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最強 対 最恐

「ランク3ね。流石にやるのは今回が初めてだなー」


 軽く口を動かしながら椿は徹底的に敵を観察した。


 黒い外套はなんらかの武機(マキナ)か。光の反射が揺らいで、不自然な模様を浮かべている。これで姿を隠していたのだろう。


 露わになった頭部は、鬼の鉄仮面に覆われていた。左の角だけがねじくれて空を突き刺している。


 体躯は三メートル近いだろうか。その身長に見合うだけの分厚さと太さは、さながら重機。


 ただ何より存在感を放つのは、右手に掲げられた大剣だ。いや、剣と呼ぶにはあまりに(いびつ)。鉱山から直接削り出したような、荒々しく武骨な武器だ。


 タイプ(オーガ)のランク3。


 日向椿は最悪の敵を前にしても、恐怖の色は見せなかった。


 全身に満ちるのは昂揚。


 守衛魔法師(ガード)としての責務。背に負った後輩たち。その全てを忘れたわけではない。むしろ重くのしかかっている。


 それらの重圧を跳ねのける程に、椿は戦意をたぎらせていた。


 人生で数える程しかない、本気で戦える相手を前に、血が湧き立つのを止められない。


 踏みつけていたアタッシュケースが勝手に開き、中の武機(マキナ)が浮き上がって椿の手に収まった。



 それは二本の斧。



 椿の身長を優に超える片刃の両手斧を、それぞれの手に握ったのだ。


 当然、片手では振るうどころか、持ち上げることさえ不可能。


 二本は黒と白を基調としながら、青と朱が入り混じった対照的な色をしている。



 銘は『思考(フギン)』と『記憶(ムニン)』。



 夜明に旅立ち、夜に主の元へと戻るワタリガラス。


 椿は先手を取るつもりだった。


 怪物(モンスター)最強のランク3だ。


 A級であろうと、複数人で戦わなければ勝ち目はない。しかしこの場で戦えるのは椿一人だ。


 一気に攻勢を仕掛け、戦いの流れを掴まなければならなかった。




 爆音。




 衝撃が耳を太鼓のように打ち鳴らし、椿の全身が大地に沈んだ。


 地面が石を投げ込んだ水面のように波打ち、木々が足場を失って倒れる。


 鬼が大剣を上から叩きつけたのだ。


 ただそれだけで地形が変わり、音が天に轟く。


 たとえエナジーメイルを発動していたとしても、それごと叩き潰す無慈悲な一撃だ。


 そう、普通の守衛魔法師(ガード)なら肉片となっていただろう。


 しかしここにいるのは日向椿だ。


「いったぁー! ランク3、威力ぶっ飛びすぎでしょ」


 二本の斧が大剣を食い止めていた。


 大地が耐えられなかった攻撃を、華奢な日向椿が真正面から受け止めたのである。


 椿は更にその状態から動く。


 斧で剣を弾き飛ばすと、両手を後ろに引く。


 足で地面を捉え、一瞬の静止。


 魔法戦闘(マギアーツ)


「『番犬の牙(ガルム)』」


 双刃が閃光の弧を描き、(はさみ)のように(オーガ)の首を斬り裂かんとした。


 ランク2の頭を数多く飛ばしてきた一撃は、空を切った。


 (オーガ)は後ろに飛び退いたのだ。


「逃がさないって!」


 先手は取られたが、方針は変わらない。


 攻める。


 掻き消えんほどの速度で踏み込むと、斧の柄をぎりぎりまで長く持ち直す。


 両手斧の端を片手で握るのだ。その重量は更に上がる。


 それを椿はリボンでも回すかのような軽やかさで振るった。


 魔法戦闘(マギアーツ)――『北風の主(フレスベルグ)


 身体を軸にして、独楽のように回転しながら斧を振り回す。


 速度に遠心力が乗り、ステップを踏むごとに加速する。


 思考(フギン)記憶(ムニン)は絶え間なく(オーガ)へと襲い掛かった。


 重い衝撃が連続して響き渡り、(オーガ)が押し込まれていく。


 ランク3を相手に正面から力で圧倒している姿は、異常そのものだ。


 しかし回転を続けながら椿の表情はすぐれなかった。


 これだけの回数攻撃を繰り出しているにもかかわわらず、一発も(オーガ)に届いていない。


 全ての攻撃を剣でいなされている。


 椿は脚を速め、更に攻撃の速度を上げた。


 ――はは。


 向こうが防御に徹するというのなら、やることは単純だ。より速く、より重く、防御をこじ開けて斧を叩き込む。


 二つの斧が絶え間ない斬撃を浴びせ、(オーガ)の剣が上に跳ねた。


 ――勝機。


 裏拳の要領で斧を(オーガ)の胸へとねじ込む。


 だが、それが当たることはなかった。


 ゴッ! と真横からの衝撃に椿の身体が水平に吹き飛んだのだ。


 ――なんっ、で。


 真実は単純である。


 体勢を崩したはずの(オーガ)が、圧倒的な加速に乗っていたはずの椿よりも速く斬り返してきたのである。


 無茶苦茶だ。


 攻撃は思考(フギン)で防いだ。追撃に備えてこのまま走る。


 斧を振って慣性を制御し、椿は吹き飛ぶ方向を変えて飛んだ。


 彼女には飛行能力がある。


 その気になれば着地の必要もなく体勢を整えられる。




 すぐ目の前に、鬼の面があった。




「うっそ⁉」


 振るわれる剛剣に対し、斧をなんとか合わせる。


 雷鳴の如き衝撃に再び吹き飛ばされた。


 腕が千切れそうな痛みをこらえながら、今度は上空に跳び上がる。


(パワーだけじゃない。速度もぶっ飛んでんだけど!)


 まさかあの状態から追い付いて殴りかかってくるとは思わなかった。


 ヒットを打ったバッターがその打球をキャッチしにくるぐらい意味が分からない。


 さすがの鬼も空までは飛べないのか、地面に立ったままこちらを見上げている。


 遠距離攻撃がないのなら、空から攻撃を撃ち続けるのもありだが――。


 鬼が、剣を肩に担いだ。


 腰を捻り、力を溜める。


 何をしようとしているのかは分からないが、嫌な予感がした。


 それもここ最近では感じたことのない、背骨から凍てつくような悪寒だ。


「っ⁉」


 椿は全力で回避行動を取った。


 刹那、(オーガ)が剣を曇天へと向けて振り下ろした。


 何の意味もないはずの一閃。






「『森羅剣(クラッシュ)』」






 それは大気を割る雷刃(らいじん)と化した。


 斬撃の唸りが轟き、衝撃が黒いひび割れとなって曇天を貫いた。


 大地から空へと落ちる雷。


 ランク3が歩く災害と呼ばれる所以(ゆえん)だ。


 彼らの持つ異能はランク2の怪物(モンスター)に比べ、規模が違う。


 あのひび割れに当たったらどうなるのか、椿にも分からなかった。


 だが、あるいはだからこそ突っ込んだ。


 破壊の衝撃に頭から降下し、全てをギリギリのところで避ける。何が来ようと攻撃の手は緩めない。


 当たっていないのに肌が裂け、血が上へと飛び散った。


 傍から見れば捨て身の特攻に見えただろう。それでも椿の頭の中は冷静だった。(オーガ)との距離を測りながら、斧を握り直す。


 三、二、一――。


 間合いに、入る。


 剣を振り切った状態の鬼に向け、一発の砲弾と化した椿は二本の斧を同時に振るった。




 魔法戦闘(マギアーツ)――『踏破の駿脚(スレイプニル)』。 




 最高速度から叩き込まれた一撃は、(オーガ)の巨体を弾き飛ばした。


「ははは‼」


 高笑いを上げながら斧を構える椿の右手。


 小指と薬指が無くなっていた。


 溢れた血が斧の柄を伝い、地面を汚す。


 突っ込んでいる途中で森羅剣(クラッシュ)が掠ったのだ。エナジーメイルで防御していても、ひび割れはそんなもの紙くずのように引き裂いた。


 しかし椿はそんなことを意にも介さず、エナジーメイルで指を取り繕う。


 ランク3に一発入れるのに指二本。


 面白い。


 砂ぼこりの向こうから、当たり前のように黒い影が現れた。


 その身体には、傷一つない。


 外殻の強度もイカれている。


「あなた、名はあるの? ランク3は多少の言葉なら喋れるって聞いたけど」


 調子を確かめるようにくるくると斧を回しながら、椿は聞いた。


 名前は対象の存在を明確にする。


 あるいはただシンプルに、死闘を繰り広げる相手の名を知っておきたいというくだらない思いだったのかもしれない。


 破れた外套を脱ぎ捨てながら、(オーガ)が椿を見た。


 鉄仮面の向こうに覗く青い光に、感情はうかがい知れない。


「シュテン」


 発せられたただ一言を、椿は噛み締めた。


 シュテン――酒呑童子からでも取ったのか。


 ランク3は2に比べて自我が発達する。己を知ることは、己を定義するところから始まる。


 一体この名を付けたのは誰なのか。


「思ったより良い名前じゃん。私は椿。日向椿(ひゅうがつばき)


「‥‥」


「今から殺すけど、何か言っておきたいこととかある? できれば怪物(モンスター)について知ってること教えてほしいんだけど」


 答えを期待しての言葉ではなかった。しかし予想に反してシュテンは鬼面からくぐもった声を出した。


「ナゼ、イノラナイ」


 椿は目を細めた。予想外の内容だ。


「祈り? そりゃ人によっては大切かもしれないけど、私は祈らないかなー」


 何故か。


 理由はシンプルだ。


「私が信じてるのは私だけだから」


 祈りとは願いだ。


 こうなってほしい。こうあってほしい。


 己の欲するところを掴むのは、自らの手である。


 祈りを馬鹿にしているのではない。


 ただ日向椿の人生において、そちらの方が早く、確実であったというだけだ。


 ああ、とシュテンはうめき声のように呟いた。


「カナシキ、モノタチ」


怪物(モンスター)に憐れまれる日が来るとは思わなかったね」


 その冷たい面の下にどんな表情が浮かべられているのか、想像もつかない。


 怪物(モンスター)とは人間を殺す存在だ。


 そこに理屈や理由が存在するのか、誰も知らない。


 しかしこのシュテンには信仰があり、明確な意義があって椿たちの前に立っている。


「じゃあ、あんたは何に祈るわけ?」


 人間を哀しき物と断ずるのであれば、己の侵攻は果たしてどれほど崇高なものか。


 椿の問いにシュテンは首を傾げる仕草をした。


 まるで子供に、なぜ人は生きるのかと問われたように。


「カミニ」


 ――神?


 怪物(モンスター)に信仰する神がいるというのか。


 だとすればそれが、


「お前たちの生みの親か」


 椿は思考(フギン)記憶(ムニン)を構えた。


 この鬼の背後にいる得体の知れない巨大な存在。それに向けるように、刃を掲げる。


「もう少し、聞きたいことが増えちゃったな」


 さて、ようやく身体もあったまってきた。


「ギア、上げて行こうか」



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