進化する怪物
雲仙先輩が突っ込んできた。
駆け引きも何もない、シンプルな突進だ。
そしてそのまま繰り出される右ストレート。
前に戦った時の精緻な槍捌きとはかけ離れた乱暴な動きは、簡単に対応できるはずだった。
「ッ⁉」
受けた左腕が、吹き飛んだかと思った。
速く、重い。
ともすれば、桜花戦で雲仙先輩が見せた最高速度に匹敵するスピードだ。
受けられたのは、鬼灯先生との鍛錬があったからだ。
同時に自分で考えるよりも先に身体が動いていた。
――振槍。
カウンターとして放った一撃は、雲仙先輩の顔面を撃ち抜いた。
「クソ、マジか‼」
最悪だ。
殴った感触で、知りたくなかった事実を知ってしまった。
雲仙先輩は、『エナジーメイル』を発動している。
大部分が人間の身体で、外殻がないから防御力は低いかと期待したが、そんな甘い話はないらしい。
雲仙先輩が止まった隙を突いて、背後から閃光が飛来した。
星宮の『スターダスト』が雲仙先輩を捉え、後ろに弾き飛ばす。
衝撃波を耐えながら、俺は雲仙先輩の動きを見落とさないように顔を上げた。
「――――ァア」
何発ものスターダストを受けた雲仙先輩は、無傷でそこに立っていた。
「星宮、あいつ魔法を使うぞ」
「‥‥ええ、そのようね。今更何が出てこようと驚かないわ」
だからそれフラグっぽいって。
星宮の言葉に呼応するように、雲仙先輩が両腕を軽く開く。
そこから溢れ出すのは、街灯の光すら阻む白煙。
そりゃエナジーメイルが使えれば、それも使えるわな。
雲仙煙霞の代名詞とも言える魔法、『スモークロウ』。
ただでさえ夜で視界が悪いのに、煙に覆われたら目はほとんど効かない。
しかもさっきよりスピードが上がるのか。位階『Ⅰ』の状態じゃ対応しきれないな。
スピードに乗る前に、叩く。
爆縮を吹かして突進しようとした時、俺は違和感に動きを止めた。
溢れ出す煙が、蠢く。
雲仙先輩が使う『スモークロウ』は、すぐに周囲を覆いつくしていた。
しかし今の煙は、雲仙先輩の背後で厚く、濃く、圧縮されていく。
魔力の質が変わる。色が変わる。
白から黒に、魔法の本質が、歪んだ。
「これは――」
「星宮が変なフラグ立てるからだぞ!」
「だからフラグって何⁉」
馬鹿なやり取りをしている間に、雲仙先輩の魔法は完成した。黒煙は世界を分断する、たしかな質量を持つ壁に変わっていた。
「進化魔法――『黒煙怪炎』」
煙が揺らぎ、壁から巨大な顎が現れた。
壁だったのものはバス程の太さもある胴体にかわり、波のようにうねった。
出現したのは、煙龍とでも呼ぶべき化物だ。
「ぁああアアアアアアアア‼」
その叫びにいかな思いが乗せられていたのかは分からない。
聞いただけで心を引き裂かれるような叫びに押され、煙龍が突進してきた。
進化は魔法の本質そのものが変化する。電電蟲や解体薄刃のように、触れただけで致命傷になりかねない。
「星宮!」
俺たちは即座にその場から離れた。
一気にそこを煙龍が通り過ぎ、背後に止まっていたトラックに衝突した。爆発したような音を立て、トラックが垂直に吹っ飛んだ。
「マジか⁉」
「なんて威力――!」
もはや煙なんてものじゃない。
嵐のようなものだ。
あんなものに衝突されたら全身の骨が砕けるぞ。
そして厄介なことに、あの煙は自然災害ではない。
煙龍が周囲の建物を粉砕しながら、方向転換を行った。そう、こいつはこっちを追ってくる。
しかも敵はそれだけじゃない。
再び突っ込んでくる煙龍の額から、煙を突き破って雲仙先輩が現れる。
俺の戦いでもやった、煙による加速。
竜と雲仙先輩、どちらに対応する。
「真堂君、左!」
星宮の声で悩みは消えた。
俺は煙龍を避けるように左に跳ぶ。
星宮は反対の右に避けながら、魔法を発動する。
スターダストが完璧なタイミングで雲仙先輩を横から捉え、俺の方に向けて弾き飛ばした。
おいおい凄いな。ボールのパスじゃないんだぞ。
バランスを崩しながらも殴りかかってくる雲仙先輩の攻撃を避ける。
速い。マシンガンのような速度で両腕が回転し、次々にパンチが襲い掛かってくる。
まともに受けたら『火焔』の強化があってもダメージは免れない。
受け流している今でさえ、両腕には絶え間ない再生が必要だ。
だが、そういう戦いは教授で嫌という程学んだ。
「ぁぁああああああアアア‼」
「俺が毎日、誰と、鍛錬してると、思ってる‼」
ただ速く強いだけの攻撃なんて、捌くのは難しくない。
鬼灯先生なら、ゆっくりと、俺が反応出来ないタイミングで顔面吹っ飛ばしてくる。
「真堂君‼」
星宮の声が聞こえ、反射的に爆縮で後ろに跳んだ。
目前を煙龍が横切り、雲仙先輩を飲み込んだ。
少しでも避けるのが遅くなっていたら、轢き殺されていただろう。
着地すると、すぐ近くに星宮が立っていた。
「外殻は砕けそう?」
「花剣なら斬れるかもしれないけど、その隙が無い」
花剣は生成するために溜めと炎の圧縮が必要になる。
あと花剣だと加減ができない。エナジーメイルは斬れるかもしれないが、そのまま身体も切り裂いてしまうだろう。
煙龍の突進を避けながら、星宮が言った。
「真堂君、先輩が変身した時のこと覚えてる?」
「あの青い光か?」
「いえ、その前よ。槍を自分の額に突き刺したでしょ」
「ああ。あの角になってる部分だろ」
ショッキングな光景だからしばらくは忘れたくても忘れられそうもない。
「真堂君、あの槍は武機よ」
「そりゃ桜花戦でも同じの使ってたし、そうだと思うけど」
それがどうかしたのか。
星宮が何かを説明しようとしているのは分かるが、生憎俺はそこまで理解力が高くない。一を聞けば十分かるタイプではないので、できるだけきちんと説明してほしいです。
「武機は怪物の素材で作られている」
「‥‥ああ、ああ! そういうことか!」
ようやく言いたいことが分かった。
「雲仙先輩が怪物になったのは、あの武機が原因ってことだな」
「確証があるわけじゃないわ。可能性があるというだけ」
「なら話は簡単だな」
数度の突進を躱された煙龍が、再び折り返してくる。
目標は、あの奥にいる雲仙先輩の角だ。
「雲仙先輩の相手は俺がする。星宮は竜の誘導を頼む」
「それじゃああなたの負担が大きすぎるわ」
「適材適所だよ。それに、星宮ならその状態でもサポートしてくれるだろ」
俺は目の前の相手と戦うことしかできない。
周囲の状況を広く見て、的確な支援を入れられるのは星宮だ、
「約束する、俺が君を守る。だから、星宮は俺を守ってくれ」
そう言った瞬間、星宮の目が大きく見開かれた。
なんだ?
彼女が動揺を見せたのはほんの数瞬だった。
すぐにいつも通りの冷静な表情を作ると、魔法を構える。
「タイミングを見て私が崩す。それまで耐えて」
「ああ、分かった。その前に一つだけ頼んでもいいか?」
俺がその内容を伝えると、星宮は目を細めた。
「それは出来るけど‥‥大丈夫なの?」
「大丈夫かは分からん。ただ、必要なんだ」
「それなら分かったわ」
「ありがとう」
じゃあ、やりますか。
走り出そうとした時、小さく呟く声が聞こえた。
「約束よ。私を‥‥守ってね」
それは爆縮の炎にかき消されて消えていく。返事なんてできるようなタイミングですらない。
俺の言葉に応えてくれただけだろう。
ただどうしてか、その一言が心の奥底にぶつかり、揺さぶった。
その理由を己に問う時間はなく、目前に煙龍が迫っていた。




