上澄みの戦い
人の噂も七十五日なんて言葉があるが、現代においては不適切だろう。消費社会において、情報は最も大量に消費され、簡単に捨てられる。
行ったこともないどこかの、名前も知らなかった誰かの、どうでもいい不祥事が派手に炎上したと思えば、一月も経たないうちに次のゴシップへと列をなして移動する。
誰にとっても、必要なのは物事の本質ではないのだ。その瞬間の気持ちよさ。誰かを見下す愉悦。誰かを正す優越。それだけがあればいい。
雲仙煙霞が学園を去ったという情報は校内を騒がせ、嵐のように過ぎ去っていった。
生徒たちの関心が向いたのはせいぜい一日程度だろう。
それを塗り替えるニュースが吹き込んだのだ。
俺と星宮有朱が怪物となった雲仙先輩と戦ったのは、数日前のことだ。雲仙先輩はそこで正体不明の存在に塵にされた。その事実は学園と政府によって隠蔽され、雲仙先輩は自主退学という形になった。
思ったよりも影響が出なくて良かった。専攻練を切り上げて教室へと歩く道すがら、周囲の生徒たちの言葉に聞き耳を立てる。誰も雲仙先輩の話をしている様子はなかった。その事実にわずかな寂しさと安堵を覚える。
あの人プライド高かったし、これで良かったのかな。
聞き耳を立てながら歩いていると、教室が近付いてきた。
皆がもっぱら口にするのは、今日の戦いについてだ。
桜花序列戦が二週目に入り、皆を騒がせたのは月曜日に出た対戦表である。
一週目に比べて、二週目の戦いは高順位の生徒たちが戦うため、注目度は高くなる。
その中でも今回のカードは特別注目されていた。
教室に入ると、村正源太郎が手招きをしてきた。
「おい真堂、もう始まるぞ」
「分かった。ギリギリまで鬼灯先生が訓練するって言って聞かなくて」
「我儘な子供か」
「それの百倍性質が悪いから困ってるんだけど」
子供ならいくらでも丸め込めるが、残念なことに鬼灯先生にそれをしたら暴力によって俺が丸められる。物理的に。
「ん」
すでに座っていた紡が椅子を引いてくれたので、そこに座る。
教室には俺たち以外にも配信を見ている生徒たちで賑わっていた。
ここ数日はこの話題で持ち切りだったし、当然か。
『さあさあ皆さん、ついにこの日がやってきました! 本日も実況は広報科二年、白瀬言葉がお送りします!』
村正の用意していたタブレットから響き渡る声。
「なあ、いっつもこの子が実況してないか?」
「白瀬先輩は広報科のアイドルだぞ。愛らしく聞き取りやすい声に、フロアを沸かせるノリの良さ。そして見た目も可愛い」
「実況としての要素弱くないか、それ」
地下アイドルじゃないんだから。
『そして解説には、序列四位、大狼夏鈴選手に来ていただいています。よろしくお願いいたします!』
『ああ、よろしく』
『今日の戦いは言わずとも知っている人がほとんどでしょう。チャレンジャ―は一年生ながら十一位という破格の順位に立った剣の天才、剣崎王人選手。そして彼が挑むのは――』
白瀬先輩はそこで言葉を区切り、溜めた。
『序列三位、長曽根虎丸選手です!』
そう、この戦いが注目されているのは、王人が出るというだけじゃない。一年生が初戦に第三位を選んだのだ。
そりゃ盛り上がる。
俺だって今日の戦いは対戦表が出た時から楽しみにしていた。
『今回の桜花序列戦、十傑の方が出るのはこの試合が初めてになりますが、大狼選手は今回の試合、どうなると思いますか』
‥‥。
「なあ紡、十傑ってなんだ?」
「桜花序列トップテンのことをそう言ってるの」
「公式の呼び名ではないらしいが、メディアもよく使ってるぞ」
へえ、そうなんだ。
「今の十傑は三年生が卒業して、繰り上がりで序列に入ったメンバーだ。今回の桜花戦で本当の序列が決まると言っても過言ではない」
「それどこに書いてあったんだ?」
「広報科の号外」
「なるほど」
それなら信頼できるな。
そんな風に細かく説明をもらっている間に話は進んでいた。
『虎丸は三位に着いちゃいるが、歴代なら一位にいてもおかしくない実力なんだよ。本来なら、初戦で選んでいい相手じゃあない』
大狼先輩の声は隠すつもりのない怒気をはらんでいた。
「やっぱり、先輩からするとあんまり感じは良くないよなぁ」
出る杭は打たれるっていうし、仕方ないのかもしれない。王人がそんなこと気にするとも思えないが。
なあ、と隣を見ると、村正も紡も信じられないものを見る目で俺を見ていた。
「‥‥何?」
「いや、どの口が言うのかと思って」
「とんでもない面の皮の厚さね」
ひどい言い草だ。
しかし雲仙先輩が学校を辞めたことは二人とも知っているらしく、それ以上は何も言ってこなかった。
「それにしても一位と二位はやっぱり別格なんだな」
たしか一位は御三家の日向椿先輩、そして二位は凛善正義先輩だ。どちらも得点が頭一つ二つ飛びぬけていたのを覚えている。二位の凛善先輩でさえ、三位の長曽根先輩にダブルスコアだったはずだ。
俺の何気ない疑問に答えてくれたのは紡だった。
「椿先輩は、一年生で一位を取って以来、一度もその座を退いたことがない」
「一年生で?」
「凛善先輩も一年生で当時三位だった長曽根先輩と、二位の三年生を倒してる。二人とも学生レベルを超えてるの」
「何それ、怖‥‥」
ってことは、大狼先輩の言葉は嘘じゃないってことか。
長曽根先輩は、歴代なら一位クラスの実力を持っている。
白瀬先輩の開戦の合図が響き、戦いが始まった。選ばれた戦場は、珍しい郊外マップ。
建物が少なく、自然の多いマップだ。
長曽根先輩は刀型の武機を佩いており、近接戦闘が得意なことが伺えた。
二人ともバチバチの近接戦闘か。
一方の王人はいつも通りの様子だった。柔らかな笑みを浮かべ、無手のまま散歩でもするような気軽さで歩いている。
二人は迷わずマップの中央に向けて進み、数分で顔を合わせた。
不意打ちをするとか、作戦を立てるとか、そんなものは無粋だと言わんばかりの邂逅だ。
王人とは何度も手合わせをしたが、戦っているところを見るのは初めてだ。
俺は自然と居住まいを正していた。
三位と十一位の戦いが、火蓋を切ろうとしていた。




