専攻練
座りなさいと言われた場所は、ゴミの中から出てきたクマちゃんクッションだった。
気のせいか、哀愁と悪臭が漂っている気がしてならない。
俺がそこに正座をすると、ソファに鬼灯先生が座った。
「あの、先生」
「真堂君、私の専攻練に入りなさい」
先生は端的に言った。
専攻練とは、この桜花魔法学園にある部活のようなもので、特定の教員のもとで、専門的に魔法の扱いや戦闘訓練を受けられる制度だ。
基本的には、専攻練の権限を持つ教員だけが、研究室を持てるのである。そう王人が言ってた。
「え、いいんですか?」
正直願ったり叶ったりだ。
専攻練は入りたい人が誰でも入れるわけではない。担当する教員が合格だと認めた者だけが入ることを許される。
だから今俺たち一年生で専攻練に入っているのは、内部生ばかりだ。
あれ、というかここには単位の話をしに来たんじゃなかったっけ。
「条件を達成できなかったあなたは単位をもらえません。だからこれは補習のようなものです。私の専攻練に入り、エナジーメイルなしでも戦えるという証明ができれば、単位をあげましょう」
ニコニコと笑いながら先生はそう言った。
うーん、聞けば聞くほど俺にとってはいい条件だ。単位を出してもらって、その上『毀鬼伍剣流』の稽古もつけてもらえる。
親父が亡くなってから、もう教えは受けられないと思っていたから、こんなにありがたいことはない。
俺は手をついて頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「あ、そういうのはやめてください。今の時代簡単に炎上しますからね、生徒に土下座させたなんて叩かれるのはごめんですから」
さいですか。
俺は立ち上がると、改めて鬼灯先生を見た。
「それじゃあ、何をしたらいいんですか? 何でもやりますよ」
先生はんーと首を横に可愛らしく傾げると、あっ、と思いついたように言った。
「じゃ、まずは研究室のお掃除からお願いしますね」
──合点承知‼︎ だけど、それはそれで世間からは叩かれるんじゃないですかね。
そこから研究室の掃除は日が落ちるまで続いた。もちろん鬼灯先生は何もしなかった。
洗濯物の山から現れた小玉スイカを二玉しまえそうな下着とか、漫画でしか見たことないような紐の下着とかが現れても、不動。
姉と妹のおかげで多少なりとも耐性があって良かったと、心の底から感謝した一日でした。まる。
◇ ◇ ◇
研究室に備え付けられたシャワールームで、水が弾ける音が響いていた。
鬼灯薫は基本的にこの研究室で暮らしている。湯船に最後に浸かったのがいつか、よく思い出せない。
「‥‥」
鬼灯薫は鬼に魅入られた女だと陰日向を問わず噂された。
華奢で日本人形のような見た目にもかかわらず、メインで使う魔法は『エナジーメイル』。しかも武器を使わない、肉弾戦闘を得意とする。
薫が桜花魔法学園に在学時代、徒手格闘を主に置いて戦う生徒はほとんどいなかった。
それが一番分かりやすくて、効率がいいのに。
そんな学生生活の最中、とある人との出会いが彼女の運命を決定づけることになる。
『驚いたな。気合いの入った奴がいるって聞いてたが、まさかこんなに可愛い嬢ちゃんだったとは』
巌のような男だった。
教員ではない。守衛魔法師から派遣される、特別講師。
男は、真堂盾と名乗った。
「──」
キュッとシャワーを止め、薫はシャワールームを出た。丸い水滴が豊満なラインを伝い、左膝の傷跡からポタポタと落ちた。
脱衣所には何とか見つけられた比較的清潔と思われるタオルが畳まれている。
薫は片足で立ったまま、タオルで髪と体を拭いた。
思い出すのは、昼間自分の専攻練に入れた真堂護だ。
よく似ている。
あの人を、思い出す。
強い信念と、戦いの才覚。そして目的のためなら自分の命すらいとわない、危うさ。
試験での剣崎王人との戦いを見ただけで、その本質は簡単に捉えられた。
エナジーメイルという生命線すら持たない彼は、一歩間違えるだけで簡単に命を失うだろう。
あの人と、同じ道を辿ることになる。
だから確かめたかった。どこまでの覚悟があるのかを。
結局、結果は予想通りだった。彼はエナジーメイルが使えないという程度の障害では止まらない。放っておけば、一人でも突き進む。
「‥‥」
鏡を見ると、自分と目が合った。あの人が居なくなってから、ずっと、生きる意味を探している視線。
「これが、私が生き残った理由ですか‥‥?」
その問いに答えてくれる者は、誰もいない。
それでも脈打つ胸の高鳴りだけは、紛れもない事実だった。
◇ ◇ ◇
掃除から始まった専攻練だが、それからは無事に訓練が始まった。
「訓練場、予約までありがとうございます」
俺は鬼灯先生と一緒に訓練場の一つに来ていた。桜花魔法学園には大小様々な訓練場があり、ここは個人用の小さな場所だ。そんな場所でさえ、予約を取るのが難しいわけだが。
「専攻練は人数に応じて訓練場を優先的に割り当ててもらえる制度があるんですよ。だから多くの生徒たちは人気のある教員のもとに集まるんです。規模が大きい程、優遇措置が多いですからね」
「先生は俺以外にいるんですか?」
「二年で一人だけ変態を取りました。今は短期留学でいませんが、そのうち会えますよ」
「へー、‥‥変態?」
聞き間違いか?
「じゃあうちはそんなに大きくないんですね」
「正直、専攻練なんて、面倒臭いですからね。下心満載の男子生徒の相手なんてそうそうしていられませんよ」
「はぁ‥‥」
にっこり笑いながら、とんでもない毒吐くなあ、この人。本当に教員か。
しかし言いたいことは分からないでもない。鬼灯先生は今日もダボっとしたTシャツにレギンスという出立ちだが、シャツを押し上げる膨らみも、ピッタリ浮き出た脚のラインも、男子高校生には刺激が強い。
まあそんなことはどうでもいい。それよりも『毀鬼伍剣流』の訓練の方が大事だ。
「‥‥そういう態度は態度で腹立ちますね」
「何の話ですか。それよりも、まずは何をするんですか?」
「焦る男は嫌われますよ」
先生はそう言うと、手を開いて俺に見せてきた。長い五本の指が一つずつ折られていく。
「振槍、閃斧、花剣、鋼盾、響槌。これら五つの技の中で、一番初めに極めるべきは何だと思いますか?」
「怪物が相手なんだからやっぱり威力のある閃斧じゃないんですか?」
事実、レオールにはそれで勝った。
しかし鬼灯先生は首を横に振った。
「違います。確かに威力は出るでしょうが、あんな大技はそうそう当たりませんよ。全ての怪物が大きくて鈍重ではありませんから」
なるほど。それもそうだ。俺がレオールに攻撃を当てられたのは、魔法の力あってのものだったからな。
「答えは振槍です。どんな体勢、状況下でも最速で出せる一撃は、敵の動きを牽制し、隙を作り、流れを生みます。振槍の練度がそのまま戦闘力の基礎に繋がると考えていいでしょう」
「振槍‥‥」
俺も使っているから、その利便性は分かっているつもりだった。鬼灯先生の言葉には俺の理解に足りていない、重みがあった。
親父はひたすら型の反復練習だったから、そういう実践的な話は教えてもらえてないんだよな。
「ただ勘違いしてはいけません。振槍はジャブではありません。一発一発が、敵の命を撃ち抜く弾丸なのです。まぁ、豆鉄砲になるか砲撃になるかは、練度次第ですが」
「分かりました」
鬼灯先生の振槍を見た後だと、その言葉の説得力が凄い。確かにあれに比べれば、俺の振槍は豆鉄砲か輪ゴム銃だ。
どうやって訓練するんだろう。最先端を行く魔法専門の教育機関だ。きっと革新的な訓練に違いない。
ウキウキしながら鬼灯先生を見ていると、先生はいつも以上に綺麗な笑みを浮かべて、心底楽しそうに言った。
「じゃ、まずは百回の形稽古からです。魔法の身体強化を使って、一回一回本気でやりましょうね。一回でも合格に満たないものがあったら、初めからやり直しですよ」
‥‥そうだった。忘れていた。この学校は最先端の設備が整っているが、その本質は脳筋マッスル学園。
訓練に近道なんてないんですね先生‼︎
「押忍‼︎」
「そういう暑苦しいのは嫌いなので、やめてくださいね」
おす。




