70. 目障り
「目障りだ」と言われたレオノラは、こめかみがピキッと引き攣るのを感じた。胃の奥からモヤモヤと込み上げる怒りを必死に押し殺す。
いや、押し殺さなくてもいいか。と、席を立つべく、チラリと出口へ視線を向ける。
しかしその所為で、ガランと貸し切り状態のホールが目に入り、少しだけ頭が冷えた。
ここまで準備して彼なりに気を遣っているのだから、表面通りただ貶されただけと決めつけるのは早計かもしれない。
とはいえ我慢して譲歩する義理もないが、ここで席を立ったら、結局全て台無しになってしまう。
「はぁぁっ」と深く息を吐いて気を静めたレオノラは、もし本当にただの悪口だったら、今度こそ帰ろう、と心に決め、目の前の緑眼を睨みつけた。
「それは…どういう意味でしょうか?」
「………目障りは、目障りという意味だ」
「そうですか。それなら、今後はお目汚ししないよう、ベルナール様の前には出ないことにします」
「そ、そんなこと言ってないだろう!そもそも、目障りなのに、視界に入らないと落ち着かないから余計に目障りなんだろうが!」
慌てて声を荒げるベルナールの顔は赤い。怒ったような表情だが、瞳の奥に縋るような色を見つけてしまい、レオノラは再度ため息が出る。
「ええっと…そう言われても、私には意味が分からないので説明してください。なにが目障りなのでしょうか?」
「………お前を見てると、眩しくて目が痛くなる」
「はっ?」
「視界に入る度にチカチカと鬱陶しい。なのに、目に見える場所に居ないと落ち着かなくなる」
まるで未知の発光物体かの様に言われ、レオノラはますます訳が分からなくなる。
「眩しいってなんですか?今日なんか濃い青のドレスで、暗めの色なんですが」
「…その色のせいで、いつもより艶らしさが出てるだろうが」
「へっ?…あ、そうですか?」
「ドレスから出た腕や胸周りの肌が、余計にきめ細かに見える。耳飾りが鮮やかなせいで、うなじと首筋辺りが濡れているように錯覚する」
「あの…」
「目に入れると眩しいのに、目が離せなくなる…鬱陶しい」
「………」
最後はボソッと吐き捨てるように、ご丁寧に小さな舌打ちまで添えられた。しかしこれはどうも、褒められてるように聞こえるのだが。
あと、見られているところが際どい箇所な気もして、羞恥に顔が熱くなる。
それが恥ずかしいだけで嫌悪感が湧かない事に危機を覚え、このまま絆されるものか、とレオノラは視線をほんの一瞬逸らしてから気合を入れ直す羽目になった。
「一応伺いますが、“目障り”なんて言われたら私が怒ると思わなかったんですか?」
「…他に言い様がないのだから仕方ないだろう」
怒りを押し殺したような声でそんなことを言われても、レオノラとて困るのだが。
しかしどうもレオノラの当初予想と違い、これは褒められている気がする。なのに“目障り”という言葉に拘るのはいったいなんなのか。
「でも……例えば、セラフィーネ王女殿下のことは、美しいと仰ってたのでは?」
「はっ?なぜ王女がここで出てくる」
ベルナールは戸惑ったが、レオノラは大真面目だ。以前、ベルナールは王女を“美しい”と称した。だから言葉を知らない訳ではない筈。
これについては覗き部屋での発言なので、どこで聞いたか質問されたら誤魔化すしかないが。それでも、レオノラは強気に話を進める。
別に、あの絶世の美少女ほど美しいと思って欲しい訳ではない。
ただベルナールの言葉の意味をしっかり理解したいが為の質問だ。
「王女殿下の美しさと比較すると、私は好ましくありませんか?」
「……比べる要素などない。王女だろうが誰だろうが、お前のように煩わしさを感じたことはない」
ベルナールがこの世の終わりでも告げるような低い唸り声で、レオノラが口を挟む間もなく続ける。
「お前が居るだけで、周りの景色まで眩しくなる。見ているとどうしたら良いか分からなくなくて視界から追い出しても、結局気になってまた目で追ってしまう」
「…あぅ…えっと」
「美醜を考える以前の問題だ」
そう言いながら、ベルナールは奥歯をギシリと噛み締めた。
ベルナールも、自分のそれが“美しい”と感じる気持ちに近いことは自覚している。
しかし、それを言葉にしようと考えるだけで、四肢が引き千切られるような抵抗感が湧くのだ。漏れでそうになる溜め息ごと喉が締め上げられて、内臓まで痛みだす。
“美しい”と言葉が思い浮かぶ前に、いつもそれをぐちゃぐちゃと押し潰している自分が居た。
それら全てが、煩わしくて。結局……
「目障り、以外の言葉が、浮かばん…」
「そ、そう、ですか……」
全てを勢い任せに言い切ったベルナールは、ジワジワと己の失態を痛感し始めていた。
レオノラが持ち出した話題が気に食わなくて。しかも、今夜の装いは自分の為に用意した、などと言われて、余計に眩しさが増したのだ。
反射的に喉の奥に詰まった言葉がどうしても出なくて。いつも代わりに内心で呟いていた“目障り”という言葉をそのまま告げていた。
本当は夕食を共にする、という話題だった筈なのに。なぜこんな煩わしい事になるのだ。と、元凶であるレオノラを睨みつければ、今宵の艶やかな装いがまたしても目に障った。
そんなベルナールの視線を受け止めたレオノラは、そっと俯いて視線を逸らした。そのまま、モニョモニョと歪む口元を手で隠す。
そのまま数秒、気持ちを落ち着かせるように小さく深呼吸を繰り返したところで、引き攣る頬で無理やり淑女の笑みを作った。
「分かりました。とりあえず明日の夕食は、ベルナール様の好きなものにしてもらうよう、ニクソンさんに頼みましょう」
「はっ?」
「今日は私の好きなものばかりだったので」
「あ、いや…」
「ご馳走様でした。とても美味しかったです」
突然、今後の夕食への誘いを快諾したレオノラに、ベルナールは目を丸くした。その困惑を感じてもレオノラは笑みを貼り付けたまま、その後はベルナールを急かしレストランを後にする。
当然、慌てた様子で見送りに出てきた支配人や店の人間には、最大限の礼の言葉を忘れない。
その間も、帰りの馬車に乗り込んだ後も、戸惑いと混乱で何か言いたそうなベルナールが視界に映ったが、レオノラはそれを笑顔で跳ね返した。
今、これ以上何か会話をしたら、悶え死ぬかもしれない。
(無理…無理、無理。心臓痛い!)
ベルナールの言葉を受け止めたことで、感激と悩みが胸に渦巻いている。気を抜けば、その両方による妙な悲鳴が口から飛び出しそうで、レオノラは必死に取り繕う。
とりあえず、思いの丈を声にするのは、明日の“旦那様と仲良く愛し愛されたい”同盟まで我慢だ、と自身に言い聞かせるのだった。
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