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誤算 ―オウル―

     ◇   ◇   ◇




 オウルにとって紡の存在はとんでもない誤算だった。


 今回呼び出した三体は黒魔法師(ブラックラベル)を素体としたフールである。守衛魔法師(ガード)煉瓦の塔(バベル)とは比較にならない弱者だが、ランク2であることに違いはない。


 その二体が、いともたやすく射抜かれたのだ。


 プロ、少なくともB級の守衛魔法師(ガード)だと判断したオウルは自ら手を下すことに決めた。


 木々で射線を切りながら飛行すると、その正体が見えた。


 弓を構えた少女。


 怪物(モンスター)となったことで強化された目には、その弓に張られた魔力(マナ)の糸が見えた。


固有(ユニーク)持ち――!」


 煉瓦の塔(バベル)に所属していた頃、データで見たことがある。『念動糸(クリアチェイン)』と呼ばれる魔法(マギ)だ。


 ――しかも学生。


 こちらも桜花魔法学園の制服を着ている。


 学生にランク2が二体も討伐されたのだ。本来ならあり得ない事態だ。


 護同様、こちらも学生とは思わない。


 一手で確実に殺す。


 オウルは『殺戮弦調(サイレントサイレン)』を構えた。この魔法(マギ)の射程距離は近接武器と大差ない。しかし当てさえすれば、必殺の一撃である。


(あの男のように馬鹿げた回復能力は持っていないはず)


 勝負は一瞬で決する。


「――」


 紡の矢が飛来するオウルへと向けられた。


 ランク2を射抜く矢だ。フールより外殻が脆いオウルでは絶対に受けられない。


 先んじて『プレイノイズ』を発動し、音波を紡へと浴びせかけた。


 エナジーメイルを発動していても、音は耳から視界を揺らし、脳を麻痺させる。


 魔法(マギ)で引いた弓だ、少し集中が途切れるだけで、あらぬ方向へ飛ぶ。


 ――はずだった。


 間髪入れず紡から放たれた矢は、寸分の狂いもなくオウルへと迫る。


 とても学生とは思えない胆力、魔法(マギ)の精度だ。


 ゴッ! と矢は頬と肩を抉った。


「ぅぐっ‼」


 保険でかけていた『ミラージュ』のおかげで、ギリギリ致命傷は免れた。


 衝撃と痛みに墜落しそうになるのを、強引に立て直す。ここで地面に落ちれば、格好の的だ。


 翼があるのなら飛べる。


 オウルはきりもみ回転するように加速し、一気に紡へと迫った。


 瞬きの間に、『殺戮弦調(サイレントサイレン)』の間合いに入る。


 必殺の鎌を振るおうとした時、紡の口が動いた。




「私の糸は強く柔らかく、そして、細い(・・)




 オウルの身体が止まった。


「なっ――⁉」


 今まさに『殺戮弦調(サイレントサイレン)』を発動しようとした姿勢のまま、ガクンと空中に縫い付けられたのだ。全身にかかる圧で、内臓が潰れそうになる。


 しかしオウルの頭の中にあったのは、痛みよりも疑問だった。


 何故、どうして動けない。


「お前の狙っていた魔法(マギ)の射程は、そこまで広くないみたいね」


 紡の全身を固定していた糸が一気にほどけ、彼女はそのまま枝の上で立ち上がった。


 そこでオウルは悟る。もし自分がそのまま突っ込んでいたとしても、彼女は即座に離脱用の糸でその場を離れていたことに。


 突っ込んでくるこちらを矢で狙いながら、間合いを測り続けていたのだ。


「私の『念動糸(クリアチェイン)』は一本一本、視認するのが難しいほどに細い。どれだけ意識していても、他に注意が向いていれば見落とすくらいに」


「まさ、か」


「突っ込んでくるのなら、そこに張り巡らせておけば勝手に絡まっていく」


 そこまで言われ、オウルは気付いた。自分の身体にか細い糸が何十本と絡まっていることに。


「緩めた糸は、絡まっていくことに気付かない。そして気付いた時には」


 紡が弓を回し、糸を引いた。


「もう遅い」


 バキッ、とオウルの身体の中で鈍い音が響いた。翼が、足が、強力な張力によってへし折られたのだ。


「ぁがっ⁉」


 エナジーメイルを首に集中させていたおかげで、首を折られるのだけは何とか避けたが、とんでもない力だ。


 これが鍛え上げられた固有(ユニーク)、『念動糸(クリアチェイン)』の力である。


 風に吹かれれば揺れる程に軽く、視認できない程に細いのに、束ねれば車さえ持ち上げる。


 黒曜紡は物心ついた頃からその力を第三の手足として扱えた。本人の性格的に目立つことはないが、その才能は星宮有朱、剣崎王人にも並ぶ。



 正真正銘の天才である。



 しかし何よりオウルを驚かせたのは、紡の躊躇の無さだ。仮にも人間としての名残を残す自分を相手に、一切の手心なく首を折ろうとした。


 矢を射るのとはわけが違う。殺しの感触が彼女の手にはべったりと残ったはずだ。


 それでも紡は止まらない。折れないと見るや別の枝に飛び移り、四本目の矢を取り出し弓に番えた。


 必死の矢じりが、オウルへと向けられた。


 ――駄目だ。間に合わない。


 自分の持つどんな魔法(マギ)でも彼女は止められない。自分に向かってくる矢も止めることはできない。


 死ぬ。


 その二文字が頭の中を埋め尽くした時、それは来た。






 死の足音が、風と共に吹き抜けた。






 世界が止まった。


 紡は弓を引いたまま、指を離さない。いや、離せない。


 後ろを振り向くことも、呼吸さえ止める。


 凄まじい速度で何かがこちらへと向かってきている。


 それが分かっているのに、全身が銅像にでもなったようだった。


 それはオウルも同様だった。糸に絡まったまま、目を大きく見開いて止まっていた。


 その目が見るのは紡の、更に奥。


 林の影が重なる暗がりに確かな気配を感じていた。


 紡と唯一違うのは、近付く者の正体を知っているということだ。


 ――来てしまう。


 戦いから遠ざけたはずの彼が、血と闘争の匂いを嗅ぎつけて向かってくる。


 結局こうなってしまったという諦めと後悔にオウルが目を閉じた時。


「紡ぃぃいいいいいい‼」


 叫びはか細くかき消される。






 死神が戦場を血みどろに塗り替えた。


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