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37. 弁当の行方

 要らんと言われたが、レオノラはとりあえず笑顔でバスケットを少し持ち上げ、中身を仏頂面のベルナールに見せてみる。


「そんなこと仰らずに。もうお昼の時間ですし」

「要らん」

「このタマゴサラダは私が作ったんですよ。ドレッシングもなかなか上手にできたんです」

「帰れ」


 ついには緑眼でギョロリと睨まれてしまい、レオノラは仕方なく閉口した。

 普段であればここで脅すなり粘るなりするところではあるが、ここは宰相執務室で相手は仕事中。粘るにしても、時と場合は配慮するべきだ。


 残念だが今日の差し入れ分は自分で食べることになりそうだが。しかしそれも予想の範囲内であり、レオノラは諦めた訳ではない。


「…分かりました。また今度にします」

「……」


 要は、今日粘るか、数日掛けて粘るかの違いである。ベルナールが爆発しない範囲で、レオノラは我を通す気満々だった。


 ということで、仕方ないが今日は退散だ、と踵を返しながらレオノラはもう一つ手に持っていたバスケットを掲げて、横でハラハラと成り行きを見守っていた男に渡す。


「それでは、これはクリスさんの分です。チーズたっぷりで、お約束のチーズケーキも入ってますよ」

「ああああ、ありがとうございます。ずっと帰れてなくて、王城の食堂ではメニューが既に決められているので。チーズケーキを食べるのは2週間ぶりなんです」


 クリスが涙を流す勢いで喜ぶものだから、レオノラも思わず笑ってしまった。

 彼が自宅でチーズケーキを食べる時間を確保するには、宰相補佐の業務に慣れて業務の効率を上げるしかない。それまでは、こうしてレオノラがチーズケーキを届けるつもりだ。


「ただ、ケーキは出来合いのものなんですが」

「この形と色は…東地区のアルマンド店ですね。ありがとうございます。ここの店のも大好物なんです」


 バスケットを覗き込みながら見事正解するものだから、相当である。とうとう零れだした涙がケーキに落ちないよう、慌てて拭き取る姿がなんとも言えない気持ちにさせるが、とりあえず午後の活力は湧いてきたようなので良しとする。


 と、レオノラが納得していたのだが、そこでまたもや苛立った声が投げかけられた。


「おい。なぜその者にまで弁当を用意しているんだ」

「え?だってクリスさんも頑張ってる様子でしたし。今日、ここまで入る許可はクリスさんが手配してくれましたし」

「…だからといって」

「とにかく。私は今日のところは帰りますが、またお弁当は持ってきますので」


 苦虫を噛んだ様な顔のベルナールに、クリスの弁当までもち帰れと言われては堪らないのでさっさと退散すべく踵を返した。

 次はもっと香ばしい匂いが強いものを持ってくれば、ベルナールの食欲も刺激できるかも。などとレオノラが考えはじめた瞬間、背後からゾクリと肌が泡立つような低い声が投げられた。


「…待て」

「え?」


 振り返れば、神妙な顔つきのベルナールが緑眼で睨みつけてくる。その眼光が放つあまりの迫力は、蛇どころか魔王を訪仏とさせるが、何がそこまで不満だというのか。


「…ベルナール様?」

「別に、食わんとは言っていないだろう。置いていけ」

「はい?」

「聞こえなかったか。置いていけと言ったんだ!」


 聞こえなかった訳ではない。ただ理解できずに聞き返しただけなのだが。

 

「でも、要らないって…」

「要らんとは言ったが、食わんとは言ってない」

「……???」


 やはり何を言っているか分からない。要らないと言ったら、食べないということなのでは。しかしそんなことを言える雰囲気ではない。


「じゃ、じゃあ…ここに置いておきますね」


 仕方ないので、部屋の中心にある応接セットのテーブルにベルナールの分のバスケットを置く。その様子を、緑眼のジロリとした視線が追ってくるが、今のレオノラにはその視線を楽しむ余裕がない。

 なに、どういうこと?と疑問が湧くが、他にどうしようもない為「それでは失礼します」と短い挨拶を残してそそくさと部屋を出た。


 要らないと食べないは同じだと思うのだが、違うのだろうか。


 廊下に出た後もレオノラは首を捻りながら、グルグルとベルナールの言葉を反芻してみる。要らないとは、要らないということなのでは。それは食べないとなるのに、そうならないとはどういうことか。


「…まさか、食べないとは言ってないと言ったけど、食べるとも言ってない。とか言わないよね」


 グルグルと考え過ぎて何が何だか分からなくなってきたが、とりあえずお弁当を届けるという目的は達成したのだから。食べたか食べてないかは、今夜帰ってきた時にでも聞こう。




 そう結論付けたレオノラはその夜、ベルナールの帰りを今か今かと待っていた。

 そろそろ日付も変わろうかという時刻。いつもの様に「奥様、旦那様がお帰りになられました」と呼びに来たケイティの声に、レオノラは急いで玄関へ向かった。


 その先にベルナールの姿を見つけ恒例となりつつある、玄関ホールの階段を速足で降りながら出迎えの挨拶を響かせた。


「ベルナール様!おかえりなさい」

「うっ!?」


 何か気まずいことでもあるのか、普段は眉を寄せるだけで無言のベルナールから、今日は呻き声が聞こえた。

 これはもしかして、本当に弁当を食べなかったのだろうか。


「今日のお弁当は食べていただけましたか?」

「……フン」


 恐る恐る聞くレオノラだが、当の本人が鼻を鳴らしてそのまま歩き出してしまった。


「えっ?あ、ベルナール様……」


 咄嗟にベルナールを追おうとしたレオノラだったが、それを「奥様」と小さく呼び止めるニクソンの声に、レオノラも立ち止まる。


「たったいま旦那様のお帰りとほぼ同時に、宰相補佐様より城からこれが届きまして…」

「え…あ、カード?」


 ニクソンが手に持ったのは二つの空のバスケットと、その中に入っていたらしいカードだ。それは今日レオノラが届けたもので、クリスが返却の為に使用人に預けたのだろう。


 さっとカードに目を通せば弁当へのお礼と、ベルナールがしっかり完食したことを報告する内要が書かれていた。


 だものだから、思わず頬が緩む。


「……フフ」


 少なくとも、妻の差し入れを食べてはくれたらしい。その事実にレオノラは、まだ廊下の先に居るベルナールに向かって声を掛けた。


「ベルナール様、またお弁当を差し入れてもいいですか?」


 その言葉に、ベルナールがピタリと立ち止まった。そして数秒の沈黙の後…


「別に、食わんとは言ってない」


 それだけ言うとまた歩き出してしまったのだが、その後ろ姿にレオノラは「フフフ」とまた笑いが込み上げたのだった。

 これはきっと、「また持ってくる」と言ったのが効いたのではないだろうか。妻の弁当を受け入れているのか、妻のしつこさを学習したのか。

 どちらにしても、これから頻繁にベルナールの職場を訪問する口実を獲得したのだった。



ここまで読んでくださりありがとうございます。

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