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肩慣らし ―剣崎―

「ふんふんふーんふふん」


 剣崎祇遠は数年前に流行った曲を歌いながらシャワーを浴びた。


 浴室から出ると剃刀を手に取り、髭を剃って眉を整える。


 髪も伸びていたが、それは昔からそうだ。髪紐で一つに結わえる。


 着るのは愛用だったジーンズにブラウンのレザージャケット。


「ふふふん、ふふん」


 無間から出た祇遠に与えられたのは、とあるアパートの一室だった。何の変哲もないこの部屋は、こういった仕事をする人間が使うために裏天宮(りてんきゅう)が押さえている一つだ。


 部屋に来た時には、必要な物は一通り揃っていた。


 夜に着いて、昨晩は何もせずゆっくりと睡眠を取った。


 薬も入れられていない。ノイズも存在しない部屋での睡眠。それは想像以上の快感だった。


 おかげで朝はすっきりと目が覚めた。


 今日は久しぶりに街を歩いて回ろうか。懐かしいチェーン店で昼食を食べて、本屋に行こう。そこには祇遠が置き去りにしてきた時がずらりと数字になって並んでいるはずだ。


 家を出ようとした時、スマホが鳴った。


「はい、もしもし」


 電話に出た祇遠はいつもと変わらない調子で相槌を打った。


「流石裏天宮(りてんきゅう)、仕事が早いねー」


 今日の予定は変更だ。


 玄関に立てかけてあった細長いケースを持つと、祇遠は外に出た。


 もう十一月も折り返しに入った。


「ふふーん」


 無間では感じることのなかった冬の気配に鼻歌を乗せながら、祇遠はスマホに送られてきた座標へと歩き始めた。




    ◇   ◇   ◇




 夜。雑居ビルの入り口で翔悟は電子タバコを吸っていた。


 今日は月に一度、チームのリーダーが集まる日だ。翔悟は付き人の一人。夕方に始まった会議はまだ続いている。


 ビル内の閉塞した空気に嫌気がさして、こうして夜道を眺めに来たのである。


 翔悟たちが所属している『エンジェルス』は、ここ数年で台頭してきた反社会組織だ。構成員の多くは二十代から三十代で、主に『電子ドラッグ』を扱って稼いでいる。


 本来こういった組織は大きくなれば、更に強力な暴力団によって潰されるのが常だ。


 しかしエンジェルスはそれらを跳ねのけ、新たな一大勢力として拡大を続けているのだ。


 何故エンジェルスがここまで大きくなったのか。


 いくつかの要因がある。


 一つ目は『電子ドラッグ』を主体とした、新たなシノギを作り上げたこと。


 二つ目は『魔法(マギ)』を鍛えた戦闘員を揃えたことだ。


 多くの暴力団から接触という名の脅迫があったが、彼らは自前の戦力でそれを跳ねのけた。


 魔法進化理論と呼ばれるものがある。


 世界改革(ワールドエンド)の時に生きるものたちを第一世代。そこから生まれた子供を第二世代とした時、第二世代の方が魔法(マギ)の適合率が高いという理論だ。


 同時に肉体も比例して強靭になる。


 当然古い時代から存在する暴力団とて魔法(マギ)を取り入れているが、武力という点に関しては横並び、場合によっては『エンジェルス』の方が高い。


 翔悟もまた戦闘員の一人だった。


 こう見えても昔は本気で魔法師の職業を目指していた。


 様々な理不尽や障害に挫折し、今は転げ落ちてこの雑居ビルでタバコを吸っている。


 面白くはないけれど、楽で楽しい人生だ。


「今日の話長ーな。洛夕会(らくゆうかい)桜庭組(さくらばぐみ)と本格的に抗争に入るかもって聞いたけど、うちのリーダーあんまり教えてくれねーんだよ。何か知らね?」


 先に紙タバコを吸っていた男が話しかけてきた。


 古い煙の香りに顔をしかめながら翔悟は頷いた。


「洛夕会は最近代替わりしたんだろ。桜庭はこの機に俺たちごと潰すつもりらしいぞ」


「はーん」


 洛夕会は比較的新しい暴力団だ。エンジェルスのやり方にも肯定的で、積極的に手を結ぼうと働きかけてきた。


 一方の桜庭組は世界改革(ワールドエンド)前からある古い組だ。下っ端とはエンジェルスも何度か小競り合いをしたことがある。


 男はタバコを(くゆ)らせながら笑みを浮かべた。


「そういや知ってるか? 桜庭組には古くから繋がりのある殺し屋がいるって話」


「どこの映画の話だよ」


「いやいやマジらしいぜ。桜庭組と事を構えようとした組は、どこも大規模な抗争に入る前に代替わりが起きてんだ」


「なんで」


「そりゃ前の頭が殺し屋に殺されたんだろ」


「あっそ」


 現実にそんな面白い存在はいない。こうして違法に手を染めてみれば、周囲にいるのは似たような境遇の現実ばかりだ。


 スマホが震え、見ればリーダーからの会議が終わったという連絡だった。


「終わったみたいだぞ、さっさと上が――」


 隣に声を掛けると、男が吸い切ったタバコを手に路地を見ていた。


「何だ、あいつ」


「あん?」


 見れば路地に一人の男が立っていた。


 男、男だろう。線が細く、長い灰色の髪を一つに結んでいる。肩にはバットでも入れそうな細長いケースを掛けていた。


 剣崎祇遠が笑みを張り付けて翔悟たちを見ていた。


 隣の男が立ち上がり、祇遠へと歩いていく。


 華奢に見えて、意外にも身長が高い。男は下から祇遠をねめつけた。


「失せろ、かま野郎」


 祇遠は男を軽く見て、すぐに翔悟へと視線を移した。


「君たちが扱ってる『ゴスペル』聞いたよ。面白いね、音と映像の電子ドラッグ。頭の中を直接かき混ぜられているみたいだった」


「おい無視してんじゃねーぞ!」


 男が祇遠の胸倉を掴む。そんなことも気にせず翔悟を見続けた。


「‥‥客か? 続きが聞きたいならバイヤーに言え」


「いや、どこの誰が作ったのか興味が湧いたから聞いてみたんだ。まっとうな技術者じゃ辿り着かない領域だよ」


「知らねーよ。そいつの言う通りだ。失せろ」


 翔悟は『電子ドラッグ』がどこから来た物なのかは知らない。ある業者がスタジオを用意し、そこでだけ聞くことができる。


 まだ法の整備が追い付いておらず、原価も安い。そのため様々な面で手の出しやすいドラッグなのである。


 大体は水商売の関係者か、不良少年が買いに来る。


 たまにこういうおかしな手合いが紛れ込むのだ。


「聞いてんのかおい! このゴミカスがよぉ!」


 我慢しきれなくなった男が胸倉を掴んだまま祇遠を押した。


 あんまりここでもめ事を起こすなよと思いながら、翔悟は雑居ビルに入ろうとし、そこで信じられない光景を見た。


 男が空を飛んでいた。


「お?」


 まるでトランポリンでも踏まされたかのような勢いで飛んだ男は、そのまま道を超えて対面の壁に叩きつけられる。

 

 全身の毛が逆立ち、魔力(マナ)が走る。

 

 あまりにも遅い気付き。


 ――こいつは敵だ。


「用があるのはこの上なんだ。通してもらえるかな」


「死ね!」


 魔法(マギ)を使った喧嘩において重要なのは初動である。


 エナジーメイルを発動し、一直線に走る。


 ほとんどの人間は魔法(マギ)の訓練をしていても、戦いの訓練をしているわけではない。


 つまり、反応が間に合わない。


 祇遠の懐に入り込んだ翔悟は体重を乗せて突いた。


 状況を理解していたのはそこまでだった。


 気付いた時には地面に寝ていて、指の一本も動かせない。


 頭が割れそうな痛みの中で、自分の頭に硬い足の感触が乗っているのが分かった。


 踏みつけられたのだ。突進に合わせて踵落としをするように。


 レベルが違い過ぎる。


「‥‥お前が‥‥桜庭組の、殺し屋‥‥」


「ん? 私は殺し屋じゃないよ。正義の味方」


 祇遠は動けない翔悟を置いて雑居ビルに入っていく。


 その背を見送ることもできず、翔悟はただ黒い地面を見続けるしかなかった。




 エンジェルスの会議室。関東各地を仕切るリーダーたちが一堂に会するのは久しぶりのことだった。


「桜庭組の殺し屋か‥‥」


「いてもおかしくはないでしょうよ。あそこの周りはこれまで不自然な死が多い」


「つっても、うちの構成員のほとんどは魔法師だ。不適合者(オールド)ならともかく、俺たちにそうそうちょっかいはかけらねーだろ」


「逆にそいつらを返り討ちにすれば、桜庭組はそれ以上戦えない。これはチャンスだ。国が電子ドラッグの法規制に入る前に、桜庭組からシマをぶんどるぞ。幸い今の俺たちには『番犬』もいる」


 桜庭組と洛夕会の衝突はエンジェルスにとって大きなものだ。世界改革(ワールドエンド)のどさくさに紛れて急成長を遂げたが、未だに古い時代からのさばっている連中の影響力は計り知れない。


 いつ消えておかしくない組織なのだ。


 だからエンジェルスはある組織に依頼を出した。『番犬(ウォッチドッグ)』と呼ばれる組織は、魔法師だけで構成された民間警護会社である。金をもらえるのであれば、依頼者が誰であれ構わない。


 この部屋にも既に三名の番犬が配置されていた。


 話し合いは長く続き、日も暮れた頃、異変に気付いたのは扉の横に立つ番犬だった。



 扉のノブが動いた。



 扉は施錠している。自分が内から開かない限り、開くはずがない。


 彼は魔法師としての訓練を受けてきた元軍人だ。


 彼から見れば、桜庭組も洛夕会もエンジェルスも、結局は素人同士の喧嘩だ。


「全員伏せろ!」


 鋭い声を室内に飛ばしながら、番犬はすぐさま『ハンズフレイム』を発動。炎を圧縮して指先に装填。


 扉が開くよりも先に弾丸を撃つ。


「ぁが」


 ガードマンの顎から額までが縦に割れた。弾丸は消え、どっと巨体が音を立てて倒れる。


 結局扉は開かれなかった。侵入者は扉ごと番犬を縦に斬ったのである。


「こんばんは」


 扉の半分を蹴倒しながら剣崎祇遠は会議室へと足を踏み入れた。




   ◇   ◇   ◇




 番犬を斬ったのは右手に握られた日本刀型の武機(マキナ)だった。


 血を払い、左手の鞘に納める。


「なんだお前は!」


「桜庭組の人間か!」


「どうやってここまで⁉」


 会議室にいるのはリーダーたちと、彼らを守るために立っている者が二名。


 ――今のと、壁の二人は本物の魔法師だね。


 残りがエンジェルスの連中だろう。武闘派を気取っておきながら、この状況でまともに立ち上がれているものが半数程度。


 多少は楽しめるといいなと祇遠は部屋の中央へと歩いていく。


「‥‥」


 番犬の一人が袖からナイフを取り出しながら祇遠へと跳びかかった。


 さながら肉食獣が首に牙を立てるような一撃必殺の動き。


 なんらかの魔法(マギ)を発動していたのだろう、切れ味の増したナイフは首に滑り込み、真っ赤な血を吐き出した。


「ぅが‥‥」


「もう少しエナジーメイルの精度を上げた方がいいな」


 ナイフは番犬の首を斬り裂いていた。


 番犬の肘の内側に刀の柄を入れ、手を掴んで曲げたのだ。エナジーメイルは訓練していても、関節は動きやすくしている場合が多い。だから簡単に曲げられる。


 その時、祇遠の頭を水が衝突し、包み込んだ。


 もう一人の番犬が発動した『アクアダンス』による水球。


「頭を潰されるか、窒息死するか。好きな方を選べ」


「ごぽぽっ」


 どっちも嫌だなぁ、という気の抜けた声は泡になって消えた。


 そうしている今も、水はエナジーメイルを突き破って体内に入り込んでこようとする。


 魔法(マギ)の精度は悪くない。


 しかしそれは、誰かが前衛で戦っている時の話だ。


 ダンッ! と祇遠は床を踏み抜いた。


 一歩で番犬へと肉薄すると、右の掌底で鳩尾を(えぐ)り、衝撃を内部に通した。


「っがはぁ!」


 番犬の口からおびただしい量の血が噴き出した。


 エナジーメイルの練度が違う。それだけで勝負は決する。


 番犬(ウォッチドッグ)を手早く片付けた祇遠は、部屋の隅に固まったエンジェルスを見た。


「君たちは戦わないの?」


「‥‥お前は、桜庭組の殺し屋か」


「違うよ。私は君たちの抗争には関係ない」


「じゃ、じゃあ何のために!」


「抗争以外にも、殺される理由なんていくらでもあるんじゃない?」


 祇遠の言葉にエンジェルスたちは押し黙った。


 彼らのターゲットは成人よりも、未成年が多かった。特に家庭環境が悪く居場所のない子供や、上京してきた大学生を狙った。


 金が払えなくなれば洛夕会に売り飛ばした。


 エンジェルスは理解していない。国は想像以上に魔法(マギ)の扱いに慎重だ。魔法(マギ)を犯罪に使えば通常よりも重い罰則を科せられる。


 彼らは裏天宮(りてんきゅう)の引いた一線を超えたのだ。


 これ以上は存在を認められないと判断された。


「君たちと戦ったところで大した面白みもないけれど、一応依頼だから」


「待て! 仕事なら俺たちが倍の金を出す!」


「別にいらないかな」


 祇遠の言葉に男たちは本当の恐怖を覚えた。


 これまで彼らが相手にしてきた人間は、欲望の塊だ。地位か、金か、女か、力か、客であれ商売敵であれ、誰もが何かを欲していた。


 しかし祇遠は違う。


 何を欲しているか分からなければ、交渉も何もない。


 怪物(モンスター)よりも得体の知れない怪物だ。


 エンジェルスは逃げ場のない部屋の中で、音もなく処理された。


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