異常な力 ―オウル―
◇ ◇ ◇
――敵だ。
オウルは護の声を聞いた瞬間、機械のような正確さで動いていた。
服に仕込んでいたナイフ型の武機を抜き、エナジーメイルによる加速で投擲。
音もなく、三本のナイフは護の急所へと飛んだ。
この武機はショックウェーブにより飛来中も加速し、更に高速の振動によって貫通力を高めたものだ。
たとえエナジーメイルで防御をしたとしても、防ぐことは不可能。
オウルは怪物としては決して強力な個体ではない。外殻の硬さも、身体能力も、純粋なランク2に比べれば数段落ちる。
だがそれは怪物としての素質の話だ。
代わりに人間時代に身に付けた知識、技術はそのまま使うことができる。
名は捨てた。もう思い出すことも、思い出そうとすることもない。
ただ人間だった頃のオウルを形容する必要があるのであれば、分かりやすい立場があった。
煉瓦の塔の監督者。
それが彼女を示す冷たい記号だった。
オウルは武機の作成と、魔法の研究で監督者になった人間である。何かに取り憑かれたように、毎日魔法の研究をしていた。
戦闘系の監督者に比べれば、戦闘技術は遥か下。
しかし『監督者』であることも事実。
その力は悪名高い『教授』にさえ劣らない。
そのオウルが一切の躊躇いなく殺しに動いたのだ。
訪れる結果は目を閉じていても明白だった。
しかし、信じられないことが起きた。
「ッ――⁉」
完全に不意を突いて放った三本のナイフが、全て空を切ったのだ。
それだけではない。
目前に護が迫っている。
既にその拳は硬く握り締められ、オウルへと放たれようとしていた。
――嘘⁉
ナイフを横に避けたのではない。前へ進みながらかいくぐってきたのだ。
それも、とんでもない速度で。
防御を――。
ゴッ‼ と激しい衝撃が両腕に走り、オウルは後ろに吹き飛んだ。
「ぅぐっ‥‥」
重い。
オウルのエナジーメイルは戦闘用ではなく開発用に調整されている。そのため精密性は高いが、防御力は低い。
しかしそれを差し引いたとしても、重い一発だった。
(日向椿、凛善正義、剣崎王人。桜花魔法学園の特別観測対象はこの三人だけだったはず‥‥!)
地面を蹴り、回り込むように走る。
相手はまず真っ先に間合いを詰めてきた。近接戦闘を得意とする魔法師だ。
まず間合いを離す。
(おそらく私が変身している姿は見られていない。この姿のまま決着をつける)
この少年がミッションで来ているのであれば、一人は考えづらい。
怪物に変身して一瞬で殺せるのであればいいが、そうでなければ事態が大きくなる可能性がある。
それは駄目だ。
オウルは走りながら再びナイフを投擲した。
今度は先ほどよりも強く、更に時間差をつけて。
だが結果は同じだった。
護は全てのナイフを紙一重で避け、一気に踏み込んでくる。
護の背後で炎が瞬き、オウルへと肉薄した。
明らかに速度で負けている。距離を取ることは困難だ。
オウルの判断は護の拳が振るわれる刹那に下された。
「振槍」
炎の拳がオウルの顔面を捉え、そのまま手応えなく通り過ぎた。
『ミラージュ』。
この一瞬でオウルは蜃気楼を作り出し、護の一撃を外させたのである。
ほんの一秒にも満たない時間だが、そこには明確な隙が生まれた。
それだけあれば充分である。
オウルは指を二本伸ばし、護の頭へと向けた。
反射的に腕で守ろうとするが、無意味だ。
この一撃は、確実に命を刈り取る。
「『殺戮弦調』」
音の鎌は透明に、静かに、護の頭に突き刺さった。
「ぉぐっ」
鼻から、耳から、目から、血が噴き出す。
――終わり。
『殺戮弦調』はプレイノイズからの進化魔法である。
効果は単純、音の刃で対象の内部を細胞レベルで崩壊させる。
今の護は両耳の鼓膜が砕け、刃がすり抜けた部分の脳も潰れている状態だ。
『エナジーメイル』は防御に優れた魔法だが、五感を守る機能はない。当然、腕で防御しようとしたところで、音を止めることは不可能。
『殺戮弦調』はそういった油断の隙をすり抜ける一撃。
怪物を相手には効果が薄いが、魔法師相手ならば、文字通り必殺となる。
「ほんの少しの油断。それだけあれば、刃は滑り込む」
オウルは前のめりに倒れていく護を見つめた。
彼女は血も涙もない煉瓦の塔の監督者だが、研究の性質上、一般人や子供を手に掛けたことはなかった。
きっとこの感傷に大きな意味はない。
オウルは一刻も早くこの場を離れようとし、おかしな音を聞いた。
それは、護の踏み出した一歩が地面を踏みしめる音。
「ぇ――」
オウルの誤算は三つあった。
一つ目は、そもそも護が使っていた魔法はエナジーメイルではないということ。彼女は炎と共に降ってきた護の魔法を、『エナジーメイル』と『ハンズフレイム』の派生だと判断した。
普段の彼女ならもっと細かく観察しただろうが、勝負を焦ったことがこのミスを生んだ。
そして二つ目は、『火焔』に再生能力があったこと。これは一撃必殺を選んだ時点で、ある意味どうしようもない見落としだった。世界で観測されたほとんどの魔法を記憶しているオウルをして、『殺戮弦調』を受けて立ち上がれる魔法はほぼ存在しない。
三つ目は、真堂護が既に教授と戦っていたこと。
「ァァアアアアアアアア‼」
生半可な傷で、護は止まらない。
「『五煉振槍』」
ゴッ‼ と火拳がオウルの腹を下から抉った。
「がはっ‼」
展開していたエナジーメイルが砕け、焼けた拳が腹を焦がす。
オウルの着用している服はただの服ではない。彼女自身が作成した防弾防刃の戦闘用である。
それがなければ、今の一発で終わっていた。
とにかく、距離を取って態勢を立て直し――。
追い打ちの一発がオウルの顔面を弾き飛ばした。
攻撃はそれにとどまらない。胸に、腕に、顔に、拳が突き刺さる。
「ガァァァァアアアアアアアアア‼‼」
速すぎる‼
とても『殺戮弦調』を受けたとは思えない速度で、拳の連打が放たれる。
受けきれない。
なんとか逃れようとするが、護の方が速いせいでそれも不可能。
(殺戮弦調は確実に当たってた! どうやって回復したのかは分からないけど、そんな連続で使えるものじゃないはず)
明らかに異常な魔法に、研究者としての本能が疼くが、今はここを切り抜けることが最優先。
やるべきことは一つだ。
再びミラージュで護の攻撃を躱し、『殺戮弦調』を放つ。今度の狙いは脚。機動力を奪う。
「――」
しかし『殺戮弦調』は空を切った。
オウルの狙いを看破した護が、地面を蹴って避けたのだ。
――たった一回で動きを見切られた⁉
『殺戮弦調』は透明、無音の刃だ。
それを避けるということは、オウルの動きを予測して動いたということである。
「閃斧!」
ドゴッ‼ と真上からギロチンのように振り下ろされた脚が、オウルを地面に叩きつけた。
「かはっ――!」
駄目だ、やられる。
事ここに至り、オウルは理解する。
学生の姿に惑わされたが、この少年は間違いなく自分よりも格上だ。
単純な魔法の力や戦闘技術だけではない。必要があれば人間だろうと容赦なく叩きのめす覚悟、どんな傷を負っても怯まない精神力。
おそらくオウルが怪物に変身したところで、勝機はない。
『お前、何を持っている?』
何故こいつがそれを知っているのか。どうしてたった一人で襲撃してきたのか。そんなことはどうだっていい。
負けたら、苦労して得た宝を奪われるだろう。
いやその前に、『彼』が動く。今こうしている間にも、その可能性は高まり続けている。
それは駄目だ。
それだけはあってはならない。
彼が動けば問題は一瞬で解決するだろう。だが事が大きくなりすぎる。
守衛魔法師が出撃し、場合によっては騎士団も現れるだろう。
そうなれば彼は何もかもを蹂躙し、本来の彼へと戻る。
そんなことは許さない。
「ぁぁああああああ! 『解放』‼」
オウルは叫び声を上げた。
衝撃波と共に青い光が弾け、オウルの全身が捻じ曲がり、羽があふれ出す。
「ッ――⁉」
護は即座に後ろに跳んだ。
人から怪物への変異。護は雲仙煙霞との戦いでそれを見ていたから、怯みはしない。
しかし護は目を見開き、攻撃を躊躇した。
オウルを中心に黒い光が地面を這ったのだ。
生物の血管のように、グロテスクで、神秘的な美しさを持つ幾何学模様。
その魔法陣を護が目にするのは何度目か。
「お前は、ここで殺す」
跳び上がったオウルの足元で、黒い駒が三体召喚された。創造主より彼女に与えられた僕たち。
従僕は繭を開くように、全身を露わにする。
右手が剣に。
左手が銃に。
背中に斧を。
それぞれが青い『2』と人間の面影を持つ怪物である。




