地獄の取引 ―神宮司ー
重苦しい音を立ててエレベーターのドアが開いた。
A級守衛魔法師、神宮司練磨は連れよりも先にエレベーターを降りた。
一歩遅れて老齢の男が降りてくる。
二人が降りたのは無機質な廊下が続く場所だった。廊下には等間隔に扉が並び、管理番号が掲げられている。
「お待ちしておりました。宗郷様、神宮司様」
二人を迎えたのはこの施設の職員だ。神宮司は頭を下げる。
「ここでは私から離れないようにお願いいたします」
「ああ。分かってる」
「うむ」
ここに至るまでに、既に厳重すぎる検査を受けた後だ。
勝手な行動が許されないことなど百も承知。
何しろここは罪を犯した魔法師、『黒魔法師』たちが収監されている監獄だ。
その名は『無間』。
網走刑務所の地下に造られたこの監獄は、いくつかの階層に分かれ、浅層には軽犯罪者、深層には重犯罪者が収監されている。
神宮司たちが踏み入ったのは、最下層である。
看守の後に続き、神宮司たちはとある部屋の前で立ち止まった。ガラス張りで中が全て見えるようになっている。その中に一人の男が座っていた。
ぐったりとした様子でうつむき、動く様子はない。
看守はそれを無機質な目で眺めながら言った。
「この部屋では常に思考をかき乱すノイズが流れ、食事替わりの点滴には特殊な薬を混ぜています。意志疎通は可能ですが、曖昧な意識ですのでご承知おきください」
――人権も何もあったもんじゃねぇな。
神宮司はゆっくりと鼻から息を吐き出した。
深層に収監されている黒魔法師は強力な魔法を持つ者ばかりで、銃火器を所持しているのに等しい。
そんな人間を収監するためには、本人を無力化するのが最も効率がいい。
理屈としては分かるが、何も思わないわけではない。
「そちらのマイクを通して話をすることができます。向こうからこちらは見えておりませんので、そのつもりでお話しください」
神宮司と共に来た男、宗郷がマイクの前に立った。
「聞こえるかね。裏天宮の宗郷だ」
「‥‥」
声に反応し、囚人がゆっくりと顔を上げた。
その顔は神宮司の知るものよりずっと痩せていた。
それでも目だけは、あの時と同じだ。ギラギラと飢えた狼のように光っている。
彼はカメラの方に視線を向け、微かに口角を上げた。
「裏天宮か‥‥。隣にいるのは神宮司かな。出世したね」
「っ――」
神宮司が看守の方を見ると、看守は目を見開いていた。
看守から情報が漏れていたわけではない。
――まあ、そうだよな。別に驚くようなことでもないわな。
マイクから聞こえた音だけで、こちらの癖を拾い、神宮司を特定したのだろう。
昔は共に仕事をした仲だ。
彼からすれば息遣い一つでも、話しかけられたに等しい。
「――」
宗郷が無言で神宮司を見上げた。
話せ、ということだろう。
神宮司はため息を押し殺してマイクの前に立った。
「‥‥お久しぶりです、剣崎さん」
「おいおい、犯罪者に守衛魔法師が畏まった喋り方をしちゃ駄目じゃないか」
「‥‥変わらないですね」
「随分痩せただろ。それで今日は何の用かな」
「用があるのは俺じゃないですよ」
「裏天宮がわざわざ出向くなんて、碌な用件とは思えないね」
神宮司は無言で返した。
用の内容までは知らないが、碌でもないというのは間違いないだろう。
正直な話、関わりたくはない。
話を聞きたくもない。
しかし一般家庭の出身で、強力な後ろ盾もない神宮司に裏天宮からの仕事を断る選択肢はなかった。
『裏天宮』は魔法省を取り仕切る政治家――それを操る怪物たちの住処である。
誰が所属しているのか。何人で構成されているのか。そもそも構成員は人間なのか。
誰もその正体を知らない。
知っているのは、明確にそれが存在していること。
それが、この国において絶対の権力を所持していることだけだ。
その一人である宗郷が、再びマイクの前に立った。
「剣崎祇遠。元A級守衛魔法師の力を見込み、頼みがある」
「‥‥何かな」
「ある男の身柄を確保してほしい」
「それだけなら、わざわざ私に頼む理由がないね」
「守っている連中が厄介なのだよ」
――厄介だと?
日本で最高峰の権力を持つ裏天宮がそこまで言う相手。
――ちっ、やっぱり耳塞いどきゃよかったな。
しかし神宮司には聞かないという権利さえない。
答え合わせは祇遠によって行われた。
「裏天宮が女王と事を構えるとはね。表の世界では余程楽しいことが起きているみたいだ」
「国の、世の趨勢を決定づける局面である。分かっていよう、選択権はない」
「どうかな。私はこれまで自分のすべきことは自分で決めてきた。誰にも縛られたことはないさ」
「今ここにいることも、選択かね」
薄ら笑いと共に述べられた言葉に、神宮司は目を細めた。
剣崎祇遠がこの無間に収監されたのは、本人が原因だ。A級守衛魔法師でありながら、多くの殺人を繰り返してきた。
しかし、しかしだ。
──お前たちも、この人を利用してきたんじゃねーか。
祇遠が裏天宮の汚い仕事を負ってきたのは、上層部なら誰もが知ることだ。
指示を出した人間は裁かれず、手を汚した人間だけが裁かれ、更に悪はまた祇遠を利用しようとしている。
あまりの胸糞悪さに宗郷を見ようとすると、その途中、祇遠と目が合った。
神宮司がどこに立っているのかさえ分からないはずなのに、その目は確かに神宮司を捉えていた。
そして、笑う。
「いいよ、その話。乗ってあげる」
「一週間後に釈放だ。端末を渡す。以後はそれに連絡をする」
「了解」
何故祇遠が仕事を引き受けたのか、神宮司には手に取るように分かった。
いつだってそうだ。
化蜘蛛の討伐に向かった時も、黒魔法師を殺害した時も、祇遠の行動理由はたった一つ。
ガラスの向こうで、祇遠が口だけを動かして言った。
『だって、楽しそうだろ?』




