異常個体
◇ ◇ ◇
突如として街を突き抜ける怪物警報に、あたりは騒然となった。
パニックはパニックを呼び、二次災害の危険性をはらむ。
しかし人々は興奮しながらも、決められた避難経路を使って危険境界を超えようと動き始めていた。
その迅速な動きには、普段からの避難訓練もそうだが、もう一つ理由があった。
「皆様、落ち着いて、安全に移動をお願いします!」
「現在守衛魔法師が現場に急行しています! 落ち着いて避難をしてください!」
警察と民間の避難誘導員が魔法で声を拡大し、避難を呼びかけていた。
その人込みを横目に、真逆の方向へと走る者たちがいた。
一番近くにいた守衛魔法師チームである。
三人の守衛魔法師は、状況を確認しながら走る。
「干渉波は5・7だったよね? 他に新しい情報入った?」
「いえ、まだです」
「どっちかだけ分かればいいんだけどな」
チームのリーダーを務めるB級の高坂徹は独り言ちた。
干渉波の数値から、おおよそ怪物のランクを測ることができる。5・7ということは、ランク2の怪物が複数体か、あるいはランク3の怪物が存在するか。
干渉波と怪物の出現は連続する場合もあるので、過信は禁物だが、大体の脅威度を予測できる。
「ランク2と3、どっちですかね」
「ランク2が複数体の時点で最悪だよ」
「ま、そうですよね」
「‥‥あの、すみません。ランク1が複数体の可能性もあるんですよね」
高坂とメンバーの男が喋っているところに、若い女性がおずおずと聞いた。
彼女は今年から守衛魔法師になったばかりの新人で、ランク2を超える怪物との戦いにはまだ出撃したことがない。
「それだったら最高だね。ランク2が出現していたら、時間稼ぎに徹するよ」
高坂は言い切った。
「でも、ランク2の怪物ならお二人で勝てるのでは?」
「俺たちが二人で対応できるのは、ランク2の中でも弱い個体だけだよ。ランク2の中にも、ランク3に近しい化物がいる」
「そ、そうなんですね」
「化蜘蛛は知っているだろ。あれの干渉波は観測した地点によってばらつきがあるけど、最高数値は2・9だ」
「え‥‥」
女性は言葉を失った。
化蜘蛛がもたらした被害の大きさはよく知っている。守衛魔法師も十七名が殉職している。
干渉波5・7の今回の状況は、それほどの化物が出てもおかしくないのだ。
そんな女性の様子を見て、もう一人の男性が明るく言った。
「心配しなくても、ほとんどはランク1の怪物だよ。ランク2なんてそうそう出てこない」
「そうだな。ただ油断はしないでいこう」
高坂は安心させるように頷きながら、一つの懸念を飲み込んだ。
同期である識宗次郎は、ランク2の黒鬼と遭遇、重傷を負った。
そして桜花魔法学園でも、きな臭い事件が起きている噂を聞く。
そんな状態でこの怪物警報。
嫌な予感がする。
そして往々にして、B級まで上り詰めた守衛魔法師の直感は正しいものだ。
ほどなくして、三人は足を止めた。
もはや周囲に人影はない。もぬけの殻となった商業施設が、明かりとBGmだけを焚いている。
「リーダー、あれ」
「嫌な予感が当たったな。村杉は下がって周囲の警戒、中津はサポートを頼む。応援がすぐに来る。時間を稼ぐぞ」
高坂は刀型の武機を抜きながら前に出た。
目前にいるのは、青い『2』の文字を光らせる怪物だった。腰からは巨大な尾が生え、それが刃となって揺れている。
「ん?」
そこであることに気付く。
ランク2の怪物にしては、小さい。
ランク2はランク1に対してタイプの特徴が強く現れ、身体が肥大化する。
タイプ鬼かとも思ったが、それにしてはシルエットが異質だ。
鬼に尾はない。
「は、ははハハハ。来たナ。殺ス。殺すゾ。罪深き人間ヨ、その罪ヲ、血で雪ゲ」
「――」
高坂は己の耳を疑った。
誰の声だ。
いや、誰の声かは明白だった。
目前の怪物が牙の生えた口を開き、言葉を紡いだのだ。
それが分かっていながら現実を受け止め切れなかったのは、あり得ないことだったからだ。
「言葉を、喋った‥‥?」
馬鹿な。
そんなことがあるはずがない。
たしかに高ランクの怪物が人語を操るのは聞いたことがある。
しかしそれは人間を真似ているだけで、正確に使えているわけではない。
怪物は人類の敵だ。
分かり合うことはない。
だから互いに言葉を必要としない。
だが、こいつは言葉を発した。ただ真似ただけではない。正確に言葉の意味を理解し、己の思考を言語化してみせたのだ。
「ふぅ――」
高坂は己の足元から不気味な恐怖がにじり上がってくるのを感じた。
それでも臆すわけにはいかない。
ここで自分が退けば、民間の人々に被害が出る。
正眼の構えで切っ先を怪物に向けたまま、高坂は自らの戦意が一気に鋭くなるのを感じた。
ただ相対しただけで、両腕が重くなる。
それでも何が来ようと対応しきる。
その覚悟を新たに柄を握りしめた時、
「リーダッ――」
ゴッ‼ と背後で交通事故のような音が響いた。
「キャァァアアアアア⁉」
耳をつんざく悲鳴。
構えを崩さぬように背後を振り返ると、そこにはもう一体の異形が立っていた。
腕の代わりに四対の黒い翼を生やした人型の怪物。
そして右足の鉤爪が鷲掴みに叩きつけているのは、チームメンバーの中津の頭だった。
「――」
黒いアスファルトを更に黒く塗りつぶすのがなんなのか、すぐに理解した。
同時に高坂は地を蹴った。
呆然と立ち尽くす村杉を抱きかかえ、追ってくる尾剣の怪物の一撃を受ける。
「ぐっ――‼」
重い金属音が腕から背骨までを駆け抜け、高坂は後ろに弾き飛ばされる。
しかし、それでいい。
少しでも距離を取らなければならない。
「逃がしたナ」
「黙レ。黙レ黙レ黙レ」
二つの『2』が青く光る。
干渉波から怪物が一体ではないことは分かっていた。だから一人は周囲の警戒に当てたのだ。まさか空から来るとは思わなかった。
完全に予想外の敵だ。
片方は四対の翼と鉤爪をもち、片方は巨大な尾剣を構え、両手脚で地面を掴んでいる。
二体ともそれ以外の肉体は人間に近く、その口からは耳障りな声が確かな言葉となって発せられている。
――異常個体か。
おそらくタイプ鳥獣と、四足獣の異常個体だ。
その中でも特徴的な四対の翼と、大剣の尾。
「『天狗烏』と『刃狼』に似ているな」
どちらも単体で厄介な敵だ。
高坂は女を背に庇いながら武機を構えた。
「村杉、自分の身を守ることだけを考えろ」
「リーダー、中津先輩が‥‥先輩‥‥」
「切り替えろ。あいつもエナジーメイルを使ってる。まだ死んでないはずだ」
高坂はなんの根拠もなく言い切った。
実際はどうなっているのか分からない。頭を地面に叩きつけられたのだ。エナジーメイルを使っていても、致命傷は免れない。
あるいは、もう死んでいる可能性もある。
それでも高坂は希望を口にした。
希望とは不確かな夢ではない。今を生きる者の、道標なのだ。
「俺が殺ス」
「必要ナイ。俺ガ俺ガ俺ガ俺ガ俺ガ俺ガ俺ガガガ」
二体のランク2を見据え、高坂は魔法を発動した。状況は無線を通して本部のオペレーターに繋がっている。
東京の守衛魔法師たちがここに向かっているはずだが、その到着まで何分かかる?
「くそったれめ」
絶望的な戦いが、幕を開けた。




