宝 ―少女―
◇ ◇ ◇
秋晴れの朝日に照らされる山の中を、影を縫うようにして歩く。
創造主より与えられた僕たちの調査により、目的の場所は分かっている。
彼は一つ街をはさんだ山に置いてきた。
彼の任務は自分の守護だ。本来なら離れて行動することはない。
しかし今回ばかりは説得を繰り返し、こうして単独行動をすることが許された。
今から行く場所はおそらく単純な暴力では戦えない。
そしてもう一の理由は、彼には伝えなかった。
許されない言葉だと分かっているから。伝えても何も変わらないと知っているから。
しばらく山の中を歩き回り、ある違和感に気付いた。
「‥‥同じ場所を回らされている?」
少し前に木につけた傷をなぞり、それが事実であることを確認した。
自分で曲がっている意識はない。真っ直ぐに目的地に向かっているつもりが、何故か同じ場所をぐるぐると回っているのだ。
「古い呪い‥‥」
間違いない。ここに求めていた物がある。
少女にこの迷いの理屈は分からない。おそらくは遥か古代に失われた呪いだろう。正しい解き方などこの世の誰も知りはしない。
だから少女が選ばれているのだ。
すぅと息を吸うと、魔法を発動する。
『エコーロケーション』。
光のアイコンが弾け、少女の喉から超音波が発せられた。
これは攻撃ではなく、周囲の状況を把握するための魔法だ。これは発動するだけではなく、受信する力も必要な高度な魔法である。
本来は地形や生物を捉えるための魔法だが、今の彼女の力はそれにとどまらない。
「――」
エコーロケーションを使い、この違和感の中心を探る。
――見つけた。
少女が放つ超音波はただの物理現象ではない。魔力を貫通し、隠されたものを暴く力があるのだ。
場所が分かればあとは単純だ。この手の迷いの呪いは、五感に働きかけて欺いているか、あるいは正しい順路を歩かなければ戻されるか、どちらかである可能性が高い。
万全を期すのであれば、後者。
少女はエコーロケーションを使いながら、徐々に中心へと近づいていく。間違った進路に進んで戻されれば、一からやり直しだ。
こうなればシンプルなトライアンドエラー。
少女は地道な検証と予測を繰り返し、太陽が高く上るころ、ついにその場所に辿り着いた。
木造の家屋だ。
特別な見た目はこそしていないが、しっかりとした造りに、外観だけでも手入れが行き届いているのが分かる。
手入れが行き届いている。
それはあり得ない話だ。
少女が歩いてきた道は長い草が生い茂り、根が地面を飛び出していた。
明らかに長い間使われていない様子だった。
隠されていたことからも分かる通り、この家は明らかに何かがおかしい。
「ふぅ‥‥ふぅ‥‥」
家を見た瞬間から体内を魔力が暴れ回り、呼吸が荒くなる。もしも元の身体だったら、心臓が破裂していたのではと思う程だ。
――間違いない。
ここに少女が探し求めていたものがある。
少女はゆっくりと家へと歩き出し、玄関の戸を開けた。
家の中はいたって普通だった。
電気こそ通っていないが、家の中は光が満ちて、まるでついさっきまで誰かが生活していたかのようだ。
歩いていて少女はあることに気付いた。
この家、明らかに外観よりも広い。部屋の数も部屋の広さも、外から見た大きさに釣り合っていない。
少女は一部屋一部屋を軽く覗きながら進んでいく。
一々探索する必要はなかった。
胸に直接突き刺さる嫌な感覚が歩くごとに増していくからだ。
その感覚を辿って歩き続けると、一つの扉にぶつかった。
「‥‥」
深呼吸をしてから、少女は扉を開いた。
扉の先にあったのは、これまでの部屋とは違う石造りの階段。
人一人が通れるほどの幅で、光源はなく、階段の奥は真っ暗だった。
まるで怪物の喉を覗き込んでいるようだ。
「『トーチ』」
光球を浮かべると、少女はゆっくりと階段を降り始めた。
どれ程降りただろうか。
階段のゴールにあったのは、テニスコートほどの空間だった。
トーチの光が、床で不自然に反射する。
水たまりのような浅い水が満ちているのだ。光を受けて白い線が幾重にも重なっていた。
「なるほど。最後の最後に厄介な陣を」
少女は軽く指を振るい、トーチを奥に飛ばす。
「『フラッシュバン』」
カッ! とトーチが太陽のように光輝いた。
空間の中央に燭台のような石柱が立てられており、そこに何かの箱が見えた。
――見つけた。
間違いない。
あれが探していた宝だ。
そう直感すると、少女は外套を脱ぎ捨てた。
「『解放』」
小さく唱えた起動の言葉に、少女は枷から解き放たれる。
首に『2』の青い光が刻まれ、両腕から白黒の羽毛が溢れた。
脚は猛禽の鋭い爪に、両腕は巨大な翼に。
そこにいるのはすでに少女ではない。人類の敵、異次元種――怪物。
人間をやめた日、彼女に与えられた名は『オウル』。
この部屋に満ちた水はおそらく溺死の呪いだ。
浅いからと不用意に踏み込めば、異次元の水底へと引きずり込まれるだろう。
オウルは羽ばたいて浮かび上がると、部屋の中心まで飛んでいく。
この部屋が作られた当時は空を飛ぶのは簡単なことではなかったのだろう。
気付かなければ初見殺しにされるのは間違いないが。
「これが‥‥」
石柱の上に乗せられていたのは、古びた木箱だった。
そんなわけがないのに、どくどくと脈打っているようにさえ見える。
触れてはいけない。
脳ではなく、魂が叫んでいる。肉体の奥深くから悲鳴のような拒絶が聞こえる。
それでも掴まないわけにはいかない。そのために長い間日本各地を彷徨い歩いたのだから。
「はぁ、はぁ! ああ!」
オウルの鉤爪が木箱を掴み、石柱から上げる。
「――」
たしかに、掴んだ。
死んでいない。発狂もしていない。
それでも嫌な予感がした。背骨を百足が這い回るような、嫌な予感が。
ゴッ! と部屋が光に照らされた。
「二重の罠⁉」
溺死の呪いがかけられた水が、発火した。
普通に考えれば水と火は相反する存在。水が燃えるなどあり得ない。
そんな理すらあざ笑うように、空間は一気に炎に包まれた。
「くっ!」
オウルは即座に翼を振って出口へと飛翔した。
しかし、遠い。
炎の燃焼と共に部屋そのものが一気に広がっている。
――見誤った。
家が外観よりも大きくなるのであれば、当然今この瞬間部屋を広くするなど造作もないというわけだ。
炎は腕となり、飛ぶオウルへと襲い掛かる。
羽毛が燃え、肌が焼け焦げる。
一瞬でも羽ばたきが遅れれば視界の全てが炎に飲み込まれるだろう。
『エナジーメイル』で翼を強化し、更に羽ばたきを加速させる。この炎は普通じゃない。捕まれば終わりだ。
しかも罠はそれだけにとどまらなかった。
部屋の幅が狭くなっていく。避けられる範囲が徐々に無くなっていくのだ。
「ぐぅぅうう!」
翼で大気を打ち、そのまま全身に巻き付かせることで空気抵抗を減らし、一気に加速する。
もはやこれは賭けだ。『エナジーメイル』で炎から身を守りながら、一直線に突き進む。
ゴッ! とオウルは階段にぶつかって跳ねた。
「うっ、ぐっ!」
痛みにうなっている暇はない。
オウルは翼を手に戻し、鉤爪で掴んでいた木箱を持ち直すと、階段を駆け上がる。
すぐ背後から炎の手が迫っているのを感じる。
階段の先、白い光へと飛び込むと、家の中に出た。
それでも炎は止まらない。
「くそっ!」
転びそうな勢いでオウルは走る。細かな道は覚えていない。一度通ったきりの記憶を頼りに廊下を駆け抜け、ついに出口の戸を吹き飛ばして外に出た。
瞬間、炎の手が玄関から溢れ出した。
轟轟と炎が燃える。
燃やされているのはオウルではなく、家だ。炎の手は家の存在そのものを抹消するように何もかもを飲み込んだ。
その炎は森を一切燃やすことなく、家だけを灰に変えた。その灰も、風に攫われて消えていく。当然のように、地下への階段も消えていた。
「‥‥‥‥‥はぁ」
重い息を吐き出し、オウルはその場で仰向けに寝転がった。
「‥‥」
手には木箱。
見ているだけで心臓が握り潰されそうになる禍々しい威圧を放っている。
こんなものが宝だとは、創造主は一体何を考えているのか。
宝の正体も、用途も、オウルは知らない。
与えられた情報は、これがある人物の物であったということだけだ。
とにかく彼の力も、戦力も投入することもなく手に入れることが出来た。
あとは創造主にこれを渡せば長い任務も終わりだ。
そしてそれはオウルと彼の旅が終わることを意味する。
「‥‥それは、嫌ですね」
誰にも聞かれない言葉を吐露しながらオウルは起き上がり、木箱を鞄の中に大切にしまった。
その直後だった。
流星が降ってきた。
十メートルもない目と鼻の先、炎を纏ったそれは音を立てて地面に巨大なクレーターを作った。
火の粉と土煙が爆発するように膨れ上がり、あたりを飲み込む。
「なっ――⁉」
突然の事態に臨戦態勢を取ったオウルは、何が落ちてきたのかを見た。
炎の中で、人型のシルエットが揺らめいた。その頭部であろう部分。こちらを射抜く二つの瞳には『Ⅰ』が黒々と刻まれている。
「怪物‥‥?」
いや、違う。
人間から怪物へと変じたオウルだからこそ分かる。
これは人間だ。
しかも制服を見るに、桜花魔法学園の生徒。
それが意味するところはつまり、
「お前、何を持っている?」
炎から投げかけられる声は、背筋が凍り付くほどに冷たく、鋭い。
黒鉄の拳を握った真堂護を前に、オウルは悟った。
――敵だ。




