トラップ
◇ ◇ ◇
突如として出現した怪物。
濃厚な死の気配を泥のように被ったそれらを前にして、平静でいられる人間は少ない。
星宮有朱でさえ、動きを止めた。
しかしボランティアの時とは違うことがある。
すなわち、怪物が出ることは確実に分かっていたということ。そして、生徒たちにも覚悟の時間が与えられていたこと。
覚悟さえ決まっていれば、一手を打つのをは難しくない。
「『ハンズフレイム』!」
「『ショックウェーブ』!」
「『ビーストリンク』!」
犬塚観月と二人のチームメンバーは、即座に魔法を鬼へと叩きつけた。
炎と衝撃が空間を揺らし、そこへ魔力の爪を伸ばした犬塚が突っ込む。
その連携は、一目で幾度となく積み重ねてきたことが分かる練度だった。
この適性試験を受けることになってから、チームで相当練習をしてきたはずだ。
しかし、現実はそんな努力をあざ笑う。
「――嘘」
犬塚の爪を、鬼は片腕で受け止めていた。ハンズフレイムもショックウェーブも直撃したはずなのに、その身体には傷一つない。
「コォォオオ――」
鬼は虫でも払うような動きで腕を振るった。
それだけで、『エナジーメイル』を発動している犬塚の身体がボールみたいに投げ飛ばされた。
なんとか受け身を取って立ち上がるが、彼女に出来たのはそこまでだった。
「はぁ‥‥はぁ‥‥」
「おい、どうするんだよ、これ」
「いや‥‥」
チームの士気は、完全に崩壊していた。
初めの一手こそ、覚悟を決めて準備してきたから打つことができた。
しかしそれが通用しなければ、築いてきたものは土台から崩れ落ちる。
信頼してきたものが砂上の楼閣であったと知った時、人は立ち上がれない。
鬼たちが並ぶ。
人間に死を運ぶ、ただそれだけの存在。
「‥‥」
リーダーとして、犬塚は判断をしなければならなかった。逃げるのか、戦うのか。
理性的な部分では、もう撤退すべきだと判断を下している。
ただそれが言葉にならない。
喉が細く縮こまって、掠れた息が出るだけだ。
「――」
その隣に、誰かが立った。
目だけで見上げると、そこにいるのは不適合者と呼ばれる同級生、真堂護だった。
守衛魔法師として必要最低限の『エナジーメイル』すら使えない、異端の学生。
彼は鬼を真っ直ぐに見据えたまま、口を開いた。
「悪い、あれ、もらっていいか?」
犬塚はコクコクと頷いた。
それを見てから、護は軽い調子で「分かった」と一歩を踏み出した。
瞬間、その姿が消えた。
ゴッ‼ と中心に立っていた鬼が吹っ飛んだ。
パッと散った火の粉が虹の中ではらはらと舞う。
護がやったことは単純明快。『爆縮』で加速し、飛び蹴りを叩き込んだのだ。
「オォオオ⁉」
敵地のど真ん中に突如として突っ込んできた護を、鬼たちは即座に取り囲んだ。
怪物は強い。人外の身体能力、強固な外装、魔法以外に対しての耐性。
だが、本質的な強さはそこにはないのだ。
仲間が吹き飛ばされようと、自分の腕が千切れようと、何ら動じない。
一切合切の私情を持たず、ただ人間を殺すためだけに動く。
それこそが人間にとって最も恐れるべき怪物の力だ。
「――」
護は火の粉を散らしながら最小限の動きで鬼たちの居場所を確かめた。
来る。
鬼たちにまっとうな連携はない。だから個々がそれぞれのタイミングで踏み込んでくる。
そこには僅かな隙がある。
振るわれる鬼の腕を掴み取り、『爆縮』。加速して鬼の身体を別の鬼にハンマーのように叩きつける。
鈍い音を響かせて、二体が線路の上へ転がり落ちる。
――さあ、エンジンを吹かせ。
残りの二体が必殺の爪を振るう。
それを寸前まで引き寄せながら、避ける。掠った頬から光と火が噴き出し、痛みが焼き付いた。
振槍。
同時に、護の拳が鬼の頭を吹き飛ばした。
初めて戦った時は、のけぞらせる程度の威力だったが、今回の一撃は鬼の顔面を砕き、首を引きちぎった。
単純に振槍の練度が上がったのは間違いない。同時に、護は『火焔』そのものをより高いレベルに鍛え上げていた。
そして一発では終わらない。拳を引き戻しながら、上体を滑車のように回転させて二発目を後ろの鬼に叩き込む。
それを受けた鬼は胸に穴を開けて地面を転がった。
「っ」
その結果を確認するよりも早く、護は地面を蹴って身体を宙に躍らせた。
そのまま回転。
加速に加速を重ね、炎の丸鋸となって、線路に立ち上がる二体に脚の刃を振るう。
「破‼」
『閃斧』は真上から、二体の怪物を丸ごと叩き潰した。
轟ッ‼ と火炎が線路を爆砕する。
死した怪物たちは黒い光となって解けていく。
一番初めに蹴り飛ばした一体にもとどめを刺そうとホームの上へ戻った護は、そこで動きを止めた。
「あんまり一人で突っ込まないで欲しいんだけど」
紡がそう言いながら、鬼を背にこちらを見ていた。
思わず声を出しそうになったが、鬼が少しも動いていないことに気付いて、何が起こっているのかを理解した。
「‥‥心臓に悪いからやめてくれ」
「怪物の強度を確かめていたの」
紡はそう言うと、両手を開いたまま、身体の前で腕を交差させた。
ゴキッ。
同時に、鬼の首が折れた。
――おっかない魔法だなあ。
護はそう思いながら、周囲の状況を確認した。ホームを照らしていた虹色の光は完全に消え、メモリオーブは台座の上で姿を変えていた。
球体が花開き、その中心にビー玉程度の小さな球が浮かんでいたのだ。
「それが本体ってことか。随分と意地が悪い仕掛けだな」
元の状態でも十分にメモリオーブらしい見た目だ。それに触れた途端に罠が発動するなんて、初見殺し以外の何物でもない。
「手に入れるだけなのに、やけにポイントが高いとは思っていたけど、これなら納得。危機的状況の対応力が見たかったのかしら」
「それにしたってやり過ぎだろ‥‥」
そう言いながら、犬塚たちの方に目を向けた。
「怪我はなかったか?」
「あ、ああ、ありがとう。助けてくれて」
犬塚は安心して力が抜けたのか、膝に手を着いてなんとか立っている状態だ。
前かがみになっているせいで強調されている胸に視線を向けないようにしつつ、護は手を上げた。
「いやいいよ。それじゃ、俺たちは行くな」
さらっとそう言って歩き出そうとする護に、犬塚は慌てて声を掛けた。
「待って、メモリオーブはどうするの⁉」
「どうするって、それは君たちのものだろ」
さっきもそう言ったじゃないかという口調に、犬塚は開いた口がふさがらなかった。
怪物を倒したのだから、普通は自分たちの取り分だと主張するだろう。
そんな気配を少しも感じさせない護の言葉から、本気で最初にした約束を守るつもりだということが分かる。
犬塚は歯噛みした。
たとえ立っているのがやっとの状態であっても、折れない矜持があった。
どれだけちっぽけでも、それを手放してしまったら、この学園に来た自分自身を否定することになる。
「――そういうわけにはいかないわ。そのメモリオーブはあなたたちのものよ」
「‥‥いいのか?」
「当然。私たちは、何も出来なかったんだから」
何もしなかったとは言わなかった。犬塚もチームのメンバーも戦おうとした。
それが結果を伴わなかったとしても。
そんな彼女の思いを汲んだのか、それともただならぬ何かを感じたのか、護は頷いた。
「それなら、ありがたくもらっていくよ」
もうこれ以上の罠はない。護の指が小さな虹の球を掴んだ瞬間、それはパッと砕けて消えた。
『真堂チーム、おめでとう~。メモリオーブ入手だ~』
同時に、エディさんの間の抜けた声が、これまた安っぽいファンファーレと共に響き渡った。
どうやら入手時の演出らしいが、もう少しどうにかならなかったのかと護は微妙な表情で黒い天井を見上げた。
「‥‥それじゃ、行くよ」
「え、ええ。本当に、ありがとう」
護は軽く会釈をし、紡は無言のまま、地上へつながる階段に向かって歩き始める。
そこで、二人は姿を見かけなかったチームメンバーを見つけた。
「‥‥何やってるんだ、村正?」
「は、ははは、ははははは」
乾いた笑いをこぼす村正源太郎が、すっかり腰を抜かして、地面にへたり込んでいた。




