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不定の雲

    ◇   ◇   ◇




 怪物警報(モンスターアラート)が聞こえた瞬間、俺も星宮もすぐに動き出していた。


「真堂君、避難の誘導と取り残されている人がいないか確認!」


「分かってる!」


 桜花魔法学園の学生はまだ怪物(モンスター)との戦闘が認められていない。しかし避難する人々の誘導なら可能だ。


 レッドラインを超えないように、誘導の補助と、子供や高齢者の取り残しがいないか確認をする。


 確認したところ、避難区域になっているのは桜花魔法学園とは真逆の方向だ。


 結構広い。


 見たところ、星宮とボランティアに行った時よりも広い。


 ――ってことは、あの時より強い怪物(モンスター)が出現しているか、数が多いか。


 後者なら頭数を揃えればなんとかなる。前者だった場合は厄介だ。


 適性試験でよく分かった。ランクの高い怪物(モンスター)たちが出現すると、討伐の難易度は一気に跳ね上がる。


 声を張り上げて避難する人々の誘導を手伝いながら、俺たちは近くの警察に声を掛け、指示を仰ぐ。


 高齢者や足の不自由な人々が住んでいる場所はデータで管理されているため、すぐに見に行ってほしい場所を教えてもらえた。


 俺と星宮は手分けして指示された場所を回る。


「真堂君、そっちは?」


「こっちは大丈夫だ!」


 多くはきちんと避難した後で、たまに寝ていて警報を聞き逃した人や、聞いていても避難しない人もいる。


 そういった人は申し訳ないが無理矢理抱え上げ、爆縮(ブースト)で警察のもとに届けた。


 どれだけ回ったか、避難もほとんどが終わり、周囲は静寂に満ちていた。


「真堂君、もう大丈夫そうね。守衛魔法師(ガード)も現場に到着しているようだし、私たちも離れましょう」


「ああ、そうだな」


 俺と星宮は不気味なほど静かになった道を走り始める。


 その時、ポツリと呟く声が聞こえた。


「なんだか、あの時みたいね」


「‥‥そうだな」


 黒鬼(ダークオーガ)と戦った時も、突然の怪物警報(モンスターアラート)に走り回った。


 いざという時のために装着した黒鉄(クロガネ)が、それが現実であることを示していた。


 ただ同じってのは勘弁してほしい。あの時は予想外の事態が連続した。


 星宮が足を止める。


 同時に俺も止まった。見ているものは、多分一緒だろう。


「‥‥ごめんなさい。私が変なことを言ったせいかしら」


「変なフラグ立てるからだな」


「ふらぐ?」


 俺たちの視線の先、一人の男が立っていた。


 まるで待ち構えていたように、肩には十字の槍を乗せ、飄々(ひょうひょう)とした立ち姿で夜風に揺れている。


 嫌な気配を感じて、それなりの距離を置いたまま声を張り上げた。


「雲仙先輩、どうしたんですか⁉」


 夏の夕闇にあっても、見間違える道理はない。そこにいたのは雲仙煙霞その人だった。


 ただ、おかしい。


 どこか人を小馬鹿にしたような立ち振る舞いは以前からのものだが、鍛えられた(じく)はブレない人だった。


 今の雲仙先輩は、そのまま倒れてしまいそうな不安定さがある。


 それが余計に嫌な予感を駆り立てる。


「ああ‥‥ああ。そうだな。どうしたんだろうな‥‥」


 かすれた声が生温い風に乗ってきた。


「有朱ちゃん‥‥有朱ちゃん‥‥は、そこにいるよな‥‥」


「雲仙先輩‥‥」


「様子がおかしいな。どうなってる?」


「あなたのせいではないの?」


「いや、流石にそんなことはないだろ‥‥」


 多分。


 しかし明らかに尋常な様子ではない。


 俺はいつでも魔法(マギ)を発動できる状態にしながら、一歩前に出る。


 それに応じるように雲仙先輩も進み出てくる。


 フラフラと今にも倒れそうな足取りで近づいてくる。


 そして暗がりでもその委細を確認できる距離になった時、俺は息を呑んだ。




 ──首元に、青い傷。




 まるで見えない何かに首を鷲掴みにされているようだ。


 なんだ、あれは。


 明らかに通常の傷ではない。そして雲仙先輩の目は虚ろだった。


 俺たちを見ているようで、焦点が合ってない。


「あれは――何?」


「分からない。少なくとも気持ちよく握手しに来たって感じじゃないな」


 俺は『火焔(アライブ)』を発動した。


 ざわつく。


 心がささくれ立ち、呼吸が浅くなる。


「俺、俺は‥‥俺ハ‥‥何を、していたんダ‥‥?」


 雲仙先輩は会話のような、独り言のようなものを呟いた後、槍を下ろして両手で柄を掴んだ。


 その瞬間、雲仙先輩の目に正気の光が宿った気がした。


「あり、す‥‥‥‥」


 夜に消え入る呟きと共に、雲仙先輩は槍を構えた。


 石突(いしづき)を地面に、穂先を自分に向けて。


 あり得ない。心の中で理性が叫ぶが、その瞬間俺の中で(まさ)ったのは直感だった。


「待――‼」



 雲仙先輩が槍を己の額に突き立てた。



 十字の穂先が額に突き刺さり、そこから血の代わりに青い光が零れ落ちた。


 なんだ、なんだ何が起きてる⁉


「先輩‼」


 星宮が叫ぶが、俺はそれを遮るように腕を彼女の前に出した。


 何が起こっているかは分からないが、その時俺の脳裏にある男の姿が浮かんだ。


「ぁ、ぁあ、ぁあああああああアアアアアアアアア‼」


 雲仙先輩は慟哭し、全身を青い光が覆い隠す。


「――」


 閃光は一瞬で、すぐに夜が景色を塗りつぶす。


 その中に、それは立っていた。


 外殻に覆われた両腕、腰から生えた長い尾。そして、額から生えた十字の槍――いや、角。


 面影(おもかげ)はある。それが彼であったことは疑いようがない。


 しかし胸元に現れた『2』の刻印が、肌に突き刺さる存在感が、現実を叩きつけてくる。




 これは雲仙煙霞(うんぜんえんか)ではない。『怪物(モンスター)』である。




「そんな馬鹿な! そんなこと、あるはずがない‼」


 星宮の叫びは悲鳴のようでさえあった。


 気持ちは同じだ。


 怪物(モンスター)は無から生まれ、死ねば塵となり、完全に消えさえる。


 人が怪物(モンスター)になるなど、聞いたことがない。


 そんなこと、あっていいはずがない。


 だが俺は似たような事例を知っている。


 人のような擬態で周囲を欺く怪物(モンスター)を。


『俺の名はレオール。今からお前を殺す』


 ――落ち着け。


 まだそうだと決まったわけじゃない。これが手掛かりだという確証はない。


「ふぅ‥‥」


 深呼吸をして気持ちを整える。


 どちらにせよすべきことは明確だ。


 問題は、彼女がどうするかだ。


「星宮、どうする」


 星宮は一度目を閉じ、現実を直視した。その動作だけで確実に気持ちを切り替える。


「真堂君は戦うつもりでしょう」


「どう見ても逃がしてくれそうには見えないしな」


「目的は私のようだけど?」


 どうだろうな。実際雲仙先輩は星宮の名を呼んでいたし、今も青く燃える目は星宮を見ているように見える。


 だとしたら、


「逃げられない理由が一つ増えるな」


「なにかしらそれ。あまり格好良くないわよ」


「そうですか‥‥」


 マジか、結構格好良く決めたと思ったんだけど。


 星宮が震えを押さえた声で言った。


「あれ‥‥戻るかしら」


「‥‥」


 分からない。


 人間が怪物(モンスター)になるなんて俺の知る限り前例がない。当然、怪物(モンスター)から人に戻ったというものも。


「どちらにせよ、無力化しなきゃ何も始まらないだろ」


「そう、そうね。ごめんなさい」


「いいよ。それより星宮は武機(マキナ)持ってるか?」


「ないわ」


「分かった。俺が前に出るから、星宮はサポート頼む」


 武機(マキナ)がないのは仕方ない。そもそも守衛魔法師(ガード)ですらない俺たち学生は、不必要な武機(マキナ)の携帯は控えるように言われている。


 戦闘力は未知数だが、やるしかない。


「もう一回戦と行きましょうか、雲仙先輩」


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