厄介すぎるだろ‥‥。
さっきの炎でまともにダメージが入らなかったのは予想外だ。そうなると、火炎を圧縮した毀鬼伍剣流で打ち抜かない限りは、傷すら与えられないな。
逃げるためには、ダメージを与えて隙を作るしかない。
「ふぅ──」
拳を握り、全身を熱で鍛える。熱く、硬く、血潮が煮え立ち、身体から火の粉が舞う。
剣の一撃を避け、足元に潜り込む。
そのためには、刃狼の攻撃を見切らなければならない。
一ミリの空隙を見極め、踏みこ──
「ぅッ⁉︎」
ゴッッ‼︎ と衝撃に身体をぶっ叩かれた。
目に見えていた何もかもがどこかに吹き飛び、俺は建物の壁を何枚も貫いた。
ゴロゴロと転がりながら、なんとか勢いを殺す。
「ぁがっ! はっ──⁉︎」
いってぇ! 何が起きたんだよ!
両腕が引きちぎられたかと思うくらいの衝撃と痛みが襲ってきた。
心中で悪態を吐きながら、実際には何が起こったのか分かっていた。
真正面だ。
刃狼はその場で回転し、横薙ぎの斬撃を振るってきたのだ。
対応は意図してのものではなかった。反射的に両腕が前に出て、防御の姿勢を取っていた。間違いなく、鬼灯先生のスパルタのおかげだ。素直に感謝し辛いけど、下手すりゃ今のでドロップアウトしてたな。
「いっつ‥‥」
両腕に力が入らない。それでも立ち上がらないわけにはいかない。
まだ紡たちは逃げている途中のはずだ。
何より。
「なめるなよ、転がしてお腹撫で回してやる」
ホムラの魔法が、『火焔』があって、そんな簡単に負けを認められるかよ。
身体に残った火をかき集め、腕を再生する。これが現実だったら、今頃痛みで転げまわっていただろう。まだ動ける。動けるんだから、戦える。
俺が空けた穴の向こうで、刃狼が建物の下を見ていた。
もう、興味を失ったかのように。
それならそれでいい。嫌でもこっちを見させる。
床を蹴り、一気に加速する。イメージはジェットエンジン。内部で一気に膨れ上がる熱エネルギーを、方向性を明確に噴出する。
ゴッ‼ と彼我の距離は一瞬にして潰えた。
間合いに捉える。
そう思った時、刃狼はこちらを一瞥することすらなく、無造作に尾を振った。
まるで、俺が来るルートを予期していたかのように。
止まることはできない。大体ここで脚を止めれば、接近は絶望的だ。
「ふざ、けんなぁああああ‼」
左手で横に『爆縮』を放つ。バランスも、この後のことも思考の埒外。
今はこの一撃を避けることに全力を尽くす。
薄肌まで剃られるような距離で、躱し、バランスを崩しながら、強引に一歩を踏み込む。
『爆縮』。
こうなったら、もはや行くところまで行ってやる。
意図せぬ回転エネルギーと火炎を乗せ、刃狼の横腹に拳を叩き込む。
『螺旋振槍』。
轟っ‼ と紅蓮の華が毛皮を焼き焦がし、その下にある肉を穿つ。
「ゴォォァァアアアアアアアア――‼」
狼は叫びと共に、身体を思い切り震わせた。
一発に全力を賭した俺はそれをもろに受け、吹き飛ばされる。
やば――、建物の下に落ちる。
爆縮で落下の速度を落としたいが、身体がまともに動かない。
駄目だ、地面にぶつかる。
衝撃に備えて歯を食いしばると、全身に絡みつく糸の感触と、浮遊感を感じた。
「うお!」
そのまま俺の身体は斜めに引き寄せられ、ゆっくりと地面に着地した。
ここは、どこかの建物の軒下か‥‥?
「護、大丈夫?」
「あ、ああ。何とか‥‥」
紡が助けてくれたのか。危ないところだった。
しかし危機が去ったわけじゃない。
ダメージは多少与えたが、致命傷には程遠い。まだ追撃が来る。
「二人とも、早く逃げないと」
「ああ、逃げるさ」
紡の隣にいた村正が、震えを隠せない声で言った。
「俺は、弱い。今だって、腰が抜けそうだ」
それでも、と村正は続けた。その目には、確かな光があった。己の力を信じる、信念の光。
「これでも、逃げることだけは自信があるんだ」
村正はそう言って、建物から持ち出したらしいカーテンを広げ、俺たちの上に掛けた。
いや、いくら怪物。が相手でも、こんなカーテン一枚じゃ欺くのは無理だろ。
するとカーテンの中で光のアイコンが弾けた。
「タイプ四足獣は、耳と鼻がいい。逆に目はそこまで良くない場合が多い。ここに来るまでに、保存食を至るところにぶちまけてきた。臭いで見つけるのには時間がかかる」
「あ、ああ」
「さらに、怪物の特性上、敵と思わしき相手の場所には躊躇せず突っ込む」
たしかに、速攻で飛びかかってきたもんな。それもタイプによる特性の一つなのか。
しかし何かを囮にするにしても、そんなものはどこにも――。
その時、遠くからおかしな声が聞こえた。人の声のようにも、意味のない叫びにも聞こえる。
それが途切れることなく、聞こえ続けた。
「俺が投げて設置した『ノイズシール』だ。設置した場所で音を出し続けるだけの魔法だが、この状況なら効くはずだ」
「‥‥」
俺たちはその音を聞きながら、息を潜め続けた。ダメージを与えた俺を確実に追ってくると思ったが、しばらく待っていてもその気配はない。
どうやら刃狼は、見付けるのが面倒な敵よりも、おかしな音の確認を優先したようだ。
凄いな、本当に村正の言った通りだ。
音を発する魔法は『プレイノイズ』しか知らない。おそらくそこから派生した魔法だ。
更に内側からカーテンに触れていた紡が呟いた。
「これ、『ミラージュ』を掛けたの?」
「ああ。まあないよりマシ程度の代物だがな」
「『ミラージュ』?」
「『フラッシュ』から派生する光学迷彩の魔法よ。周囲の景色とディティールを合わせるのが難しいから、実戦レベルで使える生徒はほとんどいないはず」
はーん、頭の痛くなりそうな魔法だな。何言っているのかよく分からんが、要は即席透明マントってこと?
「自分の身体を覆うのでさえ神経使うのに、それをカーテンに掛けるなんて‥‥」
紡は開いた口がふさがらない様子で、村正を見ていた。
固有魔法を扱う紡がここまで驚くってことは、よっぽど高難度な技なんだろう。
「いや、いやいやそんな言われるほどのものではないんだがなぁ。いや、実は逃げることだけは自信あったんだけどなぁ」
「じゃあ最初っからそれをアピールしてけよ」
なんでサンダーウィスプが得意なんて言ったんだよ。
村正は軽く咳払いをし、ゆるんだ顔を引き締めた。
「そんなことよりも、すぐにこの場から移動するぞ。音の正体がフェイクだと気付かれれば、すぐに戻ってくる」
「そうだな。大丈夫、もう動ける」
俺たちはカーテンから出ると、建物の影を縫うように走り出した。
刃狼は追跡を諦めたのか、それとも既に興味を失ったのか、折ってくる気配はなかった。
もうここは、学生たちが怪物に慣れるためのぬるい試験場ではない。圧倒的強者が闊歩する、狩場。
手痛い目覚めの一撃を喰らい、俺たちの本当の適性試験が始まったのである。




