教える者と求める物
◇ ◇ ◇
「随分と、派手にやられましたね」
「なっ‥‥⁉︎」
瞬きした瞬間、鬼灯先生は百塚をすり抜けて俺の前に立った。
百塚が驚き声を上げるが、先生は視線だけで彼を黙らせた。
ひぃ、怒ってる。俺に向けられたわけでもないのに、身体がすくみ上ったぞ。
鬼灯先生は俺に視線を戻し、目を細めた。その目が見ているのは、左腕だ。
「おかしなものを付けられていますね。少し痛いですから、我慢してください」
「え、待ってください。痛いって何が――」
「それ」
最後まで聞く前に、軽い口調で先生が俺の腕を握った。
「いっだぁぁああああああああああぁぁあ⁉︎」
「痛いと言ったでしょう」
いや、それにしたっていったぁぁあ⁉︎ 腕の骨全部粉々にされたのかと思ったんですけど!
思わず腕を見ると、ぼこぼこと不気味に隆起していた肌は、普通の状態に戻っていた。今更ながら、突き刺すような痛みがなくなっていることに気付く。
「電電蟲が、なくなってる?」
「砕きましたからね」
え、火焔じゃどうにもならなかった進化を、掴んだだけで砕いたんですか? 嘘でしょ。
困惑している間に、鬼灯先生の白くて長い指が、胸に当てられた。
「まだ炎は消えていませんね。全力で再生に回しなさい。‥‥遅れてすみませんでした。あれは私の方で何とかします」
「でも先生、あいつは」
教授の異常性を伝えようとしたら、胸に当てられた指がそのまま口に押し当てられた。それだけで、言葉を押しとどめられてしまう。
「大丈夫ですよ」
その一言は、すとんと胸の内に落ちてきた。
ただの言葉が、魔法のように染み渡った。
鬼灯先生は立ち上がり、教授の方を向く。
「初めまして教授。こうして直接会う日が来るとは思いませんでした」
「元A級守衛魔法師、鬼灯薫。予想よりも早く到着したな。発信機でも付けられていたのかね。電子機器はサンダーウィスプで破壊したはずだが――。そうか、そうかそうか。随分用意周到な者がいたものだ」
「噂にたがわぬ独演会ですね。私はもう守衛魔法師ではありませんが、うちの生徒に手を出したのですから」
アイコンが弾け、『エナジーメイル』が発動する。
軽く踏み出した一歩が、煤けた床に罅を入れた。
「覚悟は出来ていますよね」
言葉が鉄槌となって振り下ろされた。
あの教授が言葉を止め、鬼灯先生を見た。
ちょっと待て。鬼灯先生は戦えない。戦っちゃ駄目だ。
「先、生!」
叫んだつもりの声は、まるで足りず、その背には届かない。
「しかし良いのかね。君は守衛魔法師を辞めた。辞めざるを得なかった」
教授は淡々とその事実を告げた。
そう、鬼灯先生はもう戦える身体じゃないんだ。
先生の左足は義足だ。
膝から下を怪物との戦いで失ってしまっている。
いくら元々A級の守衛魔法師であったとしても、まともに戦える身体じゃない。
鬼灯先生は軽く首を傾げ、顎に指を当てた。
「私が守衛魔法師を辞めたことと、あなたの前に今立つかどうかはまったく別の話だと思いますよ」
「理解できないかね。事実から目を背けては、真理には辿り着かない。そもそも――」
「すみません。あまりそういった話には興味がありませんので」
教授の長くなるであろう話を速攻でぶった切ると、鬼灯先生はその場で軽やかにステップを踏んだ。
「それとそこ」
何気ない、準備運動がわりの小さなジャンプ。
「もう私の間合いですよ」
ジェット機が、教授に突撃した。
言葉も現実も、何もかもを置き去りにした一撃を、俺は初め理解できなかった。
轟音が耳鳴りとなって響く中、さっきまで教授が居た場所に鬼灯先生が立っているのが見えた。
左脚を上げ、今まさに何かを蹴り飛ばしましたって姿勢だ。
‥‥いや、マジか。
微かに見えた残影を頭の中で処理して、何が起こったのかを理解する。
振槍だ。
それも拳ではなく、脚で撃ち込んだ。
相手に何の選択肢も与えない先の先。教授が魔法を発動するという判断をするよりも先に飛び込み、蹴り飛ばしたのである。
やったこと自体はシンプルだが、あの教授を相手にそれを軽々とやってのけたことが無茶苦茶だ。
嘘だろ。
「ぁ‥‥」
百塚なんて、意味不明すぎて開いた口がふさがらなくなってしまっている。
正直俺も同じ気持ちだ。俺たちが死力を尽くして詰めた距離を、一瞬で踏破したんだ。俺の爆縮より何十倍も速かったぞ。瞬間移動か。
義足であることがハンデ? 先生は戦えない?
それがどれだけ見当違いもはなはだしい心配であったのか、今になって理解する。
「この程度で死にはしないでしょう、教授」
へこんだ壁にめり込んだ教授は、瓦礫を落としながらゆっくりと立ち上がった。
そして、雷撃が迸った。
これまで俺たちに対して撃っていた攻撃がどれだけ手加減されていたのか、紛れもない殺意に満ちた魔法は、完全に別物だ。
命を塗りつぶす閃光を、鬼灯先生はその場で迎え撃った。新しい魔法を発動することもなく、避けようともせず、真っ向から受けたのだ。
バチバチバチィッ!! と爆竹を何千発と鳴らしたような音が響き渡る。
そこで繰り広げられる光景は、信じられないものだった。
電撃の槍を、鬼灯先生は全て弾き飛ばしていた。
両腕を高速でしならせ、全ての攻撃を四方八方に散らす。俺たちの下には、火花の一つさえ飛んでこない。
いや、いやいやいや。なんだそれ。
「流石は元A級だ」
埒が明かないと判断したのだろう。教授は更なる魔法を発動した。
電電蟲。
解体薄刃。
サンダーウィスプを撃ち続けながら、進化魔法を二つ展開する。紛れもない怪物の所業だ。
まずい、解体薄刃は魔法で防御できない。いくら先生のエナジーメイルが頑強でも、それをすり抜けてくる。
「先生‼︎」
伝えなければ。
分かっているのに、声は放電音にかき消されてしまう。
そうしている間にも進化は鬼灯先生に到達した。
思わず目を閉じようとして、止まった。
「――――は?」
もはや何が起こっているのか理解できなかった。
三種類の魔法を真正面から受けて、先生は一切動じなかった。さっきよりも速く腕を動かし、全ての魔法を叩き落としている。
サンダーウィスプは弾き、電電蟲は花剣で頭を斬り落とす。
そして魔法をすり抜ける解体薄刃は、羽をつまんでへし折っていた。
たしかに刃に当たりさえしなければ、魔法をすり抜けられようと関係はない。
関係はないが‥‥そういう問題か?
鬼灯先生の周囲には不自然な空白が生まれ、足元には力を失った虫たちの死体が山と積み重ねっていく。
だがいくら防御出来ていても、防戦一方では勝てない。あの教授のことだ、どんな魔法が飛び出してくるか分かったもんじゃない。
「こんなものですか、教授?」
何かを呟いた鬼灯先生は、次の瞬間驚くべき行動に出た。
魔法の弾幕を弾きながら、一歩を踏み出したのだ。
そこからは早かった。
近付くごとに苛烈になる攻撃を笑いながら捌き、加速する。
鬼の独歩は止まらない。
確実に教授を自分の間合いに捉える。
しかしそこで思い至った。このまま攻撃しては駄目だ。
あいつにはあれがある。
思い出すのがあまりに遅かった。
「待っ――!」
鬼灯先生が振槍を放つのと、教授が『万華鏡』を展開するのは同時だった。
ゴガガガガガガ‼︎ と重機がぶつかり合うような音が響いた。蹴りの連撃は万華鏡と衝突し、その度に光が乱反射する。
放出系の魔法だけかと淡い期待を抱いたが、あの万華鏡はエナジーメイルすらも反射する。
光が爆裂し、鬼灯先生は後ろに跳んだ。脚の裾はボロボロに砕け、義足が覗いていた。
「カウンター魔法。流石ですね。いったいいくつの進化を持っているのでしょうか」
「三・五発。君が一秒の間に攻撃を行える回数だ。今のが最速の技だろう。威力も速度もよく分かった。それでは万華鏡は突破できない」
「たった一度の攻防で全て理解した気になりましたか? 長く煉瓦の上に立っていると、傲慢になるようですね」
鬼灯先生は軽く右手を振ると、握り直した。
「種が割れたら終わりです。さっきの盾、次は全力で張ることをお勧めしますよ」
「万華鏡を破ると?」
鬼灯先生は笑顔で頷いた。
「ええ」
先生の右拳が歪んだ。まるで蜃気楼を漂うように、本質の在り方が捻じ曲がる。
その時おかしな音が聞こえた。まるでドラムを打ち鳴らすような音。それは重なり、潰し合い、鈍く室内を揺らす。
魔力が黒い閃光となって爆ぜた。
「あれは――」
エナジーメイルだ。先生は新しい魔法を使ってない。
信じられない。
エナジーメイルを高速で振動させ、外側に張ったもう一枚のエナジーメイルの中で衝撃を乱反射させている。音は断続、連続を超えて一つの音と化した。
その拳はもはや、雷雨吹き荒れる積乱雲に等しい。
見ただけで分かる。真っ当な技術じゃない。
しかし教授は泰然と杖を構えた。
「エナジーメイルは防御と駆動に優れた魔法だ。進化にならない限り、どう使おうと限界がある。万華鏡は破れない」
「空論は聞き飽きました。決着にしましょう、黒魔法師」
正直、どうなるか想像がつかない。教授の万華鏡は百分率によって強化されたショックウェーブすら軽々と弾いた。
鬼灯先生が強いのは間違いないが、使う魔法は誰でも使えるエナジーメイルだ。
技術でその差が埋まるものなのか。
答え合わせが今、行われようとしていた。




