煉瓦の塔と監督者
◇ ◇ ◇
落ちた先は暗かった。
「ッ――」
状況を把握するよりも先に、『花剣』を解除して全身の強化に回す。
何が起こったのかは分からないが、今必要なのは身を守る力だ。
しかし予想に反して、衝撃は来なかった。
油断することなく、俺は周囲を見回した。必要があれば炎を放って明かりを確保するつもりだったが、その必要はなく、一気に明るくなった。
俺が飛ばされたのは、バスケットコートほどの広さの部屋だった。
白い部屋だ。
病室よりも、ことさらに白い。余計なもの全てを排除した、病的なまでに真白の部屋。
事実、部屋の中には何も存在しなかった。
家具も、窓も、扉さえも。
空気穴くらいは空いているのかもしれないが、少なくとも見た目には真っ新な壁と天井だ。
その壁際に、もたれかかるようにして百塚が立っていた。
本来なら今すぐにでも百塚に状況を聞くべきだろう。
俺をここに飛ばしたのは、間違いなく百塚だ。
だが、そうすることはできなかった。話しかけるどころか、長く視線を向けることさえ、不可能。
身体も、意識も、視線も、全てがただ一か所に引きつけられる。
そうしなければならない。
少しでも何かがそれれば、殺される。
「‥‥」
呼吸が浅くなる。酸素が脳にいきわたらず、視界が狭くなる。
ただの緊張感で、意識が飛びそうだ。
「ようこそ真堂護」
対面、一人の男が座っていた。
いや、男かどうかさえ分からない。黒のロングコートに、シルクハット。ステッキを片手に空中に腰かけている。
しかし男だという確証はない。
声は無機質な機会音声のようで、肌を露出している部分が一切ないのだ。
そう、まったく。
本来顔が見えるはずの部分には、黒い影が貼り付けられていたのだ。
表情どころか、目の光さえも存在しない。この真白の部屋において、その存在はあまりにも異質だった。
一目で直感する。俺をここに呼んだのは、百塚じゃない。
こいつだ。
これが、何らかの方法で俺をここに呼び出した。
「お前は‥‥なんだ‥‥?」
質問の声は震えていた。握った拳が、頼りない。
「君は『煉瓦の塔』」を知っているかね。知らないだろう」
「‥‥煉瓦の塔?」
男の言葉通り、俺はその名を知らなかった。
「無知は若人の特権だ。煉瓦の塔とは、魔法を探求する者たちが集う梁山泊。ありとあらゆる手段で魔法を研究し、魔法師、ひいては人類の進化を目指す場所だ」
「人類の進化?」
何を言っているんだ、こいつは。
「『世界改革』以降、人類は妖精と魔法によって進化の階層を一つ積み上げた。しかし残念なことに、そこからは停滞している。我々は新たな煉瓦を積み重ね、空に近付かなければならない」
男は訥々と語った。
あまりに滑らかな語り口に、情報のほとんどを頭で処理しきれないが、とにかく煉瓦の塔という組織が存在すること、それが魔法の研究をしていることは分かった。
「つまるところ、我々の目的は新人類の創生。あるいは二度目の『世界改革』を起こすことだ」
まるで明日のスケジュールを話すような気軽さで、男は言った。
話のスケールは、それこそ物語の一番最後に明かされるような代物だろう。二度目の世界改革なんて、今の世界を滅ぼすと宣言しているようなものだ。
しかし冗談ではない。百パーセント混じりけのない、本気の言葉だ。
頭が痛くなるな。さっきまで百塚と桜花前哨戦をやっていたと思ったら、こんな別エピソードのボスみたいな輩が出てくるとは。
しかし喋ってくれる分には好都合だ。得体の知れない怪物から、頭がぶっ飛んだ怪物ってことが分かった。震えていた拳に、落ち着きが戻ってくる。
「それで、結局お前は誰で、何のために俺をここに呼んだんだよ」
「真堂護、君の言いたいことは分かる。先の適正試験における妖精へのバグ混入。あれは私たちの行いではない。人の身で背負うべき業を超えている」
‥‥いや、そんなことは聞いてないが。
なんかさっきから話が噛み合っていない気がする。
混乱する俺に、壁にもたれかかったまま、百塚が声をかけてきた。
「‥‥まともに話をしようと思うな。話しているようで、そうじゃない。自分の中で聞かれる情報と話すべき情報が完結しているんだよ」
なんだよ‥‥そりゃ。
「お前も、煉瓦の塔なのか?」
「ああ。いつからかは知らんがな」
百塚はまるで他人事のように言った。
つまるところ煉瓦の塔って組織は、子供を構成員として育てる組織力と、悪辣さがあるってことか。
まあ百塚の話は後だ。こうしている今も、俺は男から視線を外せていないのだから。
男はゆっくりと立ち上がった。
──高い、でかい。魔力は感じないのに、全身から放たれる圧は、男の身体を一回り以上、大きく見せた。
「私は『教授』。煉瓦の塔の『監督者』の一人だ」




