56. イベント誘導
レオノラは、ここでアレクをダンスに誘うことにした。
既婚の淑女から誘うというのは、大胆過ぎるとも思われかねないが、そこは気にしないことにする。
ゲームの展開通りとはなってしまうが、レオノラがアレクを引き離し、王女殿下とベルナールを二人きりにしようと思った。
ベルナールのアレクへの嫌味な口調は元からだが、最近はどうも情緒不安定のきらいがあり。物語でいえば、憎まれ口でヒロインに嫌われて退場する当て馬を訪仏とさせる。
もしそうならば、好意を拗らせたままより、王女と話をして気持ちを整理する時間が必要だろう。
アレクを引き離すと言っても、ダンス一曲分。数分の会話なら、投獄されるような大事にはならないはず。もし何か起こりそうなら、途中で割って入って止めればいい。
そして、もうひとつ気になることもある。
レオノラは小さく首を傾け、セラフィーネ王女に向きなおった。
「王女殿下、如何でしょう。フェザシエーラ様とのダンスはとても楽しくて…どうかお許しいただけませんか?」
「その……は、はい。素晴らしいお考えかと」
一瞬、王女の顔に戸惑いがよぎった。しかしすぐに完璧な微笑みに隠されてしまう。
(やっぱり、気負ってる…よね)
見たところ、王女殿下もアレクも、会場を抜け出そうとする気配はない。それよりも、挨拶周りを完璧に勤めようと、随分気を張っている様に見える。
状況的にそうなっても仕方ないが、それではアレクとのイベントが発生しない恐れがある。
夜の庭園で二人きりのダンス。
その美しい思い出で塗り替えなければ、「今日はベルナールに嫌味を言われただけ」という印象が強く残ってしまいかねない。
(それに、単純にあのイベント見たいし)
いくつかの思惑を胸に、レオノラは喜んで恋のスパイスとなることにした。
アレクに向かって微笑めば、戸惑いつつも納得したように手を差し出してくる。
「で、ではゲルツ侯爵夫人…よろしければお手を」
完璧王子様なら女性に恥をかかせる様なことはしないだろう、と踏んでいたレオノラは内心でほくそ笑む。
そうしてアレクの手を取る為、ベルナールに掴まれた手を引いたのだが。しかし手は抜けず、逆にグッと握られてしまった。
「えっ、ベルナール様?」
「……」
「……離してください」
「…………」
眉間に思い切り皺を寄せ、目をギョロギョロと剣呑な色で光らせるベルナールに、レオノラが小声で囁く。
視線を上げたベルナールが、何かを訴えるような、憎らしげな形相で見つめてきた。これはもしや、好きな女の子と二人っきりにされるのが怖い、とかだろうか。
流石にそこまで今は対応ができないので、とりあえず無視して手を強引に引き抜いた。
「それではフェザシエーラ様、よろしくお願いします」
「こちらこそ、貴方と踊れる栄誉に感謝する」
手を取ったアレクは、なんとも優雅な仕草でダンスフロアへとレオノラを導いた。
数人が踊る間を抜け、適当な場所でそっと腰に手が添えられる。そのまま流れる曲に合わせて、お互いにステップを踏み始めた。
王女殿下のエスコートをしていたアレクと、蛇宰相の妻であるレオノラ。奇妙な組み合わせに会場が少しザワつくのが分かる。
しかし、取り残された王女と蛇宰相の姿に、それが蛇宰相の指示だと察したのか、納得したような視線に変わる。
蛇宰相が王女との会話の為、妻をつかってアレクを追いやったのだろうと。
蛇宰相の悪い評判に助けられた。と、自分たちから会場の視線が外れていくのを感じながら、レオノラはスッと視線をアレクへと戻した。
「誘いを受けてくださり、ありがとうございます」
「いや。何か私に話があるのだろうと思ったのだが…?」
「さすがフェザシエーラ様。実は、そうなんです」
「ならば、手短にした方が良いかもしれない」
アレクが視線を王女たちに向ける。レオノラもそれに倣えば、王女もベルナールも、こちらを凝視したまま固まっていた。
セラフィーネ王女はともかく、ベルナールはすぐに王女に話し掛けでもすると思っていたのだが。
予想と違ったが、ぼんやりしている暇はない。
レオノラは再び視線をアレクへ向ける。
「実は、王女殿下のダンスの件で…」
「……既に察しているとは思うが、今日セラフィーネ殿下は踊れない」
触れてほしくないのだろう、アレクの眉が若干歪んだ。
「いつかの様に、無理をされたのでは?」
「………私の不徳の致すところだ」
「そういうことが言いたいのではありません」
王女の足のことを言えば、どうしてもアレクを責める流れになってしまう。が、そこをレオノラは強引にでも切り上げた。
「踊れないとなると、王女殿下は折角の練習の成果を披露できなくなります」
「……それはいずれ。セラフィーネ殿下の成長は素晴らしかった。ただ…私がもっと気遣っていれば」
「いえ、そういうことではなく」
どうも、アレクにも気負い過ぎのきらいが見える。王女を完璧にサポートしなければ、という責任感が透けて見える。
それが責任感なのか、王女を想うが故なのか。
(両方……いや、好きだからよね、ここは)
決めつけなのは認めるが、ここはそういうことにしておく。
「頑張ってらしたのであればなおさら、今日までの成果を見て貰いたいと、思ってらっしゃると思います」
「しかしそれは…」
「王女殿下の足は、靴を脱いだら随分楽になるのでは?」
「…なに?」
「素足なら、きっと多少は問題なく動けると思いますが」
その言葉にアレクは目を瞬かせると、ほんの僅かに指先を強張らせた。
「王女の状態を、そこまで詳しく知っているのは…もしかして、ゲルツ宰相が貴方に?」
「へっ?」
しまった、と思ったレオノラは慌てて言い訳を探す。
王女が怪我を負っていることは察することができても、それは捻挫でも骨折でも、選択肢は幾らでもある。その中で、“靴を脱げば動ける”状態だと断言してしまったのだ。
「い、いえ。その、歩き方とか、ヒールが痛むのかなと思って…なんというか、同じ女性としての経験から、というか…」
「…そ、そうか」
「はい。ベルナール様が情報漏洩をした訳ではありません」
王女の健康状態の詳細は、国にとっても機密事項。それをベルナールが漏洩させたと思われたら、非常に立場が悪くなる。
それはまずい、と必死にレオノラが否定すれば、アレクも「女性同士」という理由で納得してくれたようだ。
これ以上そこに突っ込まれないよう、レオノラは更に畳みかける。
「それで、フェザシエーラ様は東の庭園はご存知ですか?」
「知っているが、それが?」
「あそこの柔らかい芝生を、素足で踏んだらきっと気持ち良いと思いませんか?」
輝くシャンデリアも、賑やかな喧騒もない。ただ優しい月明かりと、心地よい夜風があるだけの庭園。
音楽が無いのが惜しいが、そこはこの完璧王子様が何か考えるだろう。
レオノラの意図を汲み取ったのか、アレクの顔から先ほどまであった憂いや罪悪感の様なものが薄れていき、若干期待の色が浮かんだ。
手応えを感じるその様子に、更に後押しをしておくか、とレオノラはニッコリと微笑んだ。
「きっと王女殿下は、誰よりも親身になって共に頑張ってくださった方にだけでも、成果を見て欲しいと思っているのでは?」
「ゲルツ侯爵夫人。貴方の言いたいことは分かった………助言に、心から礼を言う」
そこで丁度曲が途切れ、ダンスフロアから数組が輪の外へ出ていく。
レオノラとアレクも同じように、二人並んでそれぞれのパートナーの元へと向かった。
「貴方は、まるでこちらの心を読めるかの様な提案をしてくるのだな」
「え?」
「今回のことも、王女殿下の気持ちに私は気が回らなかった。余程彼女と共にいたのに」
それはゲームの知識があるおかげだ。ということは言えず、とりあえずレオノラは笑って誤魔化した。
アレクも優しい笑みを浮かべているので、二人で穏やかに微笑み合いながら、ベルナール達の元へと戻ったのだった。
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