教授
「監督者‥‥?」
「称号にさしたる意味はないが、幹部のようなものだと思ってくれればいい。そんなことよりも重要なのは、君の持つ魔法だ、真堂護」
淡々とした口調に、心なしか熱がこもる。
「『火焔』というのだろう。『炎』、『再生』、『強化』、『強奪』。更には『硬質化』、あるいは『概念付与』といったところか。異質だ。特殊などという言葉では収まらない、異常な魔法。――欲しい。見たい。解析し、実験し、記録しなければならない」
――こいつ、『火焔』のことをどこまで知っているんだ?
言っている意味はいまいち分からないが、『硬質化』と『概念付与』は『花剣』のことだろう。
適性試験の時に使っただけなのに、その情報も握っている。
いや、百塚が煉瓦の塔の人間なら、全部筒抜けと考えた方がいいのか。
「『固有』、『派生』、『進化』、そして『覚醒』。魔法にはいくつかの種類があるが、そのどれとも違う。私は知りたい。知らねばならないのだよ。その魔法の全てを」
そうか、俺も知りたいくらいだよ。
とにかくこいつの目的はよく分かった。俺を攫い、『火焔』の解析がしたいってことだろ。その解析にどんな方法が使われるのか、正直考えたくはない。
「真堂護、私に『火焔』の力を見せてくれ。まずは『炎』と『強化』」
教授はゆっくりとステッキを持ち上げた。そして鷲が睨む杖の頭を俺に向ける。
「そして、『再生』だ」
雷光が奔った。
ゴッ! と腕から首を伝い、光熱の刃が俺の頭を斬り裂いた。
回避とか、防御とか、そういう次元の話じゃない。前に突き出していた拳を起点に、頭の左側をぶち抜かれた。
「――――ぁ」
気付いた時、半分だけの視界で白い天井を見上げていた。
「ぁ、ぁぁあああがぅぁああああ⁉」
一拍遅れて、痛みが焼き付く。皮膚が、肉が、目玉がひび割れて裂けた。
左半分を染めたのは真っ赤な暗闇だ。
「思ったよりも硬いな。再生するのだ真堂護。その傷ならば、回復に全力を使えば、三・七秒で動けるようになるはずだ」
教授の言葉が聞こえた気がした。しかしそれが意味のある言葉として耳に入ってこない。
痛い。死にたくない。
その一心で魔力を燃やし、再生に全力を費やす。
永劫にも感じる数秒を経て、俺は身体を起こした。焼けた左顔面は、まだ引きつった痛みを発していた。
これまでの戦いでも傷を負うことはあった。しかし、現実世界でここまで死に近いダメージを受けたのは初めてだった。回復が出来たからよかったものの、治せなかったらと思うと、背筋が凍り付く。
「はっ、はぁ‥‥今、のは‥‥」
「三・五秒だ。予想よりも早い。集中力の問題か、あるいは私の予測を超える速度で成長したのか。興味深い。非常に興味深い」
教授は俺の言葉に耳を貸さない。ただひたすらに己の思考に潜り、コンコンとステッキで床を鳴らす。
「いや待て。再生速度は怪我の種類によって変わるのかね。それとも理解度か、魔力の量か。検証すべき要素は多いな」
――まずい。今の攻撃が何なのかも分かっていない。距離を取らなければ、避けることも防御も不可能だ。
爆縮で、後ろに。
「そうだな、何度か試さねばならない」
二撃目が来た。
爆縮の発動は間に合わず、今度は脇腹に受けた。全身が金縛りを受けたように強張り、腹に穴が空く。
「ごはっ!」
血と火が飛び散り、そのまま受け身も取れずに倒れた。
傷からどくどくと命が流れ落ちる感触がする。しかし腕すらまともに動かせないから、傷口を押さえることすらできない。
「ぐぅ、ぅうう――!」
痛みで頭がおかしくなりそうだ。それでもこのまま目を閉じてしまえば、本気で死ぬ。
とにかく全力で『火焔』を使って再生する。傷口を塞ぎ、失った血を炎で補充する。戦闘に使う魔力を残すとか、防御とか、そんなことは考えられない。
とにかくみっともなく腕を伸ばして、死の淵から這い上がる。
「はっ‥‥っ‥‥はっ‥‥」
呼吸が安定しない。いくら吸っても酸素が回らず、頭の中がぼやけて溶けていくようだ。
「回復速度が想定より落ちているな。魔力を作り出すのは頭だ。そこを焼かれても回復できたというのに、腹で時間がかかるのはおかしい。おかしい、おかしいぞ」
教授の言葉に反応ができない。
しかし次の一言だけは明瞭に聞こえた。
「全力を出しているのかね?」
ゾッと全身が粟立って、魔力が爆発するように燃え上がった。百二十パーセント、余力の何もかもを振り絞って身体を再生し、その場から跳び上がる。
本能だ。
殺されるという意識が、眠っていた力を叩き起こした。
それでも完全じゃない。血管をつなぎ合わせ、大きな傷を塞いだだけだ。まだじくじくと痛みが唸り、全身を苛む。
「ふむ。魔力の燃焼量が上がった瞬間に再生速度が上がったな。やはり集中力と魔力の量が関係してると見るべきか。加えて強化が粗末なわりには、再生は的確に生命維持に必要な部分を最優先で治療している。意識的に行っているわけでないのなら、怪我への理解度はそこまで関係なさそうだ」
「お前‥‥」
「魔法の使い手として恥ずべきことだ。意識的に行っている強化の方が杜撰なコントロールのせいで本来の性能から劣化している。必要ないどころか、邪魔でさえある」
「‥‥」
俺は何も言い返せなかった。
これまでのどんな理不尽な行いよりも、教授の言葉は鋭い刃となって俺の胸を抉った。
ホムラがくれた『火焔』。
まさか十全に扱えているとは思っていなかったが、その認識すらもうぬぼれだった。
使おうと考えることそのものが、火焔の邪魔をしているのだと告げられたのだ。そしてそれを否定するだけの材料が、俺にはなかった。
奥歯を噛み締める。
悔しさも己への怒りも喉奥に押し込んで、全ての感情を魔力に変える。
何が事実であろうと、今やるべきことは変わらない。こいつをぶっ飛ばしてここから脱出、あるいは救援の時間を稼ぐ。
この場所さえ分かれば、鬼灯先生が助けに来てくれるはずだ。俺の方から居場所を知らせることが出来れば一番いいが、試合中だからスマホは持っていないし、そもそも俺にもここがどこだか分からない。
「教授、いつまでやるつもりですか。時間をかけすぎると助けが来ますよ」
「知的好奇心の高まりに限界はない。しかし時間が来ていることも事実だ。私にはやらねばならぬことがあるが、今である必要はない」
この短い時間でこいつが化物だってことがよく分かった。下手をすれば、俺が出会ってきた誰よりも強いかもしれない。
まともに戦ったところで勝ち目はない。
かといって時間を稼いでも、いつ救援が来るのかも分からない。
そうなると、取るべきは第三の選択肢だ。
「真堂護が次に取る行動は、この部屋の破壊。そして炎を使っての狼煙だ」
‥‥バレてやがる。
圧縮した炎を手の中に握りしめながら、俺は教授を睨み続けた。
「それそのものは問題ない。君の現在の魔力ではいくら炎を圧縮したところで、この部屋の壁は破れない。問題なのは、やはり未知の魔法をいかに鎮圧させるかだ。意識を喪失させることも、拘束も容易いことだが、その結果が読めない」
俺の炎じゃ、この部屋は壊せない?
たしかに捕食もまともにできていない現状、使える魔力はそこまで多くはない。
それでも時間をかければ、それなりの威力は出せるぞ。
「化蜘蛛の時の事例がある。あれの検証ができるというのであれば、それは魅力的だが、落ち着け、落ち着くのだ。今ではない」
教授が今警戒しているのは、俺が化蜘蛛戦の時に見せた炎剣のことだろう。極限の状態において、身体が思考を置き去りに動いた。俺自身、あれがどういう原理で起こったのか分かっていないのだ。
今気絶したとして、同じことが起こるとは限らない。
とにかく相手が警戒してくれるのなら好都合だ。壁をぶち抜いて、まずは外に出る。果たしてこの部屋が一部屋だけなのかも分からないが、密室にいるのはまずい。
「っらぁぁ‼」
地面を蹴って教授から距離を取りながら走る。そのまま壁に向かって拳を叩き込んだ。
三煉――振槍。
拳に伝わる手ごたえは、硬い感触ではなかった。どちらかといえば、分厚いゴムを殴りつけたようなものだ。
これは、虎の人形や百塚のエナジーメイルと同じ、衝撃を拡散する素材。
炎のカーテンが開けた時、そこには多少の傷に、黒く煤けただけの壁があった。
「くっそ‥‥」
この部屋、窓も出入口もないことから、まともな部屋ではないことは分かっていた。
内部からの攻撃に対する対策はばっちりってわけだ。くそったれ。
構え直しながら、散乱する炎をかき集める。
当たり前に考えて、完全な密室ではないはずだ。必ずどこかに出入口や空気孔がある。そこを見つけるしかないか。
百塚が俺をここに連れてきた魔法でしか出入りできない部屋だとしたら、助けはほぼ期待できないな。
「そうだな。やはり一度折っておこう。実験は、従順な素体の方がやりやすい」
問題は、こいつを相手にしながら、それが可能かという話だ。
さっきの魔法、その正体すら分からなかった。
今は距離を取れているが、それでも避けられるかは分からない。
実力の差は明白。
「真堂、抵抗するつもりならやめておけ。あれはやると言ったらやる。少なくとも指示に従っていれば、不必要な攻撃はされないはずだ。どう生きるかは、煉瓦の塔に行ってから決めればいい」
俺たちのやり取りを見ていた百塚が、諭すような口調で言ってきた。
そこに若干の諦観を感じたが、正直百塚の境遇にあれこれ思いを馳せている余裕はない。というかそんな余裕があったら、顔面に一発入れてやるところだ。
この場は教授の言葉に従うというのが賢い選択なんだろう。
しかし、俺の心が納得しない。それを是としない。
「うるせえよ。お前はそこで待ってろ。あいつをぶっ飛ばしたら、次はお前だからな」
「真堂‥‥」
「ふぅ――」
呼吸を整え、全身に熱を流し込む。教授が言っていた、無意識化で行われる再生に対して、俺の強化はお粗末だと。
今までは多くの炎を回せばその分強化されるものだと思っていたが、どうやらそこまで単純ではないようだ。
教授はなんて言ってた。
思い出せ、あいつはたしか、怪我の理解度の話をしていた。ってことは、肉体への理解度が深まれば、強化の質も上がるのだろうか。
いや、鬼灯先生からそんな話は聞いたことがない。身体動かせ、魔法使え。呼吸と同じように当たり前に使えるようになれとしか言われていない。
シンプルに鬼灯先生の脳みそが筋肉でできている説はある。というかその説が濃厚オブ濃厚だが、あの人の教えが間違っていたことはない。
その時、教授の言葉の続きを思い出した。
『意識的に行っている強化の方が杜撰なコントロールのせいで本来の性能から劣化している』
杜撰なコントロール。
なるほど。
「‥‥やっぱり間違ってねえじゃん」
力むな、余計なことを考えるな。強化も再生も『火焔』の思うがままにさせればいい。
必要な魔力も、欲しいだけ持っていけ。
俺は戦うことにだけ、集中すればいい。
「――ふむ」
教授がゆるりとステッキを持ち上げた。
まずは初撃を外す。
何としても、躱す。頭ん中目の前でいっぱいにして、見極める。
鷲の嘴で魔法のアイコンが弾けるのと、雷光が閃くのはほぼ同時だった。
その瞬間、俺の身体は横に跳んでいた。
初動の中、あることに気付く。
雷光が、俺を追っているのだ。直線的に放たれた一撃が、曲がる。
思い出すのは、拳を伝って頭を割った初めの一発。雷撃は顔ではなく、拳に当たったのだ。
これは賭けだ。
どちらに反応するかは分からないが、『象炎』なら、あるいは。
回避は『火焔』に任せたまま、俺は炎を散らした。攻撃でも、防御にもならない、舞い散るだけの赤い花弁。
パァン‼ と空気が引き裂かれる音が響き渡った。
髪の毛が舞い踊り、ピリピリと肌がひきつる。
しかし、それだけだ。
――避けた。




