本当の適性試験
◇ ◇ ◇
「ぉぉぉ⁉」
熊のようなうめき声が聞こえ、俺は身体を跳ね起こした。
なんだ、敵襲か⁉
慌てて窓際に駆け寄ると、窓の下に隠れるようにして座り込んでいる村正がいた。
さっきの声はこいつだろう。変な声を出したわりに、部屋に異変はなかった。
「何が起こったの?」
俺と同じように起きてきた紡が、寝起きとは思えないはきはきとした声で聞いた。
「外、外に、ななな、何かが」
「外? 怪物でも出たのか?」
「しっ、声が大きい!」
いや、お前の方がでかいわ。
とりあえず落ち着け。深呼吸だ。ひっひふー、ひっひふー。これじゃないか。
少しして、村正は気持ちを落ち着けて口を開いた。
「‥‥いや、すまん。見間違えかもしれん」
「見間違えって、何がだ?」
「窓の外を見てくれ。いや、ただ顔は思いっきり出すなよ。そうっとだぞ、そうっと」
窓の外って、怪物が出現したのか?
昨日は一日歩き回り、メモリオーブこそ見つからなかったものの、怪物を二体見付け、倒すことができた。
しかし、丸一日歩いてその程度の遭遇率だ。窓の外に怪物がいたところで、驚くような数ではないだろう。
そう思いながら、村正に言われた通り、少しだけ顔を覗かせた。
「ッ――⁉」
俺は即座に村正と同じように顔を引っ込めた。
――おいおい、どういうことだ。
全身がばくばくと鼓動に揺れている。冷や汗がドッと噴き出し、うまく呼吸ができない。
この一夜で一体何が起こったんだよ。
建物のすぐ下。大通りを我が物顔で闊歩する一体の怪物がいた。
それは鬼よりも遥かに大きく、強靭で、誰の目にも凶悪だった。
その正体は、狼だ。
バスと同じくらいの巨体に、それに等しいサイズの尾。針というにも長大な鈍色の毛を持つ怪物だ。
それがゆっくりと、己の大地を噛み締めるように、踏みしめて歩いている。
怪物だ。ちらりと見えた額には、青い『2』の文字が見えた。
ランク2。
ようやく適性試験の本当の意味が分かった。至る所が破壊された街並み。それを為した者が、正体を現したのだ。
考えが甘かった。この試験の目標はポイントを稼ぐことではない。端から全滅を前提とした戦場での、生存。
いくらなんでもやり過ぎだろ‥‥。
「‥‥外に怪物。タイプは『四足獣』。――多分、ランク2だ」
「ランク、2‥‥?」
唯一外を見ていない紡が、呆然と繰り返した。
あれはやばい。一目ちらりと見ただけで、その得体の知れないヤバさに脳が焼けそうになる。
不幸中の幸いなのは、まだ気付かれていないことだ。この部屋は五階、下とはそれなりに距離がある。無理に戦う必要はない。今は気配を殺して身を隠すべきだ。
それは言わなくても分かっているのだろう。村正は両手で口も鼻も押さえて顔を真っ赤にしていた。
すると、紡が窓の方に視線を向けたまま、呟くように言った。
「そういうこと‥‥。先に謝っとく、ごめん」
「ごめんって、何が?」
「気付かれた」
何?
気付かれたって、どういうことだ。だって紡はずっとここにいて、動いていない。
その時俺の頭に浮かんだのは、紡の魔法だった。
まさか――。
「私、ずっと建物とその周囲に細い『念動糸』を張っていたの。侵入者にすぐに気付けるように」
諦めにも似た、淡々とした声。
本来なら、敵を察知するために張り巡らされた『念動糸』。
その微かな気配に、狼は気付く。
嗅覚か、あるいは第六感にも似た直感か。
奴は確実に俺たちの存在を把握した。心臓を握り潰されるような重圧に、それを理解させられる。
「くそっ‼」
俺は横で小さくなっていた村正の襟首をつかみ、床を蹴る。
『火焔』を発動し、火の粉を後に残して加速する。
一刻も早く窓から離れなければならない。
空いた右腕で紡の腰を抱え、更に一歩を踏み込む。
扉を蹴破るよりも先に、それは来た。
「ォォォオオオオオアアアアアアアア――――‼‼」
爆音。
鼓膜を破裂させんばかりの雄叫びを上げながら、狼が窓をぶち抜いた。
いや、もはや窓どころか壁、床、部屋そのものを障子紙のように破って狼は突っ込んできたのだ。
ここ五階だぞ! 一飛びで届いていい高さじゃないだろ!
「くっ!」
俺に抱えられたまま紡が両手を振った。
直後、部屋中の家具という家具が狼の鼻っ柱へ飛んだ。事前に『念動糸』を巻きつけておいたのか。
ただ、この程度で止まる相手じゃない。
狼は目の前に飛んできたベッドやタンスを、軽く前脚の一薙で吹き飛ばした。
まあそうなるよな。結局のところ、足止めが必要だ。
「二人とも、逃げろ‼︎」
俺は抱えていた二人をドアへとぶん投げた。村正が扉をぶち破り、それを踏みつけるようにして紡が部屋を出た。
大きく息を吸う。
──さて、やるか。
勝てるか勝てないかじゃない。
あの二人を生かすために、盾になれるのは俺だけだ。
炎を両腕に集め、身体を反転させながら両手を前に突き出す。わざわざ狭い場所に頭突っ込んできたんだ。火傷くらいは覚悟してもらおうか。
両手から炎を噴出し、叩きつける。
カッ! と白と赤の光が乱舞し、爆炎が視界を覆った。シンプルだが、この逃げ場のない空間では凶悪な一撃だ。
炎の反動に、両足で踏ん張って耐える。
確実に捉えた。
その感触が手にある。狼は間違いなく炎に囚われている。
「‥‥」
嫌な気配がした。
黒鬼と戦った時、最後の雷を撃たれそうになったあの時と同じ感覚だ。
反射的に身体を回し、壁に身体をぶつける。
刹那のことだった。
斬ッ‼︎ と炎を一直線に割断し、さっきまで俺が立っていた場所を、鈍色の残像が駆け抜けた。
「ぐっ⁉︎」
攻撃はそれだけでは終わらなかった。炎を断ち切った斬撃は、あたり一面を草を刈り取るように切り飛ばす。
ただ邪魔なものを振り払うだけで、尋常ならざる暴虐が吹き荒れた。
俺にできたのは、ただ地面に地を伏せ、攻撃を避けるだけだった。
「ルゥォオオ──」
整地が終わった後、部屋は原型を失っていた。壁らしい壁はなくなり、外の風と朝日が残骸を撫でる。外からこの場所を見れば、まるで巨大な手で抉られたように見えるだろう。
狼が、武器を構える。
それは本体に等しいサイズの尾だった。ただの尾ではない。鈍色の毛が固まり、研ぎ澄まされ、刃となった巨狼の剣。
図書室の怪物図鑑に載っていたな。名前はそう、『刃狼』。




