62. 乱心
はぁっとレオノラが溜息を吐くと、ベルナールがピクリと眉を揺らした。
「では、その妻はしばらく実家に滞在するので。許可をいただけますか?」
「ならん!」
「えぇ、なんでですか。少し実家で羽を伸ばすだけですって」
「っ!?そ、そういって、別居の間に離婚の準備を進めるつもりか!?」
「はいぃ!?」
責めるような言い方に、咄嗟に喉の奥が締まったような声が出た。
「いや、なにを…」
「離婚など絶対に認めないぞ!いいか、どこに何を訴えようと無駄だと思え!絶対に認めんからな」
「え?いや……なんでそんなに、離婚が嫌なんですか?」
唐突に「離婚」と言い出した理由は訳が分からないが、それ以上にベルナールがここまで拒否することにも驚いた。
むしろ王女殿下と再婚を目指すなら、離婚しろと言い出す方だと思っていたのに。
もしかして、再婚して王配になるというのは、本当に考えていないのか。
しかしそれにしたって、離婚をここまで拒否する理由が分からない。
なんで?と首を傾げるレオノラに、ベルナールがカッとその緑眼を大きく開いた。
「わ、私の妻はお前しかいないだろうが!」
「いえ、再婚すれば他の方も妻になれますよ」
「他などいらん!」
「えぇっと…?」
答えにならないことをずっと叫んで喉は大丈夫だろうか、とレオノラは現実逃避気味に考えてしまった。
案の定、ベルナールがゲホゲホと咳き込みながら荷物の中から水筒を引っ張り出している。しかし中身はほとんど残っておらず、一口飲んだところで空になっていた。
空の水筒を忌々しげに睨みつけるベルナールの、チッと短い舌打ちが響く。
水筒を補充する程度の休息も取らずに、急いでここまで馬を飛ばしてきたのか。
「お疲れの様ですし、とりあえずどこかで休まれては?」
「そんな暇はない。私は貴様を連れ戻しにきただけで、すぐ王都に戻る」
いくら職務をクリスに任せたと言っても、宰相のベルナールが確保できた時間は少ない。既にタイムリミットは迫っており、一刻も早くレオノラを説き伏せて、王都へ帰らなければならないのだ。
「なら、暫くしたら王都に戻ります。それならいいですか?」
「ならんと言っただろう!今すぐに荷物を纏めろ」
「嫌ですよ!なんでですか!?」
「貴様が居ないと落ち着かないからだ!!」
だからなんで?とレオノラは埒のあかない会話にうんざりし始めていた。ベルナールが怒っているのは分かるが、どうにも話の出口が見えない。
「うーん」と小さく唸りながら考えたレオノラは、試しに見当違いの事を口にしてみることにした。
「もしかして、私のことが好きなんですか?」
「は!?」
「えっ?」
「はっ?…いや、っ…はぁ!?」
否定の言葉が飛んできたら、「じゃあ何故だ」と言い返して話を進めようと思っていたのに。予想外の反応にレオノラが訝し気に顔をあげれば、ベルナールがこれまでにないほど驚愕に目を見開いて動揺していた。
混乱した声を漏らしながら、ふらつきながらたたらを踏んでいる。
そのあまりの狼狽え様に、レオノラの方が戸惑ってしまった。
「え?あ、いや…好きなんですか?」
「そ、そそそ、そんなわけっ!!!」
「そうですよね。違いますよね。」
ああ、びっくりした。とレオノラが短く息を吐けば、ベルナールの表情がますます混乱に歪んでいく。
そのまま「いや」とか「それは」とか妙な呻き声を発していたかと思うと、その内にみるみる顔が赤くなりだした。そしてそれを隠す様に、バッと片手で顔を覆ってしまう。
「あ、いや…それは……ち、違うとは言っていないだろう!と、思う」
「……はい?」
「だから!違うとは言っていない!」
「いま、そんなわけないって言いましたよね?」
「そこまでは言っていない」
ベルナールにキッと強く睨みつけられ、余計に訳が分からない。
「えっと?つまり…?好きでも嫌いでもないと…?」
「違う!」
「………え?好きなんですか?」
「…………」
無言でふい、と気まずそうに視線を逸らしたベルナールは未だ口元を手で覆っているが、その目元が赤い。耳も先っぽまで真っ赤で、照れとバツの悪さを含んだような横顔が、彼が何が言いたいかを如実に物語っている。
だがちょっと待て!と、レオノラは記憶を辿ってこれまでのベルナールとのやり取りを思い出してみるが、その結論はあり得ないように思う。
レオノラにとってベルナールの言動があまりにも理解不能で、意味が分からなくて。
ー ベルナールの頭が可笑しくなったのでは ー
(………あっ、これか!)
初対面でベルナールに言われた言葉を、まさか自分もまったく同じように思う日がくるとは。レオノラはあまりの予想外な出来事に、パシパシと目を瞬かせた。
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