傷ついた先でしか ―音無―
護と有朱が雲仙煙霞に襲撃をされたことを知っているのは、十善佐勘や守衛魔法師を除き、もう一人存在した。
音無律花だ。
彼女が作成した護の武機、『黒鉄』にはGPSと盗聴器が仕掛けられている。
合宿で百塚に転移された時、生徒たちには事故として説明されたが、律花はそれが違うことを理解していた。
あの瞬間、奇妙な音が鳴った。
二人の間で何か硝子のようなものが砕けるような音がした。
その瞬間何らかの魔法が発動し、護と百塚は消えた。
幸いにもGPS機能を付けていたおかげで鬼灯先生が救出に間に合い、二人とも無事に戻ってくることができた。
しかし医務室で休んでいた護を見た時、律花は言葉を失った。
痛み、苦しみ、痛み、痛み、不甲斐なさ、痛み、悲しみ、悔しさ。
声が、呼吸が、鼓動が、苦痛と悔恨を律花の耳に叩きつけられる。
傷は治っている。言葉も柔らかく、紡や有朱に気を遣っているのも本心からだ。
きっと彼は、自分が正常だと思っている。
全身に刻まれた痛みの記憶は、確実に肉体を蝕んでいるのに。
――駄目、吐く。
律花の聴覚は単純な五感の域を超えた、第六感である。
だから彼女は音から経験や感情を追体験してしまうのだ。
――ぁああ! ぁあああああああああああああ‼‼
――痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い‼
――ぱきっ、と内側で音が響いた。
――ぅうう――。
涙で視界が歪み、嗚咽が喉を押す。エナジーメイルで止めなければ、決壊しそうだった。
それでも護は諦めなかったはずだ。
だから、こうして生き延びている。そして同じように戦う限り、もっと苦しい目にあうだろう。
律花は決めたのだ。
――真堂君は、私が守る。
それから律花は改めて黒鉄の設計を見直し、桜花戦の前に調整を行った。その際に盗聴器も仕込んだのである。
合宿の時を考えるとこれでも彼を守るには足りないが、黒鉄にカメラをつけてもまともに機能しないので、そこは妥協した。
そんな律花にも最低限の倫理観は存在した。常に盗聴したのでは犯罪なので、あくまで護の身に何かが起こった際のみ使用する保険である。
とはいえ、その判断は律花が行うわけだが。
煙霞との戦いが終わった後、本当は武機の調整にかこつけて会いに行くつもりだった。しかし護は見つからなかった。
しばらくはヘッドホンを外して校内の音を聞き分けて探したが見つからなかったので、仕方なく盗聴器を起動させた。
そこで思いもよらぬ人の声が聞こえた。
「‥‥星宮さん?」
護と一緒にいたのは開発科にも名前が轟く人物だった。
護が雲仙煙霞に勝負を挑んだ時、星宮有朱の顔がちらついてはいた。
もしかしたら護は有朱に好意があるのではないか。そんな最悪の予想もしていた。
結果はより悪い形で裏切られた。
「ま、まさか‥‥」
たしかな好意を感じる。機会を通した荒い音声からでも分かるくらいに胸が高鳴り、声が弾んでいた。きっと律花じゃなくても分かるくらい。
彼女は、二人の時間を楽しんでいた。
間違いない。
星宮有朱は真堂護に恋をしている。
「――」
その絶望は凄まじいものだった。
星宮有朱はあまりに強すぎる。凛と皆の前に立ち、その圧倒的な光で道を照らす強い女性。
ヘッドホンで外界の音を遮り、部屋に籠って武機をいじる自分とは、まさしく天と地の離れがある。
律花は護に告白した時、彼の目が自分に向かないことを悟った。だから専属エンジニアを提案したのだ。
もしかして護の視線の先にいるのは、星宮有朱――?
彼女の耳をもってしても、盗聴器からの音声では真堂護の有朱に向けた想いまでは判別できなかった。
呆然とする律花の耳に、すぐさま次の衝撃が襲い掛かってきた。
雲仙煙霞の襲撃。
怪物となった煙霞を倒す二人。
ひどいノイズで聞き取り辛い、何かの声。
二人の約束。
最後は聞いていられなくて、律花はヘッドホンを外した。それでも彼女の耳はヘッドホンから微かに漏れる声を確実に聞き取ってしまう。
『あなたが私の味方をしてくれたように、今度は私があなたの味方をする』
『だから教えて欲しいの。真堂くんが大切にしてきたものを』
――やめて。
――これ以上は、やめて。
輝くような容姿も、友達に囲まれる人間性も、彼に並び立てる才能も。
なんでも持っているのに、どうして。
「――」
律花の心に燃えたのは、諦めたくないという思いだった。
だから律花はハナムギ同盟を組み、日向椿のミッションに押しかける形で同行した。
しかしここで一つ新たな問題が発覚する。
黒曜紡の存在だ。
星宮有朱に対抗すべく紡と始めた『ハナムギ同盟』だが、紡は律花の想像以上に強敵だった。
護の幼馴染ということは知っていたが、ミッションに同行してその認識を改めた。
紡はただの幼馴染じゃない。
とにかく距離が近いのだ。
紡はぴったりと護の隣を歩き、何かと世話を焼こうとする。服の乱れを直し、喉が渇いたでしょと水を渡し、乗り換えや待ち合わせ場所も自分から調べる。
クールな見た目とは裏腹に、彼女はとても甲斐甲斐しく護のために動き続けた。
そして護もまたそれに違和感を抱いていないようだった。
二人の間にある距離感と空気は独特で、律花が入る隙が無い。
このままでは付いてきただけになってしまう。
何とかしないと護と二人で話せる時間を作らないと、そう思い、椿から逃げるように早々に風呂を出た。
長い髪を乾かすのもさっさと切り上げる。
そこにはコーヒー牛乳を片手に座る護がいた。薄い浴衣の裏に、鍛え上げられた筋肉が透けて見える。
「真ど――」
「ホムラなら、何にするかな」
小さな呟きが聞こえた。
――ホムラ?
誰だろう。少なくとも学校では聞いたことがない名前だ。
しかしその名前より、護の顔と音が気になった。怒りや悲しみではない。嬉しいような寂しいような、大切な誰かとの思い出を慈しむ音。
胸をぎゅっと握られるような気がした。
踏み込んではいけない。
違う。踏み込む勇気が出ないだけだ。護が大切にしているものを知ってしまったら、この苦しい片思いが、もっとずっと苦しくなると気付いたから。
「――」
それでも本当に欲しいと願うのなら、本当の声を聞きたいと思うのなら、進まなければいけない。
傷ついた先でしか、あなたに触れられないのだから。
「ホムラさん――って、どなたですか?」
◇ ◇ ◇
暗闇の中に火の明かりがついた。
枝を燃やして徐々に大きくなる火が、夜風に揺られて火の粉を吐く。
少女と姿の見えない何かは、焚火を囲んで座った。
揺れる火を見ていると、ほっと息が出る。
街でついた夥しい人の気配が、溶けて消えていくようだ。
「ふぅ、ご飯にしましょうか」
少女は肩掛けの鞄から鍋を取り出すと、焚火に置いてペットボトルの水を注ぐ。人間は嫌いだが、人間の作った物は便利だ。
湯が湧いたら、袋麺を放り込む。同時にパック野菜を入れて一緒に煮込んでいく。
味は一番好きだった豚骨だ。
静かな夜にぐつぐつ湯が湧き立つ音が響いた。
適当に煮えたと思ったら粉末スープを入れ、フォークでぐるぐるかきまぜる。
「ほら、できましたよ」
少女はそう言うと、まずは自分で一口食べる。街の中で食べる有名な店のラーメンよりも、山の中で食べる袋麺の方が美味しい。
それが真理だ。
「食べてください」
夜に溶け込む彼に、少女は鍋を差し出す。
しかし彼は動かなかった。じっと鍋を見続けるだけだ。
少女はため息を吐くと、彼の顔をすっぽりと覆っているフードの縁を持ち上げる。
「口開けてください」
がぱりと空いた口に、フォークでくるくる巻いた麺を入れる。
彼はそれをもぐもぐと噛んで飲み込んだ。
感想どころか表情の一つも動きやしない。
彼と出会って数年、ずっとそうだ。
ラーメンだけではない。辛いものも甘いものも、美味しいものも美味しくないものも、雑草を食べさせたこともある。
反応は変わらなかった。
何を食べさせようと彼は黙々と咀嚼し、飲み込む。
きっと毒や金物を放り込んでも同じようにするだろう。
当然だ。だって少女を含め、彼には食事など必要ないのだから。
必要なくなったものを、忘れないようにするための作業。
あるいはなかったものを生み出すための切っ掛け。
それから少女は自分と何かでラーメンを食べきった。鍋は『アクアダンス』で洗い、焚火も消す。
「この地域の探索も大体が終了しました。明日は気になったところを見に行きますから、今日はもう休みましょう」
「――」
当然、答えはない。
ここ数日はリスクを承知で、吐き気に抗いながら街を回った。
彼の興味のありそうな場所を巡り、何度でも話しかけた。
結局何も変わらないのに、それを繰り返した。おままごとのような茶番だ。
それが何にもつながらないことを理解している分、もっと幼稚で、くだらない行い。
けれど今日でそれも終わりかと思うと、どことない寂しさが胸を空虚にするようだった。
ずっと、ずっとこんな日が続けばいいのに。
少女はそう願い、長い夜を誤魔化すために目を閉じた。
夏休み特別企画、毎日更新(希望)にお付き合いいただきありがとうございました。
また毎週更新に戻ります。
今後もぜひよろしくお願いいたします。




