在りし日の記憶
四章、始まります。
またよろしくお願いいたします。
「護は彼女とかいるんですか?」
自称完全無欠妖精、ホムラから意味の分からない言葉が飛び出したのは、神社近くの遊歩道を歩いている時だった。
暦の上では初秋も終わるかという九月の初め。まだまだ秋口には程遠い蒸し暑さの中、それでも午後の日差しは先週に比べると幾分和らいでいるように思えた。
そもそもそうじゃなきゃ、
「飽きましたね、散歩にでも行きましょうか」
というゴールデンレトリバーもびっくりな論法で歩き始めたホムラを無視して、日陰に隠れていただろう。
横を歩くホムラの顔は、今日も今日とてテレビの中にも存在しない美少女っぷりで、引き寄せられる視線を何とか上に向けながら歩く。
そんな時だった。
「護は彼女とかいるんですか?」
思わず横を向いた。
緋色の髪に彩られた澄まし顔は前を向いたまま、ただ少しだけ唇が尖っているような気がする。
今何を聞かれたんだ? 彼女、彼女って言ったか?
俺も中学二年生。噂に聞く程度なら彼女って存在を知っている。
なんでも放課後一緒に帰ったり、土日に遊びに行ったり、マックでハンバーガー一口交換したりするらしい。フィクションの世界だな。
「なんでそんなこと聞くんだよ」
ちらりと横を見ると、ホムラがにんまりと笑っていた。
何、ムカつくんだけど。
「質問を質問で返すってことは、いませんね」
「あ? 勝手に決めつけるなよ」
「じゃあいるんですか?」
こいつ‥‥。
嘘でもなんでもいることにしたろうかと思ったが、ニヤニヤするホムラの顔を見ていたら、そんな気も失せた。
「いねーよ」
「まあそうですよね。というか作るなら彼女より先に友達ですよね」
「さっきから喧嘩売ってんのか?」
この汗でべたべたの手でほっぺ鷲掴みにするぞ。
「結局、なんでそんなこと聞くんだ?」
また異次元の電波を受信したのかしら。時たま突拍子もないことを言うんだよな。
「いえ、最近我が領域に初々しいカップルが訪れるものですから、護もそういう青春を謳歌してたりするのかなーと気になったんです」
「悪かったな、灰色の学生生活だよ」
ホムラの言う通り、俺は彼女どころか友達もいない。スクールライフを成績にしたら、間違いなくCだ。
「そういうホムラ、というか妖精って恋人とかそういう概念あるのか?」
「私は完全無欠の美少女ホムラちゃんですよ。他者に依存することなどありえません」
「そのわりにはよく一人で暇だなーって泣きべそかいてんじゃん」
「かいてませんが⁉」
いやかいてるよ。
二日三日行けない日が続くと、大抵の場合ホムラは拗ねる。
丸まってもみじ饅頭みたいになったまま、恨み言を呟き続けるのである。なんとも面倒くさいことだが、ここで適当な態度をとると余計に時間がかかるので、適当に慰めるか、何か手土産を持っていくのが吉だ。
「いいかホムラ、彼女ってのは欲しいタイミングでできるものなんだよ。今は必要ないだけ。高校生になればできるから」
「清々しい希望的観測ですね。私には毎日神社で管を巻いている未来が見えますよ」
「安心しろよ、彼女ができてもたまには顔出してやるからな」
「言ってなさい。どうせすぐに失恋して泣きつきに来ますからね」
口ではうだうだと言いながら、実際自分に彼女がほしいかと問いかけてみると、予想通りの答えがすぐに返ってきた。
「デートの定番といえば水族館や動物園、テーマパークですよね。一回は行ってみたいですよねー」
まだ背伸びを続ける向日葵のように笑う彼女に、思わず「行ってみるか?」と言いかけて、俺は口を閉じた。
ホムラは基本的にこの神社付近から離れない。時たま姿を見せなくなることがあるが、それにしたってどこにいたかは絶対に喋ろうとしない。
そこにはきっと、人間と妖精という種族の溝が、予想よりもずっと深く、大きく横たわっているのかもしれない。
それを知るのが怖くて、それ以上踏み込めなかった。
だからいざホムラをどこかに誘ったとして、寂しそうな笑みで「ごめんなさい」と言われる未来が見えて、恐ろしくて、口を閉じたのだ。
だから今はこれでいい。
ホムラと遊歩道を歩くこの時間が、答えなのだ。
◇ ◇ ◇
九月一日。晴れ。
夏休みが終わり、久しぶりの登校。長く実家に戻っていると、いつも新鮮な気持ちになる。季夏にしてもまだ蒸し暑く、教室で綾芽が胸元にフリーズブレスを使っていた。
使い方として間違ってはないのかもしれないし、非常に気持ちが良さそうではあったが、私には厳しい。そもそも第二ボタンまで開けているせいで、周囲の男の子たちからの視線が凄かったけれど、気付いていないのだろうか。
始業式で真堂君を見つけた。
登校している時には見かけなかったから、大分遅く来たのか、それとも早かったのか。
後ろ髪が寝癖で跳ねているから、多分前者。妙に疲れ切っている顔をしているけれど、もしかしたら夏休みで生活リズムが狂ってしまったのかもしれない。
真堂君は一人暮らしだと聞くし、三食きちんと食べて寝れているのだろうか。心配だ。
やっぱり夏休みだからと遠慮せずに連絡をしてみるべきだったかもしれない。
でも、重い女だと思われたくはないし。そもそも真堂君には心に決め、決め、決めた人とがいるとかいないとかもしかして(解読不可)
あの合宿の時ももう少し話をしたかったけれど、中々二人で話す機会がなかった。
お父様も言葉を濁すし、何かがあったことは間違いないけれど、聞いたら迷惑かしら。
九月二日。晴れ。
今日から本格的な授業が始まった。クラスが違うと中々真堂君と顔を合わせる機会がない。魔法戦闘基礎は一緒だけれど、彼の周りにはいつも剣崎君や村正君、こここ黒曜さんが一緒だから、話しかけるのも難しい。
おかしい。他の人であれば、普通に話しかけることができるのに、真堂君にはそれができない。
仕方なくミラージュでたまに様子を見に行くけれど、剣崎君が近くにいるとそれも難しい。彼はとにかく目がいい。姿を多少紛らわせたところで、気付かれてしまう。
それと村正君も、意外と言っては失礼だけれど勘が鋭い。恐らく彼自身がミラージュの使い手だからだろう。微かな違和感にも視線が向く。
だから最近は距離を取って、イーグルアイで見るようにしている。
最初の目標は話しかけることだったはずなのに、気付いたら初めより距離が離れてしまった気がする。
綾芽に相談するか悩む。
九月三日。曇り。
あまり会いたくない人に会ってしまった。




